ウィーン国立歌劇場アーカイヴ(27)

私にとってドビュッシーの「ペレアスとメリザンド」は余り馴染みのないオペラで、今日ウィーン国立歌劇場のアーカイヴで配信されている舞台は、この作品を良く知る絶好の機会だろうと思っています。
このオペラの日本初演が行われた直後の楽壇の雰囲気は何となく知っていて、当時初めて手に取ったレコード芸術誌などにも論評などが色々出ていたことを思い出しました。遥か後年、この日本初演を指揮したジャン・フルネが日本フィルのマエストロ・サロンに登場し、当時の初演に至る経緯・裏話などを伺ったことも今や昔の懐かしい思い出です。

さて今回、改めて全編を通して聴き通しましたが、この作品が一般的なオペラ・ファンの共感を得るには相当な時間も掛かり、聴き手の円熟も必要だろうということも理解できましたね。歌手には所謂アリアは与えられておらず、重唱も合唱(僅かに舞台裏から聞こえてくる水夫の合唱があるだけ)もほとんど無し。フランス語会話のアクセントやニュアンスがそのまま音符に置き換えられているようで、フランス語のイントネーションに疎い人間にとっては理解が困難。その点、日本語字幕があるのは有難い限りですが、その台詞には暗示的、象徴的な内容が多く、一時たりとも見逃せないという緊張感が必要になります。

それでも、このオペラが20世紀の傑作の一つであることを確信できる素晴らしい公演であったことは間違いないでしょう。2017年6月30日の公演記録とのことで、キャストは以下の通りでした。

ペレアス/エイドリアン・エレート Adrian Erod
メリザンド/オルガ・べズメルトナ Olga Bezsmertna
ゴロー/サイモン・キーンリーサイド Simon Keenlyside
アルケル/フランツ=ヨーゼフ・ゼーリヒ Franz-Josef Selig
ジュヌヴィエーヴ/ベルナルダ・フィンク Bernarda Fink
イニョルド/マリア・ナザロヴァ Maria Nazarova
医師/マーカス・ペルツ Marcus Pelz
指揮/アラン・アルティノグリュ Alain Altinoglu
演出・舞台装置・照明/マルコ・アルトゥーロ・マレッリ Marco Artyro Marelli
衣装/ダグマール・ニーフィンド Dagmar Niefind

このオペラの伝統的な舞台、標準的な演出がどのようなものかは良く知りませんが、今回のマレッリ演出が伝統的なそれとは異なり、極めて象徴的・暗示的なものであろうということは想像できました。
演出・舞台・照明を一手に引き受け、ニーフィンドが衣装を担当しているということでは、これまでウィーン国立歌劇場の舞台で見た「トゥーランドット」、「カプリッチョ」と共通しています。マレッリ/ニールンド・コンビに共通しているのは、冒頭の場面が後半、あるいは幕切れで再度登場し、シンメトリックに構成するという意図があることが、先ず挙げられるでしょう。

トゥーランドットではカラフ=プッチーニが第1幕開始前と、第3幕冒頭とで共通の舞台装置の中で演じられていた。カプリッチョでは、冒頭と幕切れで同じシーンを使って、オペラ全体を縁取る額縁の様に見せていた。
ペレアスとメリザンドでこれに相当するのが、ゴローの自殺未遂でしょう。ゴローが自害するという暗示は原作には無いと思われますが、第1幕冒頭の森で迷ったゴローが銃口を喉に当てて自害しようとして思い留まるシーンが出てきます。そしてオペラの幕切れ、自身に絶望したゴローが自殺しようとするのを、息子のイニョルドが引き留めて悲劇は回避される。明らかに演出家が敢えて取り入れたアイディアじゃないでしょうか。
そう言えば、トゥーランドットでもトゥーランドット姫がナイフを喉に当てて自殺しようとして思い留まるシーンがありましたっけ。マレッリは余程自殺シーンに拘っているものと思われます。

今回の演出では、全5幕とも同じ舞台装置が使われ、常に「水」が中心に置かれている。舞台中央に水を張った一角があり、それが時に泉であったり海辺であったり、古井戸の底であったりする。そしてボートがいつも浮かべられているのも象徴的で、それが有名な塔のシーンの舞台でもあり、ゴローがイニョルドを使ってメリザンドの部屋を覗かせる踏み台にもなる。そして最後には、メリザンドの死の床としても使われていました。
実際に現物は出てこないけれど、「扉」という文言が暗示的に使われるのも特徴でしょうか。これはマレッリ演出というより、メーテルリンクの原案・台本に拠っていることでしょうが。

更には黙役が多く登場するのもマレッリ演出の見所で、本来のオペラでは描かれないペレアスの父親が舞台上方に見えます。最初は重病で、幕が進む度に回復し、最後はメリザンドに付き添ったりもする。これ、通常の演出ではどうなんでしょうか。
他にも羊飼いがボートで横切ったり、3人の物乞いが登場したり、メリザンドを看取って彼女を黄泉の国に連れて行く女たちも出てきます。最後の場面、夕焼けの赤が印象的でした。
因みにマレッリ/ニーフィンドのコンビは、新国立劇場の「ドン・カルロ」でもコンビを組んだそうで、評判はどんなものだったのでしょう。

指揮者アルティノグリュにも大注目です。彼は先日の「トロイ人」でも見事なコントロールを聴かせてくれましたが、今最も注目すべき指揮者の一人でしょう。2018年のプロムスでロイヤル・フィルと「ダフニスとクローエ」全曲を中心としたプログラムをネット・ラジオで聴いたことがありましたが、今回の「トロイ人」と「ペレアスとメリザンド」で私の視野にもはっきり入ってきましたね。
特に「ペレアスとメリザンド」は自家薬籠中のレパートリーのようで、先のベルリン・フィル定期では自身が編んだという組曲を振っているそうです。イスタンブール出身のアルメニア系でパリ生まれ、という複雑なファミリーのようですが、現在はモネ劇場の音楽監督。これからもウィーンを初めとして様々なオペラハウス、オーケストラで聴く機会も多くなると思われます。本来なら4月の「ばらの騎士」も振る予定でしたし、6月28日にライブ中継される筈だったガラ・コンサートの指揮者の一人としても名前が挙がっていましたからね。

ペレアスのエレート、メリザンドのべズメルトナもウィーン国立歌劇場のアンサンブル・メンバーですし、事実上の主役とも言えるゴローを歌うキーンリーサイドの見事な歌唱と演技は圧巻。この機会に「ペレアスとメリザンド」を自分のレパートリーに加えましょう。
休憩は第3幕と第4幕の間に入りますが、配信は休憩なしの3時間ほど。一気に見てしまいました。

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