未年生まれの大作曲家
お正月のお遊びネタ第三弾、今年が7回目で12回シリーズ(?)の後半戦に入ってきました。あと5年でこのネタもお仕舞です。さて「未」は「羊」じゃありませんが、その辺には拘らないことにして・・・。
高嶋歴には、未年生まれの人は控え目で思慮深く、心遣いの行き届いた温厚な性格とあります。ヒツジのイメージとピッタリですね。そもそも作曲家はアクが強く個性的な職業ですから、該当する人は少ないような気もします。それでも一芸に秀で、学問上で成果を上げる人も、ともあり、何となく当たるように出来ているのが占いでしょう。
千蔵八郎氏の音楽歳時記によると鋭い探究心があり、神経も繊細なんだとか。
作曲家という商売が成立してからの歴史を繙くと、まず遭遇するのが1583年生まれのフレスコバルディ、ギボンズ、シュッツというのが出てきます。ここまで遡ると生年も怪しい人もいますし、そもそもどんな人物だったかよく判りません。
その後は暫く名前が無く、次に行き当たるのが1739年生まれのディッタースドルフでしょうか。時代は早くも古典派前期で、貴族にヴァイオリンを教えたりして生計を立てていた思慮深かかったであろう巨匠には敬意を表して、次は1775年のボアエルデュー。彼の歌劇「白衣の婦人」は昔よくレコードで聴きましたが、最近はサッパリ耳にしなくなりました。
1799年生まれのアレヴィーも同じようなもので、歌劇「ユダヤ女」も聴かなくなりましたねぇ~。でもこのオペラは初演された当時は大当たりで、社会現象にもなったほど、現在のハリウッド映画を連想すればよろしい。
そして1811年に大作曲家と呼ぶに相応しい人物が生まれます。フランツ・リスト、彼こそは未年を代表する作曲家でしょう。最初に書いた性格や生涯がそのまま当て嵌まります。この年には「ミニョン」で有名なトーマも出ています。彼も今日では忘れられてしまいましたが、パリ音楽院の院長を務め、フランス音楽界の最高権威だったのですから、未年の代表的な成功者でもありました。
一回り下にはやはりフランスのラロがおり、次の未年にはサンサーンスが産まれています。どうもこの年回りはフランスに贔屓しているようで、代表者を調べていくとそのままフランス音楽史になっちゃうのが面白い所ですな。
そいいえばサンサーンスの最高傑作で最も有名な第3交響曲は、確かリストに献呈したのですよね。ところがリストはその楽譜を何処かに忘れてしまったとか。普通なら献呈した方が怒り狂って絶交、なんて修羅場になるのでしょうが、そんな後日談は聞いたことがありません。やはり二人の未年、温厚で思い遣りの深い二人を表す絶好のエピソードじゃないでしょうか。
おっと、ロシアのキュイ、ポーランドのウィエニアフスキーもサンサーンスと同じ1835年生まれでした。
ここから失礼ながら若干の作曲家を飛ばして近現代に目を向けると、1871年にツェムリンスキー、1883年にシマノフスキとウェーベルン、1895年にはヒンデミットとオルフが登場します。
十二音技法とか、新即物主義だとかの「イズム」に拘らず、ただ音楽だけに身を委ねれば、ウェーベルンもヒンデミットも心地良く聴くことが出来ます。彼らの探究心、繊細な神経に想いを馳せつつ、年男たちの名曲に耳を傾けようじゃありませんか。
ということで、今年もお開きにしましょう。
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