日本フィル・第713回東京定期演奏会

まだ残暑は厳しいけれど、カレンダーは9月。首都圏でも秋の音楽シーズンがスタートしました。私にとってはそのトップバッターが、昨日6日にサントリーホールで行われた日本フィルの東京定期。
9月の日フィル東京と言えば山田和樹、今年が10年目に当たるのだそうです。プログラムもフランス音楽と邦人作品を組み合わせるという基本、これは変わっていません。

サン=サーンス/歌劇「サムソンとデリラ」より「バッカナール」
間宮芳夫/ヴァイオリン協奏曲第1番(日本フィル・シリーズ第2作)
     ~休憩~
大島ミチル/Beyond the point of no return(日本フィル・シリーズ第42作)(世界初演)
ルーセル/バレエ音楽「バッカスとアリアーヌ」第1・2組曲
 指揮/山田和樹
 ヴァイオリン/田野倉雅秋
 コンサートマスター/千葉清加
 ソロ・チェロ/菊地知也

曲目を一瞥すれば判るように、フランスの部はバッカス繋がり。つまりお酒の神様で、秋の収穫を祝す意味もありましょう。
方や日本の部は、ずばり日本フィル・シリーズの再演と新作。今回は第42作ですが、プログラムには日本フィル・シリーズ初演作品の一覧表が掲載されていて、まずはこれを眺めて感慨に耽ります。

山田和樹は、特に日本フィルでは必ず自身でプレトークを行うのが決まりで、この日もプログラムの趣旨、日本フィル・シリーズの作曲家両名にこの機会に初めて会えたこと、各作品のポイントなどを簡潔に語ってくれました。冒頭は最近太ったこと、そろそろダイエットという話題で笑いを誘っていましたが、やはり指揮者は恰幅が良い方が舞台映えするのじゃないでしょうか。
これはあくまでも個人の感想です。

邦人作品を挟んでバッカス讃歌が縁どる、という構図ですが、ここは曲順に感想を。

冒頭のサン=サーンス。恐らく通常のコンサートでも、コアな定期でも、一度は聴いたことがあるというのは、これだけじゃないでしょうか。指揮者の譜面台に置かれていたのが日本で出版されているポケット・スコアだった、というのは軽い驚き。
体格だけじゃなく、その指揮スタイルも放たれる音楽も、最近頓にスケール感を増してきた山田のしなやかな棒が冒頭から炸裂します。バッカナール、やはりティンパニの連打と後半のアッチェレランドがカッコイイ。

前半を締め括るのは、日本フィル・シリーズの再演。山田のプレトークでも話題になりましたが、間宮氏は1929年生まれで、ヴァイオリン協奏曲を作曲したのは1959年(30歳の時)。指揮の山田が1979年生まれで、今回の再演は2019年(40歳)。つまり「9」に縁があるとのこと。
私が日本フィルの定期会員だったのは、大学生だった1965年から1968年までの4年間と、現在の実家に戻って来た1989年から現在まで。日本フィル・シリーズの番号で言えば、実際に初演に立ち会えたのは、第14回から第20回までの7曲と、第34回から今回までの9曲の計16作品ということになります。残念ながら間宮のヴァイオリン協奏曲は中学生の時で(会場は日比谷公会堂)、今回が初体験でもありました。

プレトークに戻れば、1959年の初演でソロを弾いた松田洋子氏は、当時まだ高校生だったとのこと。このような新人を現代作品の初演に起用したこと自体、日本フィルの斬新的な姿勢が偲ばれるじゃありませんか。山田によれば、松田氏は今回の再演を聴きに来られるそうな。そのお姿は記憶の彼方ですが、彼女のソロは渡邊暁雄との定期でプロコフィエフを聴いた記憶があります。

実は間宮氏、私が東京を離れて横浜市の某所で暮らしていた時に、拙宅の筋向いに住まわれていたのでした。当時ゴミ出しの方法で奥様に指導を受けたり、近所の花火を一緒に見物したことを思い出します。いつもバッハを弾かれるピアノの音が響いていたことも。
そんな縁もあり、ヴァイオリン協奏曲は聴く機会も無いままにスコアだけは入手。間宮氏特有の足の裏音楽を頭の中で鳴らしていたものでもあります。

スコアの後書きによれば、この作品は1967年にソ連(当時)とルーマニアで黒沼ユリ子氏によって演奏された時にオーケストラ・パートを改訂。それが手許にある音楽之友社版のスコアなのですね。従って初演の時とは若干響きが違うのかもしれません。
この後書き、間宮氏自身が簡単な曲目解説を書かれており、今回のプログラム・ノート(小沼純一氏)と併せ読まれれば、聴き所は完璧でしょう。

ザックリ言えば、全体はアーチ状。全曲の核は第3楽章「インテルメッツォ」で、この楽章自体が3部形式。特に中間部に登場するわらべ歌から発想されたテーマが全曲の中心で、この部分のみヴァイオリン・ソロは休止となります。
ここを中心に東北地方のある民謡から発想されたテーマ、これを囲むようにマーチ(第2楽章と第4楽章の前半)、更に外枠にピッコロが活躍する中心テーマの変奏でもある第1楽章「プレリュード」と終楽章後半のレントが囲む。冒頭の和音と、全曲の最後に鳴らされる和音は全く同じなのです。つまり、A-B-C-D-C-B-A。
核となるDに到達する時間より、逆行する時間の方が短い。恰も時間を掛けて山頂に至り、一気に下るが如し。この辺りはリヒャルト・シュトラウスのアルプス交響曲を連想すればよいでしょう。

今回のソロを受け持った田野倉は、この秋のシーズンから新に日本フィルのコンマスに就任される名手で、広島→大阪→名古屋の夫々コンマスを経て、神武天皇さながら東征するように東京に乗り込んできたそうな。9月のコンマス就任披露演奏会で見事なテクニックと艶やかな音色で定期会員を魅了してくれました。
後半は客席で同僚たちの奏でる新作とゴージャスなルーセルに耳を傾ける姿も。

その後半、注目のシリーズ第42作初演から始まります。これについては、事前に新宿の朝日カルチャーセンターで行われた大島×山田のレクチャーの模様がユーチューブ(日本フィル・チャンネル)に挙がっていますので、それをご覧になれば全てが理解できるでしょう。
重複になりますが、大島氏は「女性初の・・・」と書かれる局面が多いようで、今回も女性初の日本フィル・シリーズとなります。

新作のタイトルは、二度と戻れない地点の先に、というような意味で、具体的には作曲家が活動拠点であるアメリカやフランスで見た難民たちの現状と将来が発想の原点なのでしょう。
8分の5拍子が繰り返し登場し、山田は歩くのも5拍子になっちゃう、と苦笑していた程。カルチャーセンターでのトークから得た貴重な情報では、最後の息詰まるようなアッチェレランドは阿波踊りのイメージなのだとか。それに先立ってチェロ・ソロ(菊地知也)のメランコリックな夢想が好対照を成していることにも注意しましょう。

聴いていて、いや見ていて楽しかったのは、打楽器の福島喜裕氏の妙技。恐らくフレームドラムという楽器の撥でしょうか、それを口にくわえて大太鼓を叩き、次の瞬間に加えていた撥を左手でサッと採ると、右手に構えたドラムを痛打する。その姿のカッコ良かったこと。これだけでも演奏会に出掛ける価値があろうというもの。

邦人作品に時間を取り過ぎました。ルーセルはフランス以外ではほとんど知られていませんが、二つの組曲は、即ちバレーの第1幕と2幕に相当し、これでバレエ「バッカスとアリアーヌ」全曲となります。
滅多に演奏されない、というトークでしたが、実は日本フィルには縁があり、遥か昔にシャルル・ミュンシュが定期で振っていました。長い指揮棒をブンブン振り回して日フィルを煽る姿(テレビで何度も見ました)を思い出します。
その前にはブルーノ・マデルナも、後にはルイ・フレモーも取り上げたほど。それらは何れも第2組曲のみでしたが、確かに第1組曲の全曲を聴けたのは今回が初めてでしょう。

更に記憶を辿れば、前回第2組曲に接したのは、確か東フィルの定期。これを大得意にしていた故山田一雄の指揮でした。新旧ヤマカズのルーセル。思わず記憶の糸を辿ってしまった定期でもありました。

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