第396回鵠沼サロンコンサート

10月26日、鵠沼海岸の瀟洒なフレンチ・レストランで月一回火曜日に開催されている鵠沼サロンコンサートを楽しんできました。朝方は雨でしたが昼前には上がって陽射しが戻り、駅から10分ほど歩くと汗ばむくらいの陽気でした。
緊急事態宣言が解除されたこともあってか、10月例会は定員一杯となる程の賑わい。この回は人気の3人で結成されているトリオ・アコードを目の前で聴けるとあって、かなり密な状態のサロンでした。もちろん感染防止対策は従来通りです。プログラムは以下のもの。

《ピアノ・トリオの世界13》
ベートーヴェン/ピアノ三重奏曲第5番ニ長調作品70-1「幽霊」
武満徹/ビトウィーン・タイズ
     ~休憩~
メンデルスゾーン/ピアノ三重奏曲第1番ニ短調作品49
 トリオ・アコード

トリオ・アコードの鵠沼出演は当初2020年春に予定されていましたが、演奏会が全て中止に追い込まれた時期に当たっており、延期されていたもの。3人のメンバーが夫々独自の活動を展開していることもあって、結局は1年半先延ばしになって漸く開催された形です。
その3人、ヴァイオリンの白井圭はトリニダード・トバコ生まれということでも話題になりましたが、ウィーンに留学してミュンヘン国際音楽コンクールで2位。半年間でしたがウィーン・フィルの契約団員としても活躍し、現在はN響のゲスト・コンマスとして髭を蓄えた風貌はすっかり有名になってしまいました。もちろんソリストとしても活動していて、私も今年の春だったかN響とのサン=サーンス第3協奏曲をナマで聴けせてもらいました。

チェロの門脇大樹は松江生まれ。イタリアに留学してザルツブルク=モーツァルト国際音楽コンクールで1位。その後オランダでも研鑽を積み、現在は神奈川フィルの首席奏者を務めています。彼もまた、9月にミューザ川崎で行われた神奈川フィルの定期でブラームスの第2ピアノ協奏曲で美しいチェロ・ソロを堪能したばかり。
そしてピアノの津田裕也は、仙台生まれで2007年の仙台国際音楽コンクールで1位となった逸材。その活躍の噂を聞かない日は無いほどですが、何故か私は今回が初体験だと思います。

3人は東京藝術大学の同級生で、室内楽のレッスンを受ける関係から2003年に組んだのがトリオを結成する切っ掛けのようですね。特にゴールドベルク山根美代子氏からミッチリとアンサンブルを叩き込まれ、そのままトリオ・アコードとして活動を継続しているというグループです。
ピアノ・トリオというと、有名なソリストが夫々の合間を縫ってアンサンブルを組むタイプと、常設トリオとして活動するタイプの2形があるようですが、トリオ・アコードはその中間と言えましょうか。常設で活動するには3人夫々の仕事が忙しく、それでもスケジュールがあった時には室内楽としてのアンサンブルを磨く。ゴールドベルク山根氏の教えの賜物と言えるかもしれません。

彼らはベートーヴェンのメモリアル・イヤー、2020年3月の東京・春・音楽祭で3日間、ベートーヴェンのピアノ三重奏曲全曲演奏会を開催。今回のプログラムもそのベートーヴェンからスタートしました。
武満徹の作品を挟んでメンデルスゾーンの名曲で締め括るというプログラムですが、ベートーヴェンがニ長調でメンデルスゾーンがニ短調、そのメンデルスゾーンの最後は明るいニ長調に転調して終わることから、ニ長調で初めてニ長調で終わるというアーチ形に組み立てているのは明らかでしょう。

ベートーヴェンのピアノ三重奏曲というジャンルは、一体何曲あるのか、番号順はこれで良いのか中々議論になる所ですが、一応第5番と数えられている作品70-1は、「幽霊」という愛称が付けられています。ドイツ語の Geister Trio ですね。
コンサートに先立って平井プロデューサーが紹介したところでは、この音楽がシェークスピアのマクベスを題材とするオペラのためにスケッチされていたことからか、あるいは第2楽章の冒頭が如何にも幽霊が出るようなオドロオドロしい響きであることかのどちらか。真実は判りませんが、聴かれた皆様が自由に判断してください、とのことでした。

そこで自由に判断させて頂ければ、私はやはり第2楽章の雰囲気こそが「幽霊」というニックネームの由来かと思います。ただ冒頭ではなく、この楽章を通して出現するピアノの左で奏される6連音符の連続。特に最後の最後でヴァイオリンとチェロが6連音のトレモロを奏するのに乗って、ピアノがフォルテからディミニュエンドしなが下降してくる箇所が最も幽霊っぽく聴こえました。
ま、誰が名付けたのかも理由が何であったのかも、何時頃から呼ばれるようになったのかも知りませんが、ベートーヴェン自身が命名したのではないことは明らかでしょう。手元にある古いレコード・カタログでは、1950年刊の Encyclopedia of Recordrd Music でも Geister Trio と明記されています。

続いて取り上げられた武満作品は、ずっと新しく1993年9月20日初演。ベルリン・フェスティヴァルの委嘱によって作曲され、パメラ・フランク、ヨー・ヨー・マ、ピーター・ゼルキンに捧げられ、彼らによって初演されています。演奏時間はスコアには18分と明記されていますが、最近の録音などではそれより速いテンポで演奏されることが多いように感じます。
サロンではそれ以上の解説はありませんでしたが、タイトルのビトゥイーン・タイズとは、満ち潮や引き潮のいわゆる「潮目」の間ということ。武満には海や水をテーマにした作品が多数ありますが、恐らく武満としては唯一のピアノ三重奏曲である「ビトゥイーン・タイズ」も海シリーズの一つとみて良いでしょう。

その一方、タイズ Tides には季節の意味もあって、こちらを取れば「季節の変わり目」。正にサロンコンサートが行われた秋から冬への変わり目に相応しいとも言えるでしょう。ショットから出版されている楽譜には何も触れられていませんが、聴き手が自由に感じて貰えれば良い、ということでしょうか。
冒頭、8分の5拍子でピアノが弾き出す不協和なコードが2回繰り返される、但し2回目は最初より一度下で。これにチェロの上行モチーフとヴァイオリンの短い下向モチーフが絡む。こんな具合で上行と下向が、恰も潮の満ち干を表すように、時には3つの楽器のユニゾンで、あるいは対立するように繰り返されていく。
テンポも拍子も様々に揺れ動き、特殊奏法も垣間見える。最後はピアノが下降5度を微かに響かせての集結。サロンもひっそりと3人の創り出す武満ワールドに息を呑むのでした。

休憩を挟んで、後半はメンデルスゾーン。クラシックおたくの間では「メントリ」の愛称で通る傑作ですが、鵠沼サロンコンサートでもクーベリック・トリオ、グァルネリ・トリオなど何度も演奏されてきたお馴染みの由。平井プロデューサーは2番の方がお好みのようですが、今回は調性繋がりで第1番。
評判通り、名人揃いのトリオ・アコードは技術的にはもちろん、長年アンサンブルを磨いてきただけに音楽的な方向性が完璧に一致して見事な演奏を繰り広げました。Leggiero のタイトルを裏切らない、軽やかな第3楽章スケルツォは息を呑むほど。3人の名人芸的なテクニックが、まるで一つの断片が見事に全体に嵌るような快感さえ感じさせるほどに、ピタリと決まります。

アンコールは、白井圭が「コロナの大変な中お集まりいただき、とても密な雰囲気で」と笑わせて、メンデルスゾーンの「歌の翼に」。ハイネの詩に付けた歌曲ですが、今回はピアノ三重奏版で。
この名歌にはピアノ・ソロからオーケストラまで様々なアレンジがありますが、ピアノ三重奏版は誰の編曲でしょうか、初めて聴きました。

1年半ぶりに実現したトリオ・アコードの鵠沼初登場。終わってプロデューサー、「さっき2番の方が好きって言っちゃいましたけど、やっぱり1番は名曲ですね」に会場は大笑い。やはり名演奏で聴けば名曲は名曲。改めてメンデルスゾーンの素晴らしさ、トリオ・アコードの実力に触れた一夜でした。

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