読売日響・第584回定期演奏会

二日後が大寒という金曜日、サントリーホールで読響定期を聴いてきました。身を切るような北風を衝いての赤坂行です。
読響の12月は第9一色でしたから、定期は11月以来。個人的にもサントリーホールは今年初めてでやや久し振り。12月中のクリスマス飾りも一掃され、寒さが一層に感じられる風景でした。

諸井三郎/交響的断章
藤倉大/ピアノ協奏曲第3番「インパルス」(日本初演)
     ~休憩~
ワーグナー/舞台神聖祭典劇「パルジファル」第1幕への前奏曲
スクリャービン/交響曲第4番「法悦の詩」
 指揮/山田和樹
 ピアノ/小菅優
 コンサートマスター/長原幸太

今年最初の定期、指揮者は去年4月に同オケの首席客演指揮者に就任した山田和樹。機関誌によれば、今回が就任後の初舞台だそうで、1月は定期の他に名曲シリーズやマチネー・シリーズにも登場していました。
飛ぶ鳥を落とす勢いの山田、今や西を見ても東を向いても山田の名がポスターを飾っていますが、読響にとってはマイスターと並んで二人目の首席客演指揮者。これまでの共演でよほど楽員の心を捉えたのでしょう。今回も如何にも山田らしいプログラミングでの定期初見参です。

そのプログラム、重要なコンサートでは必ずと言って良いほどに日本人作品を組む指揮者ですが、今回は諸井と藤倉。世代的には3世代、いや4世代ほどにも隔たっている作曲家を並べました。
そして後半はワーグナーとスクリャービン。山田のことですから選曲に何か隠しテーマがあるのでしょうが、それは後程。例えば日本フィルならコンサートに先立ってプレトークで趣旨を紹介するところですが、読響の場合にはそうしたサービスはありません。聴き所などは会員自身で予習してきなさい、というスタンス。それなりに対処して出掛けました。

冒頭の諸井作品は、私の世代が良く聴いていた諸井誠ではなく、その父君に当たる三郎のもの。諸井家と言えば音楽よりは財界、特にセメント業の草分けとして知っていました。この辺りは同じく政財界の巨頭・渋沢一族から出た音楽家の尾高一家とよく似ていて、戦前の資料を繙いていると諸井三郎作曲・尾高尚忠指揮という記録に度々遭遇します。諸井三郎の作品がオーケストラの定期で取り上げられるのは、戦後になって初めての事じゃないでしょうか。記憶違いなら御免なさい。
ことほど左様にレアな機会、初体験を楽しみに出掛けました。

プログラム・ノート(西耕一)によると、1928年(作曲者25歳)に作曲され、同年11月9日に東京で初演(国民交響楽団!)された14分ほどの作品とのこと。折角ですから楽器編成を転載しておきましょうか。
フルート2、ピッコロ、オーボエ2、イングリッシュ・ホルン、クラリネット2、バス・クラリネット、ファゴット2、コントラ・ファゴット、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、ティンパニ、弦5部。典型的な3管編成ですね。
曲目解説にも書かれていたように、分厚いオーケストレーションで繰り広げられる濃密な音楽で、黙って聴いているとリヒャルト・シュトラウスかツェムリンスキーか、というドイツ後期ロマン派の世界を彷彿とさせます。諸井はこのあとドイツに留学したそうで、若さ故の盛り沢山な試行という面もあるように聴きました。

残念なのは、諸井に限らず戦前の作品群が一向に世に出ないことで、今回の山田の尽力も一回限りの復活に終わってしまうのではないか、ということ。音楽出版業界というか日本のクラシック界がもっと積極的に作品の紹介・普及に努力すべきでしょう。少なくとも交響的断章に付いては事前に楽譜に当たることも出来ず、作品に関する資料が殆ど見つからないのが現状。TPPの問題もあり、このままでは永遠に埋もれてしまう危険もあるのでは、と考えた次第です。

それとは対照的なのが、藤倉大。世界で引っ張り凧の藤倉ですが、自身の公式ホームページも充実。書けばリコルディ社から直ぐに出版されるという現状もありましょうが、その作品の多くはホームページで音源も聴け、楽譜も閲覧できる状態になっています。
ピアノ協奏曲第3番は、モンテカルロ・フィル、スイス・ロマンド管と読響の3者が共同委嘱したもので、去年10月5日にモンテカルロで初演されたばかり。今回が日本初演となります。未だ楽譜は公開されていませんが・・・。

今回私は予習の意味もあって前2作、ピアノ協奏曲第1番に当たる「アンペール」と、第2番「ダイアモンド・ダスト」を音と耳で確認してきました。音もスコアも作曲者ホームページで聴く・見ることが出来ますし、有料楽譜閲覧サイトの nkoda でもスコアが公開されています。実はアンペール、私は名古屋で行われた日本初演を聴きに遠征したこともありました。
アンペールはほぼ3管編成の大オーケストラをバックに、ピアニストは通常のピアノの他にトイ・ピアノ(おもちゃのピアノ)も担当するという大作。一方のダイアモンド・ダストは管も弦も1パート一人づつの室内オーケストラをバックにする作品です。今回の第3番は両者の中間、2管編成でホルンもトランペットも2本。トロンボーンは無く、打楽器も一人だけという編成でした。

第1番も第2番も、最後の音に特徴があり、アンペールはトイ・ピアノによるアルペジオ一句で閉じられるのに対し、ダイアモンド・ダストはピアノの超低音一音の強打に加え、ピアノ高音部は音を出さずに鍵盤を抑え、倍音のみを響かせて余韻が消えるまで鳴らし続けるという終わり方。
で、当然ながら第3番の閉じ方に注目していると、作品に良く登場する最高音のキラキラする音を一つ打鍵し、その余韻が消えた所が終結と聴きました。何れスコアが上梓されることでしょうから、ここはその時に確認しようと思います。

ところで藤倉、早くもピアノ協奏曲第4番に着手しているそうで、演奏時間もタイトルも決まっています。そのタイトルは Akiko’s Piano 。「あきこ」って誰よ、と気になる方は、ホームページを見てください。未だ出来上がっていないのに解説はしっかり書かれています(但し英語)。第4番の最後はどんなかな? 今から楽しみですな。

現代作品の初演にしては珍しく、小菅優によるアンコールが演奏されました。ピアニストが告げたタイトルは、藤倉大の近作であるウェイヴス Waves 。
これもホームページに音源がありますが(譜面は出ていません)、第3ピアノ協奏曲の直前に書かれたもので、本来は別のピアノ・ソロ曲に含まれる予定だったもの。そのピアノ作品には取り入れられず、かと言って第3協奏曲にも当てはまらず、単独のピアノ曲として独立させたそうな。表現は不適切ながら、ピアノ協奏曲のオマケ的な逸品で、紹介される場面としてはこれ以上ない相応しいアンコールでした。大曲とセットで味わえば、その趣も格別。

そして後半、ゴージャスな読響サウンドによるワーグナーとスクリャービンに身を委ねながら、プログラムの隠しテーマについて考えてみましょうか。
そのヒントになるのが、正に今初めて接した藤倉作品。藤倉自らが書いた解説からその部分を引用すると、“このピアノ協奏曲は他の二つの協奏曲と違い、全体的に気持ち良い感覚、というか、オルガズミックな感覚がずっと持続する部分もあり”という個所。これこそが後半の2作品に共通する特色と言えるでしょう。

オルガズミックな感覚。即ちオルガスムスとは、広辞苑によれば「性的興奮の最高潮」のこと。これについては私にも思い出があります。
未だクラシック音楽初心者だった高校生の頃、民放ラジオ番組に作曲家・芥川也寸志とアナウンサーで女優の野際陽子が特定のテーマについて語り合うクラシック・トーク番組がありました。その一つで芥川氏が取り上げたのが、「ドイツ人が性的興奮を感ずるのがワーグナーのトリスタンとイゾルデ、一方でロシア人はスクリャービンの法悦の詩にオルガスムスを感ずる」という話題。深夜番組でしたから、そのあとで流されたワーグナーとスクリャービンに耳をそばだてて聴いた覚えがあります。

今定期での山田の選曲は、正にワーグナーとスクリャービン。トリスタンではなくパルジファルでしたが、艶めかしい音色はトリスタン以上かも。余談ですが、第1幕への前奏曲はいわゆるコンサート・ヴァージョン。最後に金管でいわゆる聖杯の動機が鳴らされる版で演奏されました。この版、ワーグナー自身が書いたものでしょうか、それとも誰かがアレンジしたのか。いつも気になるのですが、詳しい方がおられましたらご教示願いたいと思います。

話を戻せば、藤倉→ワーグナー→スクリャービンというプログラミングに隠されたテーマ、何となく想像がつくじゃありませんか。これにメシアン、例えば「昇天」でもあれば完璧でしょう。
新年早々オルガスムスというのも気が退けますが、皆さんはどの作品にそれを感じましたか? 私はどれって、敢えて言えばワーグナーかな。感性的にはドイツ人に近いのかもね。それとも明治以来続いてきた音楽教育の所為? それでもホールを出ると鋭い北風、そんな妄想も一遍に吹き飛んでしまいました。

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