日本フィル・第707回東京定期演奏会

日本フィルの1月東京定期は、桂冠名誉指揮者の小林研一郎と、サントリーホールの館長でもある堤剛の共演。二人が紡ぐシューマンが聴き所のコンサートでした。
真に簡明直截なる以下の2曲プログラム。

シューマン/チェロ協奏曲イ短調作品129
     ~休憩~
チャイコフスキー/交響曲第3番ニ長調作品29「ポーランド」
 指揮/小林研一郎
 チェロ/堤剛
 コンサートマスター/木野雅之
 ソロ・チェロ/菊地知也

堤御大とコバケンと言えば日本を代表する巨匠ですが、はて二人の共演って聴いたことがあったか知ら? もちろん今回が初共演ということは無いでしょうが、オーケストラの定期演奏会というメインの舞台では意外ながら珍しい風景じゃなかったかと思います。記録によれば、堤氏が日フィル定期でシューマンを弾くのは今回が3回目だそうですが、全2回は別の指揮者(渡邊暁雄とルカーチ・エルヴィン)でした。
今回選ばれた2曲は、演奏時間からしてもそう長くはありません。演奏会の構成としては最初に短い前菜があった方が纏まりが良いのでは、と考えて出掛けましたが、前置き無く二人の真剣勝負を聴けたのは幸いでした。

シューマンとチャイコフスキー、共に何時でも聴けるというほどの作品ではありませんが、初めてというほどレアな音楽じゃありません。ここはプログラム同様に感想も手短にしましょう。
冒頭のシューマン、最初からチェロが乗る演奏台、それに向かうように左斜めに設定された指揮台が目に入ります。小林研一郎には珍しくスコアを見ながらの指揮でしたが、あくまでもソロに寄り添い、室内楽的な会話に徹する姿勢でシューマンの仄かなるロマンティシズムを十二分に聴かせてくれました。最初からシューマンのコンチェルト、正解でしょう。

二人の年齢を確認すると、小林が2歳年上。それでもキャリアでは先輩格の堤を立てるように、引き立て役に徹していたコバケンさんの謙虚さが印象的でしたね。思い起こせば堤氏、1960年のN響海外公演に同行し、おにぎりが食べられなければ演奏しない、と駄々をこねた話をラジオで聞いたことを懐かしく思い出します。一方のコバケン氏は確かマエストロサロンで、1974年のブダペスト国際指揮者コンクールで年齢制限ギリギリで何とか参加できた、という昔話も楽しく拝聴しましたっけ。二人の巨匠、スタートの時点で既に十数年の差があったことになります。

演奏が終わり、オーケストラのメンバーが楽屋に引き揚げるのはいつもの光景ですが、ソロ・チェロの菊地氏が他のチェロ・メンバーとは逆、舞台下手に向かって行ったのに気が付きました。もちろん堤大先輩への挨拶でしょうが、二人の会話、聞いてみたかったなぁ~。

後半はチャイコフスキー。マエストロは演奏後の挨拶で、余り馴染みの無い曲と語り掛けておられましたが、どうして日フィル定期で私は少なくとも3回は聴きましたね。小林が日フィルの音楽監督だった時代にはチャイコフスキー交響曲全曲シリーズを敢行しましたし、その後にラザレフが態々この第3番を定期で披露してくれました。(ラザレフは読響でも振っています)
確かに音楽界全体では演奏機会が少ないかもしれませんが、少なくとも日フィル定期会員にとってはお馴染みの名曲でしょう。今回も如何にも小林らしい、チャイコフスキーというよりはブルックナーの交響曲に接するようなコッテリした表現で客席から大喝采を浴びていました。

チャイコフスキーの交響曲はバレエ音楽のよう、バレエは交響曲の如し、との名言を残したのは、確かマエストロサロンでのラザレフだったと思いますが、小林研一郎のチャイコフスキーは、交響曲を大シンフォニーとして演奏するのが聴き所。
例えば第2楽章、表記は無いけれど所謂ロシア・ワルツでしょう。ラザレフがあっさりと流れるように指揮したのに対し、小林はドイツ風ワルツ。尤もチャイコフスキーの指定はアラ・テデスカ(ドイツ風)ですから、これが正統かも。
コバケン流チャイコフスキーの中心が第3楽章だったのは明らか。テンポは殆ど止まる寸前で、ここが好き嫌いの分かれ目でしょうね。私は、う~ん、微妙な所ですね。

二大巨匠対決、いつでも聴ける出会いではありません。この日の思い出をいつまでも大切にして生きたいと思いました。

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