N響・第1662回定期の放送

N響12月のC定期もシャルル・デュトワならではのプログラム。チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲とヤナーチェクのグラゴル・ミサ曲の組み合わせです。12月11日のNHKホールでの収録。

チャイコフスキーでのヴァイオリンのソロはアラべラ・美歩・シュタインバッハー。2年前にベートーヴェンで素晴らしい演奏を聴かせ、その美貌でも魅了した若手女流。私も惹きつけられた一人ですわ。
1981年生まれということですから、この演奏の時は28歳。父がドイツ人で母親が日本人というハーフです。

天は二物を与えず、と言いますが、この人などは二物を与えちゃった実例でしょうねぇ~、神様は不公平だと思います。

チャイコフスキーはよくあるカットを全く施さない完全全曲版。極く一部を除いて、慣習的にオクターヴ上で弾く個所も楽譜通りに弾いていました。
演奏も見事なもので、ストラディヴァリウスを弾きこなすというだけでも大したものだと思いますね。

何でもムターが彼女を大いに気に入り、弓をプレゼントしたという噂があります。ボスにプレヴィンを迎えたN響では今後も度々登場する機会がありそう。おっと、これは下衆の勘ぐりか。

後半のヤナーチェク、N響では1981年以来2回目とのことです。

記録を調べてみると、1981年10月はアルド・チェッカートの指揮。ソリストはユリア・ヴァラディ、伊原直子、小林一男、勝部太という懐かしい面々。合唱は国立音大でした。
因みにこの時は前半がモーツァルトの「ジュピター」交響曲というプログラム。

今回はソプラノ/メラニー・ディーナー、アルト/ヤナ・シーコロヴァ―、テノール/サイモン・オニール、バス/ミハイル・ペトレンコ、合唱/東京混声合唱団。合唱指揮は広上の弟子でもある松井慶太、オルガン・ソロは小林英之という顔ぶれです。

この演奏で注目すべきは、チャールズ・マッケラスの校訂した版で演奏していたことでしょう。

グラゴル・ミサはレコードなどでもそうですが、普通はユニヴァーサル版が使われます。私の手元にあるアンチェル/チェコ・フィル盤にしてもラトル/フィルハーモ二ア盤にしても、みなこれで録音されています。

ところが状況が変ったのは、ヤナーチェクの演奏に就いては一家言あるマッケラス卿が1984年にチェコ・フィルとのコンビでスプラフォンに録音した演奏。
この中でマッケラスはヤナーチェク自筆譜の不明な点や読み誤りを訂正して、新たな校訂を加えているのです。

具体的には、

“第5楽章「サンクトゥス」の第182小節と第183小節の間に十数小節が挿入されることになり、そこでこの楽章の後半「ベネディクトゥス」の部分を特徴づけるフィギュレーションとファンファーレ風の動機からなる管弦楽の間奏と、合唱の「いと高きところにホザンナ、いと高きところにホザンナ!」とが各3回ずつ繰り返されるようになって”(マッケラス盤の佐川吉男氏による解説)いるのですね。

他にオルガン・ソロの楽章にもユニヴァーサル版とは少し異なる個所もありました。歌唱はもちろん古代スラヴ語。

ソリストではアルトが左側に置かれていたのは、作品での重要度がソプラノの方が上だからでしょう。

演奏も正にデュトワ渾身の名演というべきで、放送からでもマエストロの気合が伝わってきました。
ただ、やはりこういう作品はナマで聴いてこそのもの。テレビでは感動の半分も味わえないと覚悟しなければなりますまい。

惜しむらくは最後の拍手がフライング気味で、見ていて白けます。こういう暴挙をする輩は、何処が終わりか知っているのを誇示するために態々拍手するのでしょうが、楽譜には最後の休符がシッカリ書きつけられていることを御存知ない様子。

N響の不幸は、こうした無神経な聴衆が多いこと。折角のデュトワの名演も感動を殺がれた形でした。

 

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