日本フィル・第350回横浜定期演奏会

日本フィルの2019/20シーズン、横浜定期が昨日28日にみなとみらいホールで開幕しました。
新シーズンということで、配布されたプログラムのデザインも僅かながら変わっています。印刷されていた曲目は、

伊福部昭/日本組曲~第1曲「盆踊」、第3曲「演伶」、第4曲「佞武多」
井上道義/メモリー・コンクリート
     ~休憩~
リスト/死の舞踏
リスト(カール・ミューラー=ベルクハウス編)/ハンガリー狂詩曲第2番ハ短調
 指揮/井上道義
 ピアノ/アリス=紗良・オット
 コンサートマスター/木野雅之
 ソロ・チェロ/辻本玲

井上道義が自作を振る、という個所に先ず目が行きましたが、例によって開演前に開催されるオーケストラ・ガイドから。今回は小宮正安氏の担当です。
冒頭、小宮氏は前日に同じプログラムで行われたさいたま定期演奏会に触れ、大宮ソニックシティで開催されている定期には毎回テーマが掲げられていることを紹介し、そのテーマは「記憶」であった由。記憶と言えばメモリー、井上作品に連想が繋がりますが、氏のトークはそこからスタートしました。

“このコンサートのテーマは記憶、あるいは辺境と言っても良いでしょう”と語り掛けた小宮氏、そこには「外からの眼差し」という意味が含まれていると示唆。即ち冒頭の伊福部昭氏は北海道出身で、明治以降の東京を中心にした西洋音楽導入の動きから見れば、あまりにも辺境的、野性的に過ぎたのだろうと、プログラムの曲目解説にも書かれていました。
加えて、この作品を肯定的に評価したアレクサンドル・チェレプニンもロシア革命で祖国を逃れ、フランスに亡命した作曲家。チェレプニン自身が当時の音楽界を外からの眼差しで見つめていたという共通点もある。

そして後半のリストもまた、ドイツ系ながらハンガリー人としての意識を抱くようになり、外からの眼差しを忘れなかった巨匠と見るのです。
今回の演奏で使用されるハンガリー狂詩曲第2番のオーケストラ版は、ドイツ出身のヴァイオリニスト、指揮者、作曲家として活躍したカール・ミューラー=ベルクハウスによるアレンジ。小宮氏はこの編曲者にも注目し、ここでも外からの眼差しを指摘されました。
即ちベルクハウスは、40歳の時に当時の音楽界では辺境だったフィンランドに移住し、トルク音楽協会の指揮者として活躍。更にフィンランドの民話・伝承であるポヒョラ、カレワラなどを材料にした作品を発表していたとのこと。これらはシベリウスが嚆矢だったと思われがちですが、実は辺境の地に於いて、外からの眼差し中央音楽界を見ていた音楽家の視点があった、ということがコンサートの隠れテーマ。いつもながら幅広い視点で名曲たちを解きほぐす小宮教授の話術に惹き込まれました。

その記憶プログラム、前半は邦人作品が並びます。9月は東京定期でも日本人作曲家の作品を並べた日本フィルですが、横浜もこれに連動したかのよう。来年は日本書紀編纂1300年に当たることでもあるし、改めて我が国音楽界の歩みに想いを寄せる絶好の機会と捉えましよう。
最初の伊福部作品は、プログラムにも紹介されていたように、本来は1934年にスペインのピアニスト、ジョージ・コープランドのために書かれたピアノ独奏曲。管弦楽版はずっと後、1991年になって「サントリー、作曲家の個展」に際して伊福部自身により編曲され、その年の9月17日に初演されたもの。その初演を担当したのが、今回と同じ井上道義指揮の日本フィルでした。

従って今回の演奏は初演の再現でもありますが、全4楽章の内第2曲「七夕」は割愛されました。七夕は短く静謐な音楽で、音量もメゾ・フォルテ以上には出ません。
日本各地の伝統的な舞のメロディーやリズムが採用された馴染み易い作品で、第3曲の演伶は「ながし」、第4曲・佞武多は「ねぶた」と読みます。特に演伶の「伶」の字は環境依存文字で、機器によっては正しく表記されないかもしれません。

恐らく殆どの聴衆が初体験だったと思われますが、マエストロの指揮、というよりは踊りに近い仕草に客席も大喝采。9月の東京・横浜両定期の録音を1枚に纏めて日フィル独自CDにして貰えないものでしょうか。

続いては、作曲者自作自演のメモリー・コンクリート。これまた聴き慣れない作品で、演奏前にミッチー自身が解説を交えて内容に触れます。いろいろな聴き所が紹介されましたが、要するに井上道義の自伝的な音楽、というかパフォーマンス。私小説ならぬ私音楽とでも呼びましょうか。
全体は四つの部分から構成されているとのことでしたが、明確な区切りはありません。中でも指揮者によるカデンツァなる部分があって、多分ここは演奏するたびに趣向が変わるものと想像されます。今回は横浜みなとみらいホールでの演奏とあって、マエストロが客席に向かって釣竿を垂れる。“釣れねえなぁ~”などとブツブツ言っている内に、大きな音がして釣れたのは、何とアヒルの親子(もちろん縫い包み)。
おっとこれ、ネタバレになっちゃいますが、恐らく前日の大宮、今日の相模原では別のパフォーマンスが準備されているんでしようね。

その他ミッチーの記憶に出没する現実の音、カエルの声、ビールジョッキ(父親が酔っ払って歌う黒田節のあと)はハッキリ分かりましたが、年代物のタイプライター、サイレン、70年前の電車の音、黒電話などは何処で出ましたっけ? 作品のタイトルにあるコンクリートには思い出を固めるということの他に、自然音や騒音を録音、加工して再構成するミュージック・コンクレートという意味もあるのでしょう。
それにしても釣れたアヒル、井上自身が自宅でアヒルを飼っているということを知らない方々には意味不明だったかも。ミッチー流の皮肉に大笑いでした。

かつて日本フィルが東京定期の前にマエストロ・サロンを開催していた頃、井上道義も何度かサロンに出演されました。必ず話題になっていたのが“オレのメモリー・コンクリートをやりたい”という提案。長い間はオケ側は拒否していたようですが、やっとのことで実現したのが今定期。噂には聞いていましたが、初めて秘曲を聴く、いや見ることができましたわ。この日の記憶・辺境プログラムには最適な作品?だったかも。オケの皆さん、本当にご苦労様でした。

当然ながら拒否反応を示した聴き手も少なからずいたようで、呆れて前半で帰っちゃった会員も。でも後半をパスした諸氏、実にもったいないことをしましたね。オットを迎えた珍しい死の舞踏、井上のダンシング・コンダクト炸裂のハンガリー狂詩曲に客席は大いに沸いていました。
特に死の舞踏でいくつも登場するピアノのカデンツァ、狂詩曲前半「ラッサン」での見事なクラリネットのカデンツァ(名手、伊藤寛隆)に息を呑む想い。今回のプログラムでは指揮者・ピアニスト・クラリネット奏者の3人によるカデンツァ競演という共通項も見出しました。

ソリストのアンコールはサティのグノシェンヌ第1番。オーケストラも指揮者の短いスピーチに続き、アリスの気分でハロルド・アーレン作曲「オズの魔法使い」からオーヴァー・ザ・レインボー、でした。
ところで「虹の彼方に」、今年のプロムス・ラスト・ナイトでも歌われましたが、不思議な繋がりがあったのかもしれませんネ。

華麗なオットのピアニズム、道義ワールドに酔った多くの聴衆が、演奏会終了後の二人によるサイン会に長~い、長~い列を作っていました。もちろんアヒルの親子も同席で・・・(笑)。

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