「作曲家の個展」第30回記念特別演奏会

1981年から毎年開催されてきたサントリー芸術財団の「作曲家の個展」。今年は30年を迎えるということで特別演奏会が行われました。

急用が入って行けなくなるかも、と懸念していましたが、無事に聴けましたのでザッとレポートしておきましょう。

このシリーズは、毎年一人の日本人作曲家に焦点を当て、その管弦楽作品を集中的に紹介してきました。原則として委嘱作品の世界初演も含まれます。
今年は日記のタイトルのように特別演奏会のため、これまでの委嘱作品プラス・アルファ、4人の作曲家が取り上げられました。プログラムは以下のもの。

望月京/インスラ・オヤ(2007年委嘱作品)
北爪道夫/管弦楽のための協奏曲(2003年委嘱作品)
     ~休憩~
近藤譲/オーケストラのための「夏に」(2004年委嘱作品)
松平頼則/ピアノ協奏曲第3番(世界初演)
 管弦楽/東京都交響楽団
 指揮/梅田俊明
 ピアノ/野平一郎
 コンサートマスター/矢部達哉

恥ずかしながら私はこのシリーズは初体験なので、どれも初めて耳にする作品。お目当ては望月作品と、2001年に亡くなった松平頼則の遺作の世界初演! 

開演は7時ですが、それに先立ってプレトークが行われました。ホールに入ると既にトークが始まっていて、途中から。出演は、今日のピアニスト野平氏と、聞き手が白石美雪。
話は既に最後の作品に移っていて、松平氏のこと、初演されるピアノ協奏曲のこと、初演にこぎつけるまでの苦労などが話題でした。

特に氏の晩年の作品は独特の記譜法で書かれ、実際に演奏するためにこれを通常の記譜法に変換するのが大変だった、という話が印象に残りました。

このコンサート報告は、その世界初演から始めましょうか。意図されたことかは判りませんが、今回演奏された順序は作曲家の年代の若い順になっているんですね。従って、松平(1907-2001)は最も年長の作曲家となります。

正直に告白すれば、私は若い頃は現代音楽オタクで、特に放送やレコードを通じて様々な作品を聴いてきました。松平はその代表的な一人で、何と言っても「ピアノと管弦楽のための主題と変奏」がカラヤンによって取り上げられ、ザルツブルグ音楽祭でも演奏されたことで有名でしたね。
雅楽の語法に当時の最先端の作曲技法を融合された作風は、正に「ゲンダイオンガク」のチャンピオン的存在だったわけ。

今回初演されたピアノ協奏曲は何処からか委嘱されたものではなく、趣くままに書かれたもの。野平一郎へのギフトとして作曲され、演奏も野平氏の意に任された由。
作曲から10年、漸くにして初演が実現したという曰くつきの協奏曲です。

全体は3楽章。第1楽章の基本は雅楽の「青海波」(せいがいは)で、ソナタ形式とも看做されるもの。
第2楽章は「催馬樂」(さいばら)による緩徐楽章。第3楽章が「輪台」を基にしたトッカータ。
要するに松平ワールドとも呼べる、雅楽と西洋の管弦楽を融和させた、30分を超える大作です。

これを聴いていて感慨深かったのは、若かりし頃聴いていた最前線の現代音楽の風貌が蘇ってきたこと。
特に第2楽章、ここは最初にムチとピアノ・ソロが催馬樂のメロディーを提示し、続いてムチとフルート・ソロ、3度目にムチとサクソフォーンによって装飾を加えながら変容して行くのですが、そのメロディー(?)の扱いが如何にも60~70年代を呼び覚ましてくれるんですよねぇ~。

今はこんな作風で書く人は皆無でしょ。戦後の前衛音楽が歩んだ、今は昔の郷愁に満ちた時代。私にとっては昭和レトロと呼んでもよいくらい。聴いていて思わず微笑んでしまいましたワ。

ゆるゆると流れるオーケストラに乗って、孤軍奮闘する野平のピアノが真に良心的。

後半の最初に演奏された近藤(1947- )と、前半の最後に演奏された北爪(1948- )は、ほぼ同じ世代です。そして私とも同じジェネレーション。

私の体験では、試行錯誤のジェネレーションとでも言いましょうか、同じ世代のくせに、いや、だからこそ一種のテレを感じてしまう音楽たちなんですねぇ~。

近藤作品は、タイトルの「夏」は作品とは何の関係もなく、単に作曲したのが夏だったからだそうな。
プログラム・ノートによれば、“私というフィルターを通して聴く一つの自然現象(例えば雷や波風)” というのですが、いま一つピンと来ません。敢えてこじつければ、夏の気だるさでしょうか。

音楽は弦楽合奏を中心にした二つのパターンがあって、それが並列されるような感じ。出だしから暫くは、まるでチャールズ・アイヴスの一節を聴いているような錯覚に捉われました。音楽としては平易なもの、か。

北爪作品は、タイトルそのまんまでしょう。オーケストラの各パートを分離良く明快に鳴らし、日本的なリズムに続けて「大きなユニゾン」で堂々と開き直って書いてしまう。
時に「日本」を意識させても、基本的には伝統的なオーケストラの西洋的な語法で書かれている作品、と聴きました。これまた構成的にも明快かつ論理的。

最後に冒頭で演奏された望月(1969- )。先月新日本フィルで初演された「ニグレド」の感想でも触れましたが、彼女は私が最も注目している同時代の作曲家。何より彼女の新鮮な音感覚、斬新なオーケストラ語法が魅力です。

この「作曲家の個展」で世界初演され、ヨーロッパではハイデルベルク女性芸術家賞受賞記念コンサートでも演奏された作品の再演も、私の期待を決して裏切るものではありませんでした。

他の3曲と比べても、その独創性は抜きんでているように思いますがどうでしょうか。もちろん現代の作品は直ぐに理解され、評価が定まるものではありません。真価は次の世代が決めることでしょうが、私は敢えて彼女を、後世まで演奏し続けられる作曲家だと信じています。

ベンジャミン・ブリテンに「青少年のための管弦楽入門」という作品があります。その中でナレーションが、“弦楽器は弓で擦ったり、弾いて音を出します。管楽器は息を吹き込んで音を出します。打楽器は叩いて音を出します” という下りがありますね。
この日演奏された望月以外の作品は、多少の例外はあっても、全てこうした西洋オーケストラの楽器用法から外れるものではありません。

しかし望月は違います。ハッとするような新しい発想が随所に出現する。その魅力は、音楽の新しい聴き方を呼び起こすものだと言えるのではないでしょうか。

この日、幸いにも共通の知人を通して望月氏とお話しできる機会がありましたが、ご自身では“ごく普通に書いている” とのこと。無意識にこういう作品が書けるのであれば、それはもう「天才」という範疇に属するのじゃないでしょうか。

プログラム誌の最後に掲載されている過去の公演一覧は、永久保存もの。各作品の曲目解説に管弦楽編成の詳細が無かったのは、やや残念。

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