久し振りの小川典子、上岡敏之

サマーミューザの2日目、小生は普段聴いていないオーケストラを中心に川崎通いしていますが、昨日は東京・墨田区を本拠地にする新日本フィルを聴いてきました。2016年9月から同オケの第4代音楽監督に就任し、海外での活躍も長い上岡敏之の指揮、開館以来ミューザ川崎シンフォニーホールのアドヴァイザーを務めている小川典子との共演が最大の聴き所でしょう。
上岡の指揮、読響に頻繁に客演していた当時は様々な作品に感心したり、反発したりもしましたが、新日本フィルに移ってからは全く聴いていませんでした。ということで久し振りの上岡です。

ラフマニノフ/ピアノ協奏曲第2番ハ短調作品18
     ~休憩~
プロコフィエ
フ/バレエ音楽「ロメオとジュリエット」組曲から
 新日本フィルハーモニー交響楽団
 指揮/上岡敏之
 ピアノ/小川典子
 コンサートマスター/崔文洙

いきなりラフマニノフの傑作を披露した小川典子、実は彼女も久し振りにライヴ演奏に接しました。川崎ではサマーミューザの期間だけでなく、例えば能楽堂でプロコフィエフを聴いたり、小川の地元である麻生区でのドビュッシー・リサイタルに出掛けたりと、それこそ追っ駆け状態で聴きまくっていたものでした。キャサリン・ストットを迎えてのグレアム・フィトキン作曲サーキット(2台ピアノのための協奏曲)では、小川本人にお願いしてスコアを取り寄せてもらったこともありましたっけ。このスコア、フィトキン自筆の感謝コメントと一緒に大切に保管しています。

小川の演奏から足が遠のいたのは、もちろん当方の心変わりではありません。彼女のステイタスが次第に高まり、中々気軽に声が掛けられなくなったことや、単にこちらのスケジュールが合わなかったため。今回久し振りに彼女の十八番を聴いて、その豪快なピアニズム、真摯な演奏姿勢には些かの緩みも感じませんでした。

プログラムに掲載されていた上岡氏のインタヴューによれば、意外にも小川と上岡の共演は初めてだそうで、正に一期一会のコンサートだったと言えましょう。
話の中で上岡は、“ラフマニノフの第2協奏曲は甘味な曲というイメージがあるかもしれませんが、僕は暗いロマン性をより感じている” と告白しています。今回の共演は、正にこの解釈が演奏の全てだった、と聴きました。

小川のラフマニノフは、以前に何度か接した記憶で言えば、もっとテンポが速く、作品の華麗な側面に光が当っていたように思います。
今回は上岡の指摘する暗いロマン性に重点が置かれ、テンポが遅く、歩みの重いラフマニノフ。協奏曲の場合、これはソリストのテンポなのか指揮者の意図なのか、という議論になり勝ちですが、私の印象では上岡の個性が際立った表現、と感じました。

地元ということもあってか、演奏後には大歓声とスタンディング・オヴェーションも。何度もカーテンコールに応じた小川、コンマスに一言掛けてのアンコールは、同じラフマニノフの練習曲集作品39から第1番ハ短調。本編と同じ調性を選ぶ辺りは流石に彼女の感性だし、ソロでは小川の本性が一気に爆発、更なる歓声が飛び交いました。

後半はプロコフィエフの定番。実は川崎に向かう前に前日のプロムス中継を聴いていたのですが、それもロメオとジュリエットの抜粋でした。イギリスでは今年の秋来日するウイグルスワースが自身のアイディアで主にバレエ全曲版からのハイライトでしたが、上岡は組曲からやはり上岡自身が抜き出して並べたもの。以下はこの日演奏された曲順ですが、取り上げられる機会の少ない第3組曲から2曲も選ばれているのが如何にも上岡流と言えるでしょう。

1.モンタギュー家とキャピュレット家(第2組曲)
2.少女ジュリエット(第2組曲)
3.ジュリエット(第3組曲)
4.ロメオとジュリエット(第1組曲)
5.僧ローレンス(第2組曲)
6.タイボルトの死(第1組曲)
7.別れの前のロメオとジュリエット(第2組曲)
8.ジュリエットの墓の前のロメオ(第2組曲)
9.ジュリエットの死(第3組曲)

プロコフィエフというと大きな編成と大音量というイメージですが、実はプロコフィエフのオーケストレーションは極めて透明で、敢えて言えば室内楽的ですらあります。
上岡の選曲は、恐らくこの点にポイントを絞ったのでしょう。大音量がホールを満たすのは冒頭のモンタギュー家とキャピュレット家、6番目のタイボルトの死くらいのもの。残りは寧ろ数人の弦楽器奏者によるアンサンブルだったり、繊細な感と弦の対話を中心としたピースが選ばれていました。

もちろん上岡の表現も弱音に独特な繊細さを持ち込み、チョットしたフレージングの妙を強調する。
一つ例を挙げれば、2番目に演奏された少女ジュリエットを挙げましょうか。この短いピースを敢えて分析風に分解すると、ヴィヴァーチェのパッセージをA、クラリネットのソロを弦の弱音が支える部分をB、2本のフルートにチェロ・ソロが絡むピウ・トランクィロをCと仮に定めれば、全体はA→B→A→C→B→A→C となりましょうか。これを普通に演奏してしまえば幼いジュリエットの無邪気な姿ということになりましょうが、上岡はBではクラリネットに譜面には記していない膨らみをつけて表情を豊かにしたり、最初のCの前では意識的に間を長く取り、テンポも思い切り落としてCにとりわけ大きな意味を付そうとする。

上岡は、ヨーロッパでは歌劇場での仕事が長く、成功もした指揮者ですから、どんな譜面からもドラマティックなフレーズを見出そうとするのでしょう。ツボに嵌れば快演、あるいは怪演ともなりますが、聴き手によってはハッタリと思われても仕方がない。
良くも悪くも、上岡敏之の振るプロコフィエフ、ラフマニノフだったと言えるでしょう。私はこういう演奏、大好きですけどね。

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