日本フィル・第730回東京定期演奏会

今月は色々なホールでいくつものオーケストラを聴いてきましたが、その締め括りがサントリーホールでの日本フィル東京定期。
実は前日、27日にもここサントリーで広上淳一指揮N響の演奏会も聴いたのですが、感想はアップしていません。理由はもちろん感心しなかったからではなく、N響は最近ほとんど聴いてなく、不案内な自分が何か感想を述べるのが憚られたから。メインの尾高淳忠のシンフォニーが圧巻だったのは言うまでもありません。尾高作品は日本の交響曲では最も重要、音楽史に残る傑作の一つであるという確信を深めました。

さて話を日本フィル定期に戻します。5月の日フィルは、本来なら首席指揮者インキネンが振る筈でした。しかし今回も来日は叶わず、横浜も東京も代役。横浜は田中祐子がミューザ川崎でベートーヴェンの第5交響曲、神尾真由子とブラームスのヴァイオリン協奏曲を演奏し、別の日に同じ演目で行われたサントリーホール公演を配信で拝聴しました。
そして東京定期は、これが日本フィル定期初登場となる鈴木優人の指揮。当初予定のプログラムが何だったかは忘れてしまいましたが、協奏曲以外は鈴木自身が選んだ作品でしょう。以下のプログラム。

ステンハンマル/序曲「エクセルシオール!」作品13
シベリウス/ヴァイオリン協奏曲
     ~休憩~
シベリウス/交響曲第6番
 指揮/鈴木優人
 ヴァイオリン/辻彩奈
 コンサートマスター/木野雅之
 ソロ・チェロ/菊地知也

鈴木優人は定期演奏会こそ初めてですが、日本フィルとは何度か共演している由。最近の活躍は目覚ましく、私も読響でその幅広いレパートリーを楽しんでいます。先日も無観客で行われた京都市交響楽団の定期演奏会でバロック音楽とベートーヴェンの第7交響曲に腕を振るったばかり。その様子も配信で堪能しました。
今回は代役とは言え、オーケストラともとても初めてとは思えない親和感を醸していたと思います。

冒頭で紹介されたのは、日本では余り聴く機会のないステンハンマルの音楽。メインのシベリウスと同じ北欧の音楽家ということで選ばれたのでしょうが、こちらはスウェーデンの作曲家で、シベリウスより6歳年下。ほぼ同世代と言って良いでしょう。シベリウスより年下ではあるものの、比較的若くして亡くなったので、その生涯はシベリウスの一生にスッポリと収まってしまいます。
ステンハンマルを積極的に取り上げてきたのが、かつて日フィルの首席指揮者を務めたネーメ・ヤルヴィ。パパ・ヤルヴィもさぞ日フィルでステンハンマルを紹介したかったと思いますが、当時はレパートリーに一種の壁のようなものが存在し、願望叶わず。それが今回、奇しくもプログラム変更の流れの中で実現したのは時代の流れでしょうか。

題名のエクセルシオールとは、ゲーテのファウストから暗示を受けた「いと高き所へ」の意味。タイトルのように上昇志向のテーマが全曲を通して鳴り響き、最後も高揚した気分で閉じられる演奏会開始に相応しい一品と聴きました。
注目すべきは、初演が1896年9月28日、コペンハーゲンでニキシュ指揮ベルリン・フィルであったこと。ということは、ベルリン・フィルのコペンハーゲン楽旅の機会だったわけで、この日のプログラムがどのようなものだったのか気になりませんか。何とも知識欲を掻き立てられる序曲ではあります。
時が時ならば日本フィルがとっくに紹介していたはずのエクセルシオール、この日のメインであるシベリウスの第6交響曲の献呈者だったステンハンマル作品を取り上げた鈴木優人のプログラミングに、先ず喝采を浴びせましょう。

続いては、期待の辻彩奈を迎えてのシベリウス。実は先週、シベリウスのヴァイオリン協奏曲を名古屋で三浦文彰と広上指揮京響で聴いてきたばかり。一週間で二度もナマ体験するという稀有な機会でもありました。
どちらがどう、ということではありません。夫々に素晴らしいシベリウスを堪能しました。辻のヴァイオリンは、作品への情熱を隠さず、その演奏スタイルに思い切りパッションを乗せたもの。1748年製というグァダニーニがホール一杯に響き渡ります。辻彩奈、来月は彼女のリサイタルを眼前で聴く予定なので、今から待ち遠しい気持ちが募ってきました。

アンコール。ホールのライトが落とされ、ソロ・チェロ菊地とのデュオで、同じシベリウスの水滴。何と何と、先週の名古屋での三浦と同じアンコールでした。思わず笑ってしまいましたが、シベリウスの協奏曲の後での水滴は、最早定番と化しているのでしょうか。
今回の水滴、もちろん予定されたアンコールでしょうが、見事に後半に繋がっていたとは思いませんでしたね。

その後半、普通のオーケストラでは余り接する機会のないシベリウスの第6交響曲ですが、日本フィルでは珍しい作品じゃありません。それほど熱心なコンサート・ゴアーでもない私でさえ、これまで渡邉暁雄、パーヴォ・ベルグルンド、ネーメ・ヤルヴィ、ピエタリ・インキネンと聴いてきて、今回の鈴木優人で少なくとも5回目のナマ体験になります。
シベリウスの7つの交響曲では、5番と6番の間が最も長い8年と開いていて、シベリウスとしてもその作風が最も進化した交響曲と言えるでしょう。基本的に木管は2管編成ですが、バス・クラリネットが使われるのは、交響曲では6番が唯一です。

この演奏会に先立ち、日フィルのツイッターでは鈴木と山田和樹による対談をユーチューブ上に上げています。ベルリン在住の山田と鈴木がリモートで会話するもの。その中で鈴木優人は、シベリウスの交響曲の中で6番が一番のお気に入りであること、シベリウス自身がこの作品を清涼な水を一杯提供するような音楽と語った、ということを紹介されていました。
また「楽譜を捲っても捲ってもチェロが出て来ない」と話しておられましたが、チェロはもちろん、コントラバスも冒頭から暫くは全休。実際、第6交響曲の第1楽章は冒頭から暫くはディヴィジの第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリン、それにヴィオラという5声部で進みます。チェロが控えめに加わり、コントラバスが漸く登場するのは、スコアでは11ページ、楽譜記号ではFまで待たなくてはなりません。

やっと出てきたコントラバスも、間歇的にボン・ボンとピチカートを奏するだけ。これ、聴いていて雨だれみたいだ、と感じたのは私だけでしょうか。そう言えば、前半のアンコールは「水滴」。水滴が雨だれと繋がっていたのか、というのはあくまでも私の感想であって、そこまで意図したとは思えませんが、ね。
ということで見事な選曲をやってのけた鈴木優人。第6交響曲も4つの楽章を休みを置かず、一気に演奏してしまいました。同じ時期に書かれていた第7交響曲にも通ずるアイデアでしょう。そう言えば、インキネンは第6と第7を休みなく、続けて演奏したことを思い出します。

清冽な音楽をダイナミックに表現した鈴木優人。これが代役に留まらず、直ぐにも本役として日本フィルに登場することをお願いしておきましょうね。レパートリー豊富なマエストロ、日本フィルとの相性もバッチリ、と聴きました。

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