日本フィル・第696回東京定期演奏会

師走は多くのオーケストラが定期演奏会をお休みしますが、私が会員になっている日フィルと読響はいつも通りのスケジュール。しっかり第9以外の曲目で定期を開催しますから、私も普段と変わりなくサントリーホールに出掛けました。
その日本フィルは、久し振りに井上道義を迎え、以下のプログラム。フランス特集かと言えばそうでもなく、雑然と並んでいるようで実は、という意味深な選曲だそうです。

ラヴェル/「マ・メール・ロワ」(組曲版)
八村義夫/錯乱の論理 作品12
     ~休憩~
ベルリオーズ/幻想交響曲
 指揮/井上道義
 ピアノ/渡邉康雄
 コンサートマスター/田野倉雅秋(ゲスト)
 フォアシュピーラー/九鬼明子
 ソロ・チェロ/菊地知也

事前に同オケのホームページにも内容がそのままアップされていましたが、プログラム誌で片山杜秀氏がプログラム・ノートに記されているように、今回の3作にはアブノーマルな世界という共通点がある由。大人にコンプレックスを持っていたラヴェル、不条理な情念を音響化することに取り憑かれた八村、私的妄想を巨大化させたベルリオーズ、といった具合。この解説を読んで大いに納得しました。

演奏後にマエストロが短く挨拶されていましたが、ベルリオーズの幻想は井上道義が日本フィルを指揮して故郷に錦を飾った因縁の1曲。70歳の節目、今回久し振りに定期を振るにあたって、敢えてこの作品を取り上げたのでしょう。スピーチでは「若い時に指揮する作品、若い人が振るべき音楽」と言っていましたが、どうして駆け出しの指揮者では醸し出せない独特の「濃い」表現に満ちた、若々しい名演だったと思います。
井上と言えば日比谷公会堂でチャレンジしたショスタコーヴィチの交響曲全曲シリーズ、京都で振ったクセナキス、蝶々夫人だけじゃないと言わんばかりに紹介してくれた「イリス」などが思い出されますが、私は彼が日フィルのマエストロ・サロンに登場した時の印象が忘れられません。

あれはプロコフィエフ「シンデレラ」井上版の時だったと思いますが、登場するなり “みなさん、網タイツはお好きですか?”、でしたよね。“アシュケナージは燕尾服の裏に注目、何たって裏地見るアシュケナージ”などと全てが型破りでしたっけ。
ここではとても書けないけれど、最近(当時)の日本のオーケストラ事情に関しても歯に衣着せぬ物言いで参加者を煙に巻いていたものでした。
そのミッチー、来年3月で大阪フィルの首席指揮者を降板しますし、長年活躍の本拠だったオーケストラ・アンサンブル金沢の音楽監督も退任されます。やりたいことは全てやり尽くした、目下取り組んでいるオペラの作曲に専念したい、という理由もあるのでしょうが、これからはより自由な立場として好きな曲を好きなオーケストラで、という心境の一端も窺えたようなコンサートでもありましたね。

幕開けはラヴェル。原曲はピアノ連弾曲で、解説では2二通りの管弦楽版があると書かれていましたが、私が聴いた限りではもう一種類の演奏版があって実は3種類。バレエ音楽版のために新たに書かれた前奏曲と「紡ぎ車の踊り」からそのまま組曲版に繋げる別版を、アンセルメが戦前にコンセルトヘボウで演奏したライヴ録音で聴いたことがあります。この版はダニエルスの「Orchestral Music」にも記載されていますから、3種として間違いないでしょう。
今回は、最も頻繁に取り上げられる組曲版での演奏。ラヴェルのアイデアとオーケストレーションの見事さが最も良く判る作品で、例えば第2曲「おやゆび小僧」ではヴァイオリンが2拍子、3拍子、4拍子、5拍子と拍を一つづつ加えていくことで、おやゆび小僧が道に迷うさまを見事に表現します。第3曲「パゴダの女王レドロネット」ではクライマックスで打ち鳴らされるタムタムが鮮やかに「中国」を演出。第4曲「美女と野獣の対話」でも、野獣が王子に変身する瞬間をたった1小節のハープのグリッサンドで恰も眼前で見るように描いてみせる。
極め付きは第5曲「妖精の園」。静かに弦だけのグラーヴェで始まり、徐々に楽器を加え、初めて参加するティンパニが登場して堂々たるクライマックス。ラヴェルのオーケストレーションに唖然とするのは、ここでは金管はホルンだけでトランペットやトロンボーンは一切使われていないこと。ジュ・ド・タンブル、チェレスタ、ハープなどのグリッサンドを華麗に響かせることで、聴き手は恰もトランペットが鳴っているような錯覚に陥ってしまうのです。

井上は一音一音を丁寧に、まるで壊れ物でも扱うように指揮し、作品の底に流れている恐怖、悲しみを引き出すことに成功していました。本来響きの美しさを美質とする日本フィルのアンサンブルも、作品にはピッタリ。
ラヴェルと言えばボレロやダフニスとクロエに人気が集まりますが、私が一番好きなのは「マ・メール・ロワ」。ラヴェルで一つだけ選べ、と言われれば躊躇いなくコレにします。数あるラヴェルの名作の中から、演奏されているようでいて案外ナマでは聴く機会が少ない「マ・メール・ロワ」を選んだのは流石に井上の見識でしょう。まさか自宅にアヒルを飼っていたから(笑)。

前半の2曲目は、初めて体験する八村作品。この曲は1984年に日本フィル定期で演奏されたことがあり(私は聴きませんでしたが)、てっきり日本フィルシリーズの一作と思っていましたが、これは勘違い。初演は1975年の尾高忠明指揮の都響で、1979年改訂されて1980年、やはり尾高・都響で再演されています。今回のソリスト渡邉康雄は改訂版の初演で弾いており、いわばオーソリティーでしょう。
私の記憶ではスコアが出ていたようでしたが、ネットで検索しても見つかりません。どうやら絶版になっているようで、楽譜を見ることは出来ませんでした。(後で知ったのですが、会場で希望すれば閲覧できたそうな。残念なことをしました。)

作品のアナリーゼは片山氏がプログラムに詳しく書かれていますが、同じものは日フィル・ホームページからもダウンロードできます。音を聴いただけでは判らないのは、練習記号Eでピアノ独奏が「勝手に錯乱」したあと。ネタバレになってしまいますが、ピアノがグリッサンドで下降すると、ソリストはそのままピアノの前でバッタリと事切れるのですね。9分ほどの全曲が終わると、指揮者がソリストを促して拍手に応える。ここは笑えました。響きは如何にも昭和当時の「ゲンダイオンガク」で、私など若い頃は、こうした響きに熱狂していたことを懐かしく思い出します。
余計なことかも知れませんが、ピアノが舞台中央にセットされ、楽員が再登場してチューニング。この時ピアノの鍵盤の蓋が開けてなく、ゲスト・コンマスの田野倉氏が戸惑うような素振りでやおら蓋を開け、Aのキーを打鍵。多分軽いアクシデンでしょうが、演奏されたのが「錯乱の論理」だけに、これも筋書きの一つかな、と勘繰ってしまった次第。オケのメンバーも思わずくすくす笑いの様子。

そして後半はベルリオーズの超名作。マエストロ颯爽と登場しますが、何と前半とは衣裳を代えてきました。後半は堂々たる燕尾服。思わず裏地を見てしまいましたワ(爆笑)。
冒頭にも書きましたが、ラヴェル同様に一音一音、各フレーズを大切にした繊細な演奏ながら、ここぞという時の強音炸裂は手に汗を握るばかり。若手が陥りがちな小細工とは無縁。オーボエや鐘の処理も楽譜通りで、第3楽章のオーボエは第2楽章が終わると杉原が舞台裏に移動しての吹奏。第5楽章の鐘も日フィル自慢の鐘を舞台には置かず、福島が舞台裏に駆け込んで叩くという極めてオーソドックスなスタイルでした。それでいて手垢に塗れたような演奏にならないのは、井上の持つ天性の資質でしょう。

それにしても彼の指揮振り。相変わらず棒は使いませんが、掌はヒラヒラと舞い、バレエ出身なだけに躰は踊るが如く。アマチュア・オケではとても付いて行けないようなアクションでもオーケストラは慌てず騒がず、昨今の絶好調を余すところなく響かせて見せました。このプログラム、大方の定期会員、1回券で聴かれた方も大いに満足だったのではないでしょうか。何より井上道義本人が“良い演奏だった”と明言していました。
このあと井上/日フィルは2月の九州公演に。彼の指揮では案外聴くチャンスが少ないベートーヴェンの第7交響曲と、マーラーの第5交響曲がメインです。より自由奔放に変身したミッチーを楽しみましょう。

 

 

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