一周記?

暇潰しネタ

去年の夏の終わり、クラシック招き猫という大型掲示板が閉鎖になりました。定期的に書き込みしたり、たまには「スレッド」と称するものを立ち上げては暇潰しをしてましたっけ。
で、それが閉鎖になって多少手持ち無沙汰だった頃、朝のテレビでミクシィという企業が株式を上場するというニュースが流れてきました。

“ミクシィって何?”という質問には、娘が詳しかったですね。既に会員になっている、と言う。
これに興味を持った家内がいろいろ試してみたようです。それが1年前。

2006年の10月6日は金曜日で、東京地方を台風が通過。帰りの足に困って、家内に会社まで迎えに来てもらいました。その帰りの車中、“あなたもミクシィに入りなさい。アタシが招待してあげるから”。
それでミクシィ会員になったのが、去年の10月7日。だから法事風に表現すれば、今日は一周忌なんですな。忌の字を日記の記に変えて、一周記。

土曜日の7日、トップページの写真用に、拙宅の居間に飾ってある標本額を写真に撮り、貼り付けてもらいました。自分じゃ判らないから。
何のために日記を書くか。それはもう、自分のため、呆け防止のためでしょ。その信念は1年経っても変わらないから、写真もプロフィールも一切変更してません。

その日は晴海に出掛け、古典四重奏団のレクチャーを聴いてきました。その報告を翌日認めたのが、日記第1号。勘定は合いますね。

で、
さっき日記の本数を数えたら、420本ありましたね。今書いているコレが421本目。365日でこの本数、ということは、1日平均1本以上書いていることになります。
他に二つのコミュニティでもトピックを書きますから、夫々が少なくとも100本はあるでしょう。それを全部併せると、年間で600本以上、何か書いていることになりますわな。

書くまでもないようなつまらないものが圧倒的に多いけれど、書く以上は頭を使いますよ。正に呆け防止の効果はありそう。これだけ書いても、“書いたなぁ”という実感はまるで無し。いつも何か言い残しているような気がします。

1年経過して思うことは、ネット上の文章のあり方、ですかね。新聞でも雑誌でも、限られたスペースに如何に簡潔に要旨を纏めるか、が良い文章の課題でしたね。
ところがネットに掲載されるニュースなどの文章を読むと、確かに「名文」かも知れないけれど、物足りないこと甚だしい。ネットには何文字以内という制約はありません。いや、あったとしても新聞のスペースよりは遥かに大きい。
これまでの常識は覆される、と思うのですね。

別に私はジャーナリストでも何でもないからそんなことを考える必要はないけれど、何かを書く以上は頭を使います。ダラダラと長いだけが取り柄の駄文はいけないけれど、言うべきことはキチンと言う。それに苦慮してますな。

同じことの繰り返しになるけれど、日記は自分のために書いてます。備忘録、という意味合いがあると同時に、その時々に感じたこと考えたこと、それを記録しておきたい。
まぁ、益々頑固になる年頃、私の日記は読まないほうが健康には良いでしょうね。

以上、長々と書きましたよ。

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