サルビアホール 第129回クァルテット・シリーズ

今から10年前の2011年5月に開場した鶴見のサルビアホール、今年が丁度10年の節目となります。当初から名物企画として話題を呼んだクァルテット・シリーズの船出は2011年6月1日でしたが、去年はコロナの猛威を真面に被って漂流。ほぼ半年は航行できず、何とか10月になって再開できたのは当ブログでも詳述してきた通り。
昨秋の3回は使用座席を半分に減らし、市松模様に着席することで凌いできましたが、2021年に入って漸く規制だけは緩和され、従前通り100席で楽しむ室内楽の空間が戻ってきました。とは言いながら難航が続いているのは相変わらずで、今年1月に予定されていた回は延期され、現在でも海外アーティストの来日はままなりません。そんな中、2021年最初のクァルテット・シリーズが3月30日に開催されました。以下のもの、

ハイドン/弦楽四重奏曲第62番ハ長調作品76-3「皇帝」
ドヴォルザーク/弦楽四重奏曲第12番ヘ長調作品96「アメリカ」
     ~休憩~
ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第15番イ短調作品132
 クァルテット・アルモニコ

アルモニコがサルビアに登場するのは二度目。実はシリーズがスタートした2011年も日本にとって国難だった年で、東日本大震災の結果、福島原発の事故が発生。このクァルテット・シリーズも当初第3回に出演が予定されていたスイスのルガーノ・クァルテットが来日不能となり、急遽代役として急場を凌いでくれたのが、クァルテット・アルモニコでした。
10年前、彼らが演奏したのは今回と同じくハイドン(鳥)で始め、ベートーヴェン(ラズモ第2)で閉じるもの。間にはツェムリンスキーの第4番が取り上げられましたが、今回はプログラムの最後に演奏されることがほとんどであるドヴォルザークの「アメリカ」という超ヘヴィーな選曲で臨んできました。

10年前の感想を読み返してみると、小欄はこの団体にはやや不満を書き残しています。音が軽く、ホールを意識してか音量が控えめ。音楽はサラサラと流れるだけでメリハリが無い。などと酷い言葉を並べましたが、ツェムリンスキーが大変な秀演だったことは良く覚えています。
そんなことを思い出しながら聴いた今年最初のクァルテット・シリーズ、冒頭のハイドンから前回とはガラリと変わった印象に驚きました。まるで別の団体みたい。

で、改めてクァルテット・アルモニコについて。藝大在学中の1995年に結成(1993年という資料もあります)、ウィーンで学んで海外でも活発に活動し、ロンドン国際弦楽四重奏コンクール2位。彼等のプロフィールはホームページを見るほうが早いでしょう。

https://quartetto-armonico-tokyo.jimdofree.com/

私が前回サルビアで聴いた2011年は全員が女性でしたが、2016年にチェロが松本卓以(まつもと・たくい)に変わりました。アルモニコのチェロは、確か彼が4代目だと思います。
一時活動を中止していたそうですが、新たなチェロを迎えて再始動、6月には富ヶ谷の HAKUJU ホールで定期演奏会も復活するようです。活動の中断理由は噂で聞いただけですが、10年前とは大きく印象が変わったことから判断して納得がいきました。要するに、音楽が強くなりましたよね。

ウィーンで学び、東京藝大とウィーン国立音大による共同プロジェクトであるハイドンの弦楽四重奏曲全曲録音にも参加しているアルモニコ、ハイドンでは第1ヴァイオリン(菅谷早葉)が他の3人をリードするように輝かしく力強い音で大きく弾かなければならない、というウィーン流ハイドン奏法が徹底して身についているのでしょう。現在では希少価値さえ生まれているハイドン流儀で客席を唸らせます。
彼等の演奏で皇帝を聴くと、この名曲が如何に名曲であるか、当時何と斬新な音楽であったかに改めて気付かされました。第1楽章では滅多にやらない後半部を繰り返し、有名な第2楽章の変奏曲では各パートが順番にテーマを確認していくクァルテットとしての面白さを際立たせる。第3楽章もトリオに入るとイ短調とイ長調を交互に弾き交わす意外性、フィナーレもハ短調で初めてハ長調に終わらせるという、後世にとって大きな手本となったテクニックを既にハイドンが取り入れていた等々、正にハイドンの伝統を伝えてくれる名演と言って良いでしょう。

これに比べると、ドヴォルザークとベートーヴェンにはやや疑問を覚えたのも事実。疑問、というより彼らの解釈が独特かつ個性的であると言い替えることもできるでしょうか。
アメリカも作品132も、共にテンポは速め。アメリカは、ドヴォルザークが籠めたボヘミアへの郷愁を前面出すのが主流でしょうが、アルモニコはそうした情緒的な表現を寧ろ排除していくよう。今では廃れてしまった国民楽派の音楽と言うキャッチフレーズには一顧もせず、ドヴォルザークとて古典音楽、これが弦楽四重奏と言わんばかりの表現なのです。

奇妙なことに、これはベートーヴェンでも同じ。アルモニコの作品132は、聴いていて後期のクァルテットという感じがしません。あの第3楽章にしても、「病癒えし者の神への聖なる感謝の歌」という厳粛な感動を敢えて拒絶するかのよう。ここは五つある楽章の3番目、長い緩徐楽章に過ぎない、とすら聴こえてきます。第9交響曲の第3楽章と同じ、ABABAの5部構成の楽章と言う作品の構成面が目立っていたように感じましたがどうでしょうか。

大曲3曲でさぞや満腹、と思いきや、何とアンコールもありました。ファースト菅谷が淡々と、「本日はありがとうございました。アンコールとしてハイドンの作品77の2から第3楽章、民謡がテーマになっている作品です」と挨拶。アンコールにしては長い楽章ですが、やはり年季が入っているハイドン演奏に満足。
6月の定期では鶴見同様ハイドン(この日アンコールした第3楽章を含む作品77-2全曲)で始め、ベートーヴェン(作品132)で終わるプログラム。間にはベルクの作品3が演奏される予定です。富ヶ谷で再度アルモニコに浸っては如何。今後とも彼らの活動が長く続くように祈りましょう。

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