日本フィル・第631回東京定期演奏会

このところサプライズが続く日本フィルの東京定期ですが、6月も予定されていたラザレフ欠場というアクシデントに見舞われました。
横浜はプログラムを変更せずに高関健がピンチヒッターに立ちましたが、東京はかつて正指揮者のポストにあった沼尻竜典が2年振りに日フィルの指揮台に立ちます。
思えば、沼尻の日フィル定期デビューは急逝したヴィオッティの代役として。指揮者という職業は周りで考えている以上に激務、彼も今回のためにメッセージを寄せていましたが、御自身も健康には充分留意して下さいな。

ということですが、東京定期はプログラムが変更になりました。小川が弾くチャイコフスキーは予告通りですが、冒頭のストラヴィンスキーは作品が替り、プロコフィエフ(交響曲第6番)はショスタコーヴィチに差し替えられています。
プロコフィエフはラザレフが首席指揮者として核に据えていた企画ですから当然のこと。日を改めて再チャレンジということで、今回はラザレフとオケ双方の意向による曲目変更です。以下のプログラム、

ストラヴィンスキー/交響的幻想曲「花火」
チャイコフスキー/ピアノと管弦楽のための幻想曲
     ~休憩~
ショスタコーヴィチ/交響曲第10番
 指揮/沼尻竜典
 ピアノ/小川典子
 コンサートマスター/扇谷泰朋
 ソロ・チェロ/菊地知也

聴きものは、何と言ってもチャイコフスキーでした。ほとんど演奏されたことのない作品ですが、小川によれば戦前は有名な第1ピアノ協奏曲より人気があって、もっと頻繁に演奏されていたのだとか。
小川典子が何で戦前のことを知っているのかは問わないことにして、彼女自身この曲は今回が初演奏なのだそうです。
そんな次第ですから、私は当然ながらナマでは初体験。ラザレフは佳曲を知ってるなぁ、というのは沼尻の感想で、彼もまたこの曲を初めて知ったのだそうな。
(戦前に限らず、日本のオーケストラの定期演奏会記録集を紐解いてもこの曲の演奏記録は見つからず、WERMを捲っても録音記録も見当たりませんでした。手元にあるのは、ニコライエーワの音質劣悪なCDと、5年前にヘフリッヒから復刻されたスコアだけ)

実際に聴いてみると、何故これが演奏されないのか不思議なくらい。何ともチャーミングで、かつスリリングな作品です。如何にもテクニシャン小川典子にはピッタリ。恐らくラザレフの指名でしょうが、ソリストの適性を見抜くマエストロの慧眼と、期待に見事に応えた小川に絶賛の拍手を捧げましょう。

全曲は2楽章。第1楽章が始まってまもなく、ピアノによる長大なカデンツァがあります。これを聴けば第1協奏曲など子供騙しと思えるほどのタフなソロ。ピアニストに極限を要求するこの個所は、小川に言わせれば「腕が笑ってしまう」のだそうな。蓋し、聴きモノ。

また冒頭楽章には面白い打楽器が登場します。打楽器といっても鍵盤楽器のようですが、日フィルのホームページによるとグロッケンシュピールとあるのを、今回はジュ・ドゥ・タンブルで演奏するとのこと。手元の復刻版スコア(ハンブルクのラーター社版)では単に Cloche (鐘)と書いてありますが、指揮台にはカーマス版が置かれていました。

同じ打楽器奏者が第2楽章で叩くのは、タンバリン。ジュ・ドゥ・タンブルとタンバリンを見事にこなした日本フィルの「小物」の名手、福島喜裕の妙技にも注目です。
更に、第2楽章冒頭での、ピアノとチェロ・ソロの絡み合いが素敵。まるでロシア演歌にも譬えられるチャイコフスキー節は、一生に一度は聴いておきたい美しいメロディーと聴きました。

音楽は何度も高まりを繰り返し、最後のソロとオケの壮絶なアンサンブルは真にスリリング。第1協奏曲を上回る興奮に襲われますが、タフなのはソロだけでなくオケも同じ。特に弦楽パートは急速なトレモロの連続で、この辺りが最近では滅多に演奏されなくなった原因ではないか、と思えてきました。
オーケストラは兎も角、これを音楽として弾きこなせるのは、世界を見渡しても小川くらいしかいないのじゃないでしよぅか。もう一度演奏してッ、とお願いしても、小川は首を縦に振らないかも。

冒頭の花火は、ストラヴィンスキーが無名時代の作品。私は小澤征爾の録音で初体験した記憶がありますが、大編成を使う5分ほどの小品です。これまた演奏される機会が少ないものだけに、今回の演奏は貴重な体験となるでしょう。

メインのショスタコーヴィチは、沼尻/日フィルとしては珍しい部類(横浜の第1交響曲くらいのもの)。このコンビは、ドイツの後期ロマン派の作品に的を絞ってきましたし、白眉はツェムリンスキーとハンス・ロットの交響曲だったと思います。
あとはフランス音楽の大作、トゥーランガリラ交響曲や、ダフニスとクロエの快演が記憶に残っていますね。

しかし最近の沼尻はショスタコーヴィチにも意欲的で、群馬や大阪では他の交響曲も取り上げています。自身はロストロポーヴィチによって開眼したそうで、今回もロストロばりのダイナミックな音楽で客席を沸かせました。

それにしてもショスタコーヴィチの第10交響曲はすっかりオーケストラのレパートリーとして定着しました。日フィルでも広上や高関で聴いた記憶がありますし、「レミドシ」祭りの大騒ぎ、今や耳に快い音楽になってしまったのが不思議なくらいです。

スターリンの死を喜ぶ皮肉と、個人的な恋愛感情を見事なオーケストレーションに紛れ込ませた天才。これに本当の意味での「戦争交響曲」を意識させることが出来れば、演奏は更に深い感銘を与えることでしょう。

6月のプログラム誌の表紙は、いつものイラストがありません。もちろん急遽変更になった演奏者・曲目故でしょうが、むしろスッキリして良い、という意見もチラホラ。小生の周りでは、イラストが無くて寂しいという意見より、無い方が良いんじゃ、という意見の方が多かったように思いました。

日本フィル7月のサプライズは? あっと言わせる演奏そのものに「驚き」を期待したいと思います。

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