古典四重奏団のドヴォルザーク選集Ⅱ

先月18日の第1集に続いて、11月1日の第2集です。前半が第14番作品105、後半が第13番作品106。
2曲だけのプログラムで少し短いような気がしましたが、どうして聴いてみるとこれで充分。この日もアンコールはありませんでしたが、本編だけで大満足でした。

いや、この2曲を続けて聴いた後には何もいらないと思います。
それにしてもドヴォルザーク晩年の2作は素晴らしい作品ですね。私は多分ナマでは初体験ですが、その内容の濃さに圧倒されてしまいました。むしろ「アメリカ」より作品の質は上だろうと思います。
古典四重奏団もその辺を強調していたのでしょう、いつも以上に気合が入っていたように感じました。
この団体は楽章が終わるごとに丁寧にチューニングをするのが常ですが、今回は楽章と楽章の間を短くし、全体を一気に弾くという方針だったようです。
特に両曲とも、第3楽章から終楽章に間髪を入れず流れ込むスタイルを採っていたのは、終楽章を作品の大きな山場として捉えている証のようにも思えました。

最初に演奏された作品105は特にそういう印象が強く、最初の二つの楽章(序奏のついたアレグロと舞曲風のモルト・ヴィヴァーチェ)はむしろ控え目な印象。
第3楽章は三部形式ですが、主部が帰ってくる第3部がいかにもドヴォルザークらしい音楽で、このあたりから興が乗ってきた感じです。
第1ヴァイオリンが主部の主題を装飾をタップリ付けて歌うと、第2ヴァイオリンだけがスケルツァンドという指示に乗って、鳥や虫の歌を連想させるように細かい音譜を鏤めます。ヴィオラとチェロがそれをピチカートで支えていく。
この箇所は、四つのパートが全く別のことをやっていながら、同時に合奏すると極めて多彩な田園詩になる。正にドヴォルザークの独壇場です。
終楽章は極めて速いテンポと激しいダイナミックスが聴く者を驚かせます。特にフィナーレのウン・ポコ・ピウ・モッソからの追い込みは圧巻でした。

後半の作品106もこれとほぼ同じコンセプトですが、こちらは最初から飛ばしている感じでした。
このト長調作品は、第2楽章アダージョにピークがあります。じっくりと歌い上げながら、全体を細かい音譜が装飾し、四声部が独立しつつも巧妙に絡み合う最高のテクニックで書かれていますね。
特に全体の四分の三ほどで fff に達する頂点。ここではほとんど宗教的といえるほどの感動が溢れるのです。
古典四重奏団の全霊を傾けた熱演に、聴いている私はたじたじとなりました。
終楽章がまた素晴らしいもので、第1楽章のいくつかの楽想が回想される辺りは、ドヴォルザークが弦楽四重奏曲というジャンルでの遺言を記しているような感慨がありました。
私は何度も寄せてくる熱いものに堪え切れなくなっていました。悲しいわけではない、可笑しいわけでもない、何故涙が出るのでしょうか。

この夜の演奏を通じて、ドヴォルザークの作品105と106は、私にとってかけがえのない宝物になってしまったようです。

 

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