第110回マエストロ・サロン、「飯守泰次郎の巻」

昨日、11年続いたマエストロ・サロンが愈々最終回を迎えました。最後に相応しく、日本指揮界の最高峰とも言える飯守泰次郎氏を迎えた期待のサロンです。以下、簡単なあらましを記録しておきましょう。

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第110回《マエストロ・サロン》飯守泰次郎の巻
-東京国際フォーラム G701- 午後7時~

私の記憶に間違いが無ければ、マエストロは3度目のサロン登場です。マエストロは今年古希を迎えられますが、サロンはいつものように近況や直近の演奏会の話題からスタートしました。

1.今年の活動

今年は自分も70歳の節目を迎えるので、少しは楽をしようかなと考えている。しかし現実にはこの2・3月は忙しいことになってしまった。近い予定を挙げると、

●先ず日本フィルの定期。これは自分にとっての喜び。

●首席指揮者である東京シティ・フィルとは5月から来年の3月にかけてベートーヴェンの交響曲全曲シリーズに取り組む。
10年前にもツィクルスに挑戦したが、その時はベーレンライター版による速目のテンポで、全曲も録音されている。
今回は現代の楽器で、重々しいベートーヴェンを目指す。

●狛江市のエコルマ・ホールで年1回、シティ・フィルの公演がある。今回は魔弾の射手・序曲、北村朋幹をソリストに迎えてショパン、それにベートーヴェンの第7交響曲というプログラム。

●3月1日にはストックホルムでベートーヴェンの第9を演奏する。ノーベル賞の授賞式が行われる会場で、オーケストラはスウェーデンの団体。合唱は日本とスウェーデンのチームが合同で演奏する。

●慶應義塾大学のワグネル・オケとの海外公演も控えている。チェコとウィーンで、ウィーンはニューイヤー・コンサートで有名なムジークフェライン・ザール。チェコはプラハの会場が満杯状態で、ブルノで公演することになった。曲目はマーラーの第5交響曲。

●東京シティ・フィルの3月定期ではバルトークの「青ひげ公の城」とコダーイの管弦楽のための協奏曲を取り上げる。コダーイは恐らく日本初演で、ハンガリーに対する愛情溢れる作品。

●関西では関西フィルの創立40周年があり、マーラーの復活を取り上げる。

●新響の演奏会でもブルックナーの第9交響曲が予定されていて、大曲が続くので頭は満杯状態。

2.小山清茂/管弦楽のための鄙歌第2番「日本フィル・シリーズ第27作」の再演

故・渡邉暁雄によって初演された作品で、素晴らしかったことを覚えている。
多くの打楽器が使われるが、多分4人で演奏できると思う。打楽器はティンパ二、カンパネラ、マリンバ、大太鼓など通常なもののほかに木証、木魚、やぐら太鼓など特殊なものも使われる。今回は「おけど」という特殊な楽器(トムトムで代用も可能)も使う。

小山氏は昨年亡くなられたが、民衆の音楽に情熱を注いだ方。時に恥ずかしくなるほどに土臭い音楽を書いた作曲家。

(このあと飯守マエストロはキーボードを弾きながら作品のアナリ―ゼに入りました。以下要点のみ記します)

第1曲「和讃」
8小節のテーマが5~6回繰り返される。お遍路さんの物悲しいテーマで、ハンガリーやフィンランド(共に民族的には共通のルーツ)にも通ずるもので、聴いていて安心する音楽。

第2曲「たまほがい」
菩薩の魂が降りてきて地上で集う様。日本以外には存在しない音楽で、魂が遠くに行って無くなるような終わり方。

第3曲「ウポポ」
アイヌ民謡。お祭りの大騒ぎ。フルートのフラッターツンゲ(巻き舌で吹く奏法)が聴き所だがティンパ二の轟音に邪魔されて聴こえないかもしれない。どんちゃん騒ぎの音楽で、最後はティンパ二がとどめを指す。

第4曲「豊年踊り」
伊予漫才。夏祭りの音楽で、オーケストラが巧みに人間の声をも模倣する。

自分が住んでいる青山一丁目の小さいお祭りでも御神輿が出たが、音楽はテープで流していてガッカリした。歴史や伝統は出来る限り残して欲しい。

3.湯浅譲二/交響組曲「奥の細道」
(この作品はオケ側が提示したものではなく、飯守マエストロの希望でプログラムに組まれたもの)

第1曲「行く春や鳥啼く魚の目は泪」
芭蕉が江戸を離れ、奥の細道に出発する冒頭の句。たった一つの音の中にも哲学や映像が籠められている。
涙やため息などが随所に聞こえ、それほど現代音楽という感じがしない。旅への決心、運命的なものを感じる音楽。

第2曲「風流の初やおくの田植うた」
芭蕉が須賀川で歓迎された時の句。一種の労働歌であり、儀式性や宗教性も入っている。現代音楽とは言いながら、古い習慣を彷彿とさせる個性的な曲。

第3曲「夏草や兵どもが夢の跡」
長い時間を表した、スケールの大きな音楽。兵士の抵抗を表現するような暴力的な曲。雅楽と打楽器のせめぎあいなど、不思議な音が多く使われている。ここには、“残念ながら事実である”という運命的なものが描かれている。鎮魂の音楽。

第4曲「閑さや岩にいみ入る蝉の声」
閑さと蝉を対比させることで矛盾を描いている。大地と天(コントラバスとオーボエ)の空間、名状し難い音。

湯浅氏は練習にも立ち会ってくれている。自然が感じられる名曲と言うべきで、やればやるほど魅力が出てくる作品。是非、好奇心を持って聴いて欲しい。

この作品の最後のコメントは、“残ったものは永久の閑けさ” であろう。

4.ブラームス/交響曲第4番

名曲中の名曲に取り組むのは難しい。特にブラームスを指揮するのは怖い。

ブラームスはベートーヴェンの聖書を継承するものを創りたかったが、長い間どうしても書けなかった。
試行錯誤を繰り返し、その結果完成した第1交響曲は既に円熟している。第3には思想的な力があり、第4は人の一生が素朴な形で現れている。

自分は今年70歳になるが、自分では未だ若い積り。もうブラームスを表現できなければいけない年齢と思うと辛い立場でもある。

第1楽章
とても一大交響曲とは思えない出だし。彼の体格、目付きなどが感じられる音楽で、どこにも“どっこいしょ”が出てくる。
体中が痛い、重い、辛いのだが、ここに彼の円熟した魅力が感じられる。

第2楽章
ホ長調なのにハ長調で始まる。和声の正統的な使い方をしない。親友ドヴォルザークの民俗性に憧れたと思われる部分もある。
この楽章の最後を評したビューローの言葉、「夜、墓地での行進」。最後は葬送行進曲の趣。

第3楽章
メタボに悩む老人がふざけているパワー。まるでベートーヴェンのような音楽。
ブラームスは毎日の散歩を欠かさなかった。ゼ―ゼ―、ヒ―ヒ―言いながらも目は正面を見詰めて楽想を練っている。そんなブラームスをファンたちが隠れながら見守っていた。

第4楽章。
パッサカリアという古い音楽でブラームス自身の音楽を創り上げた。厳格さの中に寛容があり、悲劇的に終わる。

自分の練習は長いが、日本フィルはそれを嫌わない。是非期待して聴いて欲しい。

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期待した通り、飯守マエストロの話は興味の尽きないもの。キーボードを操作しながら、時に機械操作の不慣れで会場の爆笑を誘いつつも、氏の豊富な知識に圧倒された1時間半でした。

最後には東京国際フォーラムの責任者から、マエストロ・サロンが落成して日の浅いフォーラムに文化の風を吹き込んでくれた、という趣旨の挨拶がありました。

以上、マエストロのトークは一言一句を正確に書き取るのは不可能です。あくまでも趣旨だけを書き取ったものですから、他への引用等は遠慮してください。お願いします。

 

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