入院顛末記
暇潰し損ねネタ
ということにしておきましょうかね。無事に帰ってきました。が、ですね。
当初は大きいポリープを一度に切除するのは負担が大きい、ということで今回は一つ取りましょう、という話でした。
ところがやってみると調子が出た、のかどうかは知りませんが
“大丈夫ですか、もう少し頑張れますか”ってなことで、結局大きいポリープを二つ取ってしまいました、とさ。
内視鏡カメラを使って焼き切るんですが、痛いものじゃありません。ただ、空気を送り込んで腸を膨らませるので、お腹が張るのなんのって。これを我慢するのが結構きついんですよ。
“もう限界じゃあ~~”
と言う辺りで無事終了。全部で40分位でしたかね。体感的にはもっと長く感じましたわ。
腸の患部が火傷状態になっていますから、
“入院は2泊にしましょう”ということで、アッサリ9日の日本フィルは断念。まぁ、そういうバヤイじゃないですからね。
ということで2泊し、今日釈放されました。
最初は1泊のつもりでしたから、こりゃどうやって暇潰しすべえか、と思いましたがね、さすがに疲れたんでしょう。朝寝、昼寝、夕寝をしたあげく、夜もぐっすり寝てきました。
食事は摂れません。9日の昼と夜に栄養補給のドリンクが少々、やっと今朝になって50%のお粥をおいしく頂きました。
2泊して作曲家・人と作品シリーズから松端麻利著「ドビュッシー」を読了しました。先日買ったものの未読だった新刊。
で、偶然ながら知ったこと。
ドビュッシーは直腸癌で亡くなりましたが、最初の徴候が表れたのは1907年の今頃、8月初旬、プルヴィルでのヴァカンス中だったんですって。丁度100年前の出来事です。
このときドビュッシーは45歳、病はそのまま進行し、10年後の55歳で亡くなります。
医学の進歩のお陰で、腸の中をカメラで検査し、開腹せずに患部を切除する技術が開発され、私も何とか早期発見の段階で施術することができたんです。
もしドビュッシーの時代にもこういう技術が開発されていれば、我々はどんな音楽を聴けたんでしょうか。ついつい歴史の「もし」を考えてしまいましたわ。
担当のドクターIが言ってましたが、“成人病検診で見つかる大腸ポリープは半分ぐらいなんです。45歳になったら2年間隔ぐらいで内視鏡検査を受けた方がいいんですがね”
おぉ、ピッタリじゃ。
そうそう、まだこれで終わりじゃないんです。今回切除したポリープが善玉か悪玉か、癌化しているか否かは8月末に顕微鏡検査で判明します。それにもう一つ中玉ポリープも残っていますからね。次の入院計画を立てなきゃいかんのです。
またまた、やれやれ・・・。
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