クラブツーリズム貸切公演
何気なく自分のブログをチェックしていたら、演奏会カテゴリーではこれが丁度600本目の日記となります。2006年の10月からですから、8年弱でのこの数字。
クラシックには興味ない方には極めて多い数字と思われるかもしれませんが、良く演奏会で見かける方には大したことも無い回数でしょう。そんな区切りとなる600回は、
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昨日はチョッと珍しいコンサートを聴いてきました。会場は渋谷のオーチャード・ホール。平日の昼間、コンサート情報誌にも載っていない演奏会で、大手旅行会社が企画する貸切公演。
歳を重ねた所為か、そもそも渋谷という町は体質に合わず、ここ10年ほどは降り立つことも無かった大都会です。そんな場所に勇気を奮って出掛けたのは、どうしても聴きたい企画だったから。ご覧あれ、こんな演奏会です。
R.シュトラウス/交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」
ハイドン/トランペット協奏曲変ホ長調
~休憩~
ブラームス/交響曲第4番
管弦楽/日本フィルハーモニー交響楽団
指揮/広上淳一
トランペット/オッタヴィアーノ・クリストーフォリ
コンサートマスター/扇谷泰朋
解説/奥田佳道
司会/山田美也子
何を隠そう、私共はかなり以前からクラブツーリズムの会員で、定期的に機関誌なども送られてきていました。特に旅行好きというワケでもありませんが、偶にこれを利用することもあったのです。
当クラブではコンサートを楽しむという企画も以前から行っており、これまではどちらかと言えばクラシック初心者を対象にした気軽な催しが目に付きました。今回は「音楽の都ウィーンをめぐる3巨匠の世界」ということで、会員にはチケット優先販売があります。
ネットで申し込み、応募が予定を超えれば抽選と言うルールだったと思いますが、ダメ元で早速応募しましたね。
幸い予約は予定内だったようで、無事「当選」の案内が来ました。但し座席はこちらからは選べず、凡その希望ブロックを指定し、具体的には事務局任せ。演奏会の1か月前に送られ来たチケットは、1階13列のほぼ中央という個人的には理想的な席でした。
後日一般にも販売されたそうですが、良い席は会員で埋まっていたため、当日遭遇した非会員の聴き手さんは端の席で我慢するしかなかった由。希な利用でも、こうしたクラブには入会しておくものです。別に年会費が必要なわけでもないし・・・。
開演は午後2時ですが、1時には開場し、1時半からは音楽評論家・奥田佳道氏による、とてもためになるプレトークが行われました。もちろん旅行好きな会員のためのスペシャル・トークです。
最初の作品が演奏されたあと、司会の山田氏が登場してコンサートを進めます。もちろん奥田氏も加わり、本日の指揮者・広上氏もトークに参加。
知っている人はご存知のように、広上・奥田の両氏は日ごろから親密な間柄で、このトークも実に和やかな雰囲気で進みます。二人は所謂ボケとツッコミの関係で、仮にご両所が失業したとしても他で十分に食べていけるほどの芸達者でもありますね。「暗しっ苦漫才」で大受けすること間違いナシ。
笑いの絶えないトークでしたが、間には貴重な情報も明かされます。マエストロの海外初旅行の苦労話、どうしても話を持って行きたい鉄道の話題、ハイドンでソロを吹くクリストーフォリのことなど。オッタヴィアーノは5年前のこの日(7月16日)に日本フィルの首席に就任したそうで、明日(16日)から6年目に突入するのだそうな。
そのオットーのトランペットの素晴らしかったこと。恐らく会場には初めてナマのクラシックを聴いたという方も少なくなかったと思いますが、トランペットの概念を打ち破る様な柔らかくも華やかな音色には大満足だったでしょう。また広上/日フィルのバックが抜群、第2楽章の緻密で表情の濃い演奏は、これまで聴いたこの協奏曲のどの演奏をも凌駕する素晴らしい出来栄えでした。
最初と最後の2曲も、広上ならではの堂々としていながらスリリングな瞬間満載の名曲名演。一般公開されていないのがもったいない位の豪華な御馳走でした。
終わってからもトークは続き、広上氏がブラームスを「ビフテキ」に擬えると、奥田氏はデザートにアイスクリームが食べたいと(大拍手)。“アイスクリームというより、折角「ぶりゃーむす」を聴いていただいたので、もう一つ「ぶりゃーむす」を”、ということでハンガリー舞曲の第4番。ほとんど演歌状態の舞曲に、会場もハッピーに酔い痴れるのでした。
10何年か振りで聴くオーチャード・ホール、これまでの経験では最も「良い響き」がしていました。このホールは小澤征爾時代の新日フィル、大野和士時代の東フィルにも何度も通いましたが、当時より遥かに音楽的に整ったバランスが実現していた印象。
“音響に手を入れたんですかネ”と尋ねたところ、“いや、指揮者が良いからですヨ”、とは専門家の答え。さもありなん。
実はこのプログラム、前日には某学校の鑑賞会で、全く同じプログラムを某所で演奏したのだそうで、リハーサルは1回だけだったとか。それでもこれほど濃密でレヴェルの高い本番が出来上がるのは、オケの実力はもちろんのこと、やはり壺を外さないマエストロの効果的なリハあってのことなのです。
指揮台では体をくねらせたり、時にはジャンプしたりと、楽員にとって広上の棒は判り難いことでは一二を争うほど。実はマエストロが指揮台に立っただけで、楽員にはオーラが伝わるというか、躰全体から発せらる「気」に呑み込まれてしまうのだそうな。生まれながらにして指揮者、というのは彼の様な人を言うのでしょう。
今回のトークでも証明されましたが、広上の音楽は聴き手を「幸せ」な気持ちで満たしてくれるところが他の指揮者では味わえないところ。彼のリハーサルを覗いたことがある人はご存知でしょうが、その指摘は突拍子もない事例に譬えながらも核心を衝く表現ばかり。知らず知らずに広上マジックの虜になってしまいます。
とかく優等生的、技術的なことにばかりに集中しがちな現代のクラシック界において、彼の様に「真面目過ぎない」キャラクターが救いになっている時代はかつて無いのではないでしょうか。
聴き手も同じ。普段は何小節目の何拍目の音が長いとか短いとか拘っているメリーウイロウも、彼の音楽には心からハッピーな気持ちになれます。この資質、奇貨とすべし。
帰りは渋谷駅まで坂を下って行きますが、何と言う雑踏、何と言う若者の風俗でしょうか。折角楽しんだ音楽も、駅に着くまでにはスッカリ消えてしまいます。
渋谷にはオーケストラが定期的に演奏会を行っているホールがいくつかありますが、広上の指揮ででもなければ冒険はしたくない、と改めて思っちゃいましたね。
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