午年生まれの大作曲家

お正月のお遊びネタ第三弾、今年が6回目で、丁度半分回ったことになります。あと6年続ければシリーズとして完結することになりますが、果たしてそこまで続くかどうか。さて「午」は厳密に言えば「馬」とは違うようですが、競馬好きの当欄としてはサラブレッドのことと勝手に解釈しましょう。
いずれ何処かで触れることになると思いますが、今年はシンザンが三冠を達成してから丁度50年の節目にも当たり、名馬の誕生にも期待が掛かります。
おっと、ここは午年生まれの大作曲家というお題ですから、拙ブログのもう一つの柱でもあるクラシック音楽の話題に転じましょう。

毎年のように高嶋歴によれば、午年生まれの人は陽気で変化大好きの行動派とのこと。何となく当て嵌まる大作曲家も多そうな年回りですね。好奇心旺盛、一つ所にジッとしていない社交家を探してみましょうか。
また別の資料にはお洒落で、神経は繊細で感受性が強いともあります。まぁ、当たるも八卦、当たらぬも八卦としておきましょう。

そろそろ午年生まれ探索の度に立つと、最初に遭遇するのが1510年生まれのアンドレア・ガブリエリ。甥のジョヴァンニと並んでヴェネツィア楽派の大家ですが、古過ぎて性格までは良く判りません。それでも膨大な作品群や名声から判断するに、かなりの行動派だったことは間違いなさそう。そうそう、ジョヴァンニは去年、巳年生まれの作曲家として紹介しましたっけ。
次に1714年にはエマヌエル・バッハとグルックが出てきますが、この二人は生誕300年でも登場しました。300は12の25倍ですから当たり前ですね。ここでは名前だけに留めるとして、

1774年のスポンティーニ、1786年ウェーバー、1798年のドニゼッティを経て、1810年にはショパンとシューマンに遭遇します。ショパンは洒落者に通じ、シューマンは繊細で感受性が強い代表格でしょう。この年はウィーン・フィルの創設者とされるオットー・ニコライも出てきます。ニューイヤー・コンサート向きの話題。
1822年のフランクは午年にはほど遠い性格の様にも見えますが、1858年のプッチーニはピタリかもしれません。社交的で洒落者と言えば彼を措いて他にはない、とは言い過ぎか。

そのプッチーニが憧れていたというレハールも、1870年生まれの午年。二人が会ったことがあるのかどうかは不勉強で知りませんが、恐らく「ウマが合った」でしょうね。

午年が本領を発揮し始めるのが1882年のストラヴィンスキーからで、変化好きという点では彼の右に出る人はいますまい。大編成の春の祭典で度肝を抜いたかと思えば、一転して新古典主義に走る。人々が追い付く間もなく十二音に変身なと、午年の真骨頂でしょう。コダーイ、マリピエロ、トゥリーナもこの年回り。
一回り飛ばして1906年生まれには、同じロシア(ソヴィエト)出身のショスタコーヴィチが・・・。謎多き生涯でしたが、変化という意味では相当な午年振りでした。

次の1918年は、大指揮者でもあったバーンスタインの生まれた年。彼は一貫してバーンスタインの個性丸出しの作品を書き続けましたが、それでもアメリカとヨーロッパを縦横無尽に走り回っていました。もちろん日本でも大変な人気で、札幌に創設した音楽イヴェントは現在でも引き継がれているのはご存知の通り。
日本が話題に出た所で、1930年生まれの大作曲家に登場願いましょう。そう、武満徹。彼を見出したのがストラヴィンスキーだったというのも、同じ午年生まれの好だった、なぁ~んていうのは初夢の続きでしょうか。ムヅカシイ現代音楽の旗幟かと思えば、映画音楽や歌曲でホロリとさせる。どちらが本当の武満だったのかは判りませんが、両方ともそうであったというのが午年生まれの本質なんでしょうね、きっと。

と納得した所で、今年もお開きに。

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