亥年生まれの大作曲家
2008年、無聊を慰めるために始めたお遊びでしたが、何と12年目を迎えてしまいました。子年の最初はその時限りの積りでしたが、遂に干支を一巡、今年は遂に亥年となった次第。来年以降は同じことを繰り返しても仕方がありませんから、今回が最終回となります。
これまでに倣って亥年生れの特徴を並べたてると、先ずは「猪突猛進」が思い浮かびますね。向こう気が強く、喧嘩っ早い。自尊心が強い。辻褄合わせが巧く、要領が良い等々。
以上は比較的マイナスな面として挙げられる性格ですが、良い方に解釈すれば芯が強く、滅多なことでは折れない。正義感が強く、弱い者の味方。頑固で厳しい等と言い換えることも出来るでしょう。これを作曲家という職業に当て嵌めると、一つのことにジックリ取り組み、クオリティーは高いということになりましょうか。
その視点から「大作曲家」と呼べるような人物を古い順に探していくと、先ずぶつかるのが1563年生れのダウランドでしょうか。しかし残念ながらこの時代の作曲家像には詳しくないので先を急ぐと、1587年生れにシャイトの名が見つかります。時代的にはバロック音楽初期に当たりますが、シュッツ、シャインと並んで俗にドイツ三大Sの一人とされるシャイトは、若い頃にアムステルダムでスウェーリンクに学んだオルガニスト。30歳を出た頃にハレのオルガニストに着任し、30年戦争もじっと耐え忍んで生涯ハレを離れることなく67年の生涯を全うしました。亥年の良い面が出た作曲家と言えるでしょう。
次なる大物は、中期バロックを代表する英国のパーセルで、1659年生まれ。音楽史ではパーセル以降イギリスは作曲家不毛の時代が長く続くとされていますが、これにはパーセルが僅か36歳という若死にだったことも影響しているように思えてなりません。短い生涯の中でも膨大な作品を残し、モーツァルトを先取りしたような大天才。不勉強で人物像などは良く知りませんが、正に猪突猛進で一生を駆け抜けたのかもしれません。長生きして楽派を形成したり、教育面でも実績を残せば、英国音楽の不毛などという不名誉なレッテルは無かったのかも・・・。
1671年生れのアルビノーニは中庸なイメージですが、1683年に産まれたラモーは粘り強い亥年の性格が当て嵌まるでしょう。ラモーの経歴ほど異常なものはなく、多くの大作曲家が若い頃から才能を現した天才型なのに対し、この人は絵に描いたような大器晩成型。学生時代の成績は酷かったそうですし、成人してからも手紙の綴りは間違いだらけだったとか。
50歳を越えてから作品が認められ、パリに定住して81歳で大往生を遂げるなど、「一つのことにジックリ取り組み、クオリティーは高い」作曲家の典型でしょう。
古い時代に長居をし過ぎましたので先を急ぐと、1695年のサンマルティーニ、1743年にはボッケリーニ、1791年生れのマイヤーベーアとツェルニーを経て、1803年のベルリオーズに到着します。
全ての亥年生まれ大作曲家を見渡して、ベルリオーズほど亥年生まれがピッタリ来る作曲家はいませんね。偶然とはいえ今年が没後250年に当たるベルリオーズ、正に2018年に聴くべき大作曲家と言えるでしょう。ハリエッタ・スミスソンへの一途な恋を貫き通し、破天荒な作品を残した猪突猛進。必ずしもフランスでの人気は高くないというのが皮肉です。
このあとは名前を挙げればイメージが湧いてくるような作曲家が続きます。1839年のムソルグスキー、1851年ダンディー、1863年のピエルネと続き、1875年にはラヴェルが生まれます。ムソルグスキーのピアノ曲「展覧会の絵」をラヴェルがオーケストレーションして天下の有名曲になりましたが、同じ亥年生まれの誼だったとは、泉下のムソルグスキー、ラヴェルも気が付くまい。
1887年のヴィラ=ロボス、1899年にはプーランク、1923年のリゲティ、1935年生れのサリネンと、亥年生まれの伝統が引き継がれていることを紹介して、三が日のお遊びコーナーはお開きとすることと致します。
始めまして、明けましておめでとうございます。
白井です。圭の父です。
素晴らしいご感想を有難うございます。
今後とも宜しくお願い致します。
圭も今年が年男です。