今年の霧ケ峰

去年に続いてクァルテット・エクセルシオが蓼科の隠れ里「むさし庵」でコンサートを開くことになったので、今年もこれに合わせて霧ケ峰に滞在することにしました。
宿はもちろん、私どもの定宿「クヌルプ・ヒュッテ」。

当初はコンサート当日の7日に蓼科に直行、その日のクヌルプ泊を計画していたのですが、中央道の渋滞を懸念して前日に霧ケ峰入り、急遽2泊に変更します。

計画通り渋滞もなく、霧ケ峰入りは6日の昼。途中通過した甲府盆地は35度の猛暑でしたが、現地は通り雨が降っていたこともあって25度に届くか届かないかの気温。久し振りに真夏日から解放されて一息つきました。

立ち寄った双葉サービスエリアでは、立秋を告げるようにツクツクホウシが鳴いていたのが印象的。正に気象予報士たる寒蝉の面目躍如でしょう。

20数年ほぼ毎年通っている霧ケ峰なので、何処にも寄らず真っ直ぐにクヌルプ入り。ヒュッテ周囲の花々や昆虫たちに1年振りの挨拶を交わします。

今年はニッコウキスゲ(ゼンテイカ)が不作。宿の松浦父子の話では、春先の天候不順と鹿による食害の影響とか。そもそも今は時期的に遅いのですが、現地にも来る途中にもキスゲの姿は全くありませんでした。
7月初めのレンゲツツジは例年通りだったそうですから、改めて生態系の微妙さに想いを馳せます。

大好きなチョウたちにも異変があるように感じました。いつもなら夥しい数のヒョウモン類が舞い飛ぶ霧ケ峰ですが、今年はあまり見かけません。数年前にはヒュッテ周辺に多く見られたヒョウモンモドキは全く姿を見せず、はっきり確認できたのはウラギンスジヒョウモンだけという寂しさ。

チョウ全体が不作かと言うとそうではなく、クジャクチョウ、コムラサキ、エルタテハは健在。私は遭遇しませんでしたが、キベリタテハも順調に出始めている由。
エルタテハなどはいつもより多い位で、素人写真家にも美しいポーズを取ってくれました。

一度少なくなったように感じたゼフィルス(メスアカミドリシジミ)も、いつもの沢で卍巴飛行が復活しています。
アサギマダラは例年より多い印象で、そこらじゅうにあるヨツバヒヨドリで食事に夢中。

午後になって義理の姉夫婦到着。初めての霧ケ峰ということで、八島湿原の入口まで散歩。彼らは車山に登ってからクヌルプに来るコース、山頂で雷雨に見舞われた由。
夜は子供の頃に戻って花火に興ずるのは、初めて山荘を訪れた時以来かも。

二日目は早めに帰る姉夫婦を見送り、暫く周囲をブラブラしてから蓼科へ。大門の交差点から白樺湖沿いに下山し、中途で茅野方面に折れて会場のあるチェルトの森というコース。予定より早く45分ほどで到着しました。
去年は雨に煙っていた蓼科、今年は真夏の太陽が降り注いで暑いくらい。いかにも避暑地のコンサートという雰囲気です。

庵に向かう途中で東京から駆けつけたМ氏に遭遇、一緒にむさし庵入り。(コンサートの概要は別記のとおり)

終演後、М君を茅野駅まで送り、再び甲州街道を南下して元町からビーナスラインを上り、クヌルプへ。茅野に寄っても1時間15分ほどのドライヴでした。この間雨に降られることもなく、標高の低い茅野やむさし庵は多少暑い思いをしたものの、快適な空気の中に居た一日。

その夜から翌日にかけては、松浦翁との四方山話に盛り上がります。

特に谷内六郎、宗次郎、佐伯泰英氏などが無名時代にクヌルプに泊まり、その後大ブレイクしたという話題は興味津々。その他、盆栽を海外に広めた方、日本人ながらヨーデルで世界を極めた歌手、ヴィオラ・ダ・ガンバの権威等々、クヌルプから世界に羽ばたいた佳人の如何に多いことか…。

松浦翁の人柄に加え、「クヌルプ」(漂泊者)というヒュッテ命名の妙に感嘆する一刻ではありました。
正にパワースポットとしてのクヌルプ。身を立て、世に出でんと志す者はクヌルプに泊まる可し。

翌8日は日曜日のこととて、渋滞を避けて9時頃クヌルプ発。
途中、ビーナスライン沿いに鹿の姿を目撃し、噂の正体を確認しました。これほど人間の近くに鹿が出現するのを見たのは初めてのこと。環境保全の難しさを垣間見た感がしました。

スムーズなドライヴで昼には東京着。この選択は大正解だったようで、夕方のニュースでは、中央高速の上りは30キロの大渋滞だった由。クヌルプの霊験灼也、か。

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