ベートーヴェンがハイドンに好かれなかった理由

今日の午後、晴海に行ってきました。目的は古典四重奏団のレクチャーコンサート第11回「ベートーヴェンがハイドンに好かれなかった理由」に参加するため。
実はもう一つ試したいことがあって、それは拙宅から晴海に向かう別ルートの開拓。
第一京浜を北上し、銀座から晴海に折れる、というのが常識的な路線。しかしこのルートは時に渋滞し、数多くの信号に引っ掛かります。もっとスムースに辿り着く、あるいは帰るルートがあるのじゃないか。
今日は先ず晴海とは逆方向に南下、大田区の大田市場の前を通って湾岸に出ます。東京湾の下を三度も潜ってビッグサイトの前。ここまで来れば目の前は晴海です。約35分のドライブ。走る距離ははるかに長いようですが、信号がほとんどないし、通る車も第一京浜と比べればガラガラ状態です。うん、これは使える、ということで目的の一つは目出度く成功しました。
さて肝心のレクチャーコンサート。
2008-2009年のクァルテット・ウィークエンド、古典四重奏団はベートーヴェン・チクルスの前半で勝負します。彼らの恒例になった事前のレクチャー、今回は11回目になるそうですね。
私は全部ではないにしても、ほとんどのレクチャーに参加してきました。チェロ・田崎端博氏の話は面白いし、演奏家の視点で切り込む作曲家論が秀逸。今回はハイドンとベートーヴェンの関係がテーマでした。
全体は大きく3部に分かれ、
A【ハイドンの作風とは】
B【ベートーヴェンのデビュー】
C【その後のベートーヴェン】
で構成、BとCの間に休憩が入ります。
詳しい内容を書くわけにはいきませんが、大体こんなこと。
A.ハイドンの作風。
ハイドンは当時の様々な音楽スタイルを自己の音楽に取り込み、多様な様式を造り上げた。しかしあくまでも秩序の範囲内。
ここではハイドンの時計交響曲、最初のクァルテット(作品1-1)、エマヌエル・バッハの多感様式(第1交響曲)などをサンプルで紹介。通し演奏としてハイドンの弦楽四重奏曲ニ長調「ひばり」から第2楽章が演奏されました。
B.ベートーヴェンのデビュー。
ハイドンが初めてベートーヴェンに注目した「皇帝ヨゼフ2世の死を悼むカンタータ」の一節でベートーヴェン登場。彼の最初の出版作品であるピアノ三重奏曲作品1-3の第3楽章の一部を演奏。これはハイドンが出版に難色を示した作品の由。
これとハイドンの皇帝から第4楽章を比較演奏。ベートーヴェンとハイドンの差を考えます。
今日のテーマである「ベートーヴェンがハイドンに好かれなかった」キーポイントがこのトリオだった、というのが田崎説。
この部分の通し演奏は、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲ハ短調作品18-4から第1楽章でした。
C.その後のベートーヴェン。
ベートーヴェンに限らず、ハイドンやモーツァルトが斬新さ、新しさにチャレンジした試みとして、モーツァルトの不協和音の冒頭、ハイドンの天地創造の混沌の音楽を紹介。
ベートーヴェンについては作品18-6の第4楽章から「憂鬱」と題された箇所、大フーガの一節を鳴らします。これがワーグナーの作品と言われても違和感がないでしょ。
今日の最後は、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第8番「ラズモフスキー」第3から第2楽章。
最初に田崎氏が拘ったのは、「ベートーヴェンがハイドンに好かれなかった理由」という外題の、「理由」は“りゆう”と読むのであって、決して“わけ”とは読まないで欲しいとか。
今シーズンのチクルスは10月3日が第1回。以下、10月19日、11月3日と続きます。作品18からラズモフスキー全曲演奏会まで。
当然、セットで聴く積りですよ。古典四重奏団にとって、晴海での二度目のベートーヴェン全曲シリーズ(無事に行けば2010年に完結するはず)。
午後3時に始まったレクチャー、終了は4時40分。外はまたしても雨が降り出していましたが、5時20分には帰宅。

 

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