大井の大仏
このところ読響コミュニティのトピック作りばかりに時間を取られていて、自分の日記は疎かになっている。日記といっても本来の意味での日記の積りではないから構わない。
今朝も根を詰めて演奏会の記録をタイプしていた。その割にはタイプミスもあまりないようで、自分の集中力もまだまだ捨てたものではない、と自惚れてみる。
それでも少し疲れたので、近所を歩いて見た。気が向くままに西に進路を取ったら、母校の中学校の前。
小学校も高校も大学も同窓会という催しがあって、時々出掛けては馬鹿を言っているけれど、この中学だけは音沙汰無し。
何となく学校も静かな様子だ。
ここで方向を変えて、昔よく遊んだ「大井の大仏(おおぼとけ)」に寄ってみる。
と、「文化財公開中」という看板が立っている。この三連休中、区の教育委員会が主催して、区内の都指定文化財を含めて何箇所かで貴重なものを公開しているらしい。知らなかった。
入ってみると誰もいない。ここで公開されているのは「木造五智如来坐像」というもので、境内正面の五智如来堂に高さ3メートルもあろうかという五体の如来像が安置されている。
といっても特別公開などとは大袈裟で、いつも行けば拝めるようになっている。
脇に“パンフレットは自由にお持ちください”と書いてあるけれど、パンフレットは一枚もない。
仕様もないので社務所に声を掛けたら住職が出てきて、奥からパンフレットを出してきてくれた。
この解説を読むと、俗に大井の大仏といっている帰命山養玉院は天台宗の寺で、養玉院と如来寺の二つの寺が合併して出来たそうな。
養玉院の前身は上野寛永寺の塔頭・三明院、開山は天海だというから“おぉぉ、あの天海か”と感心。
一方、如来寺は寛永年間に木食但唱(もくじき・たんしょう)が芝高輪に建てた寺で、ここに五智如来像が安置されていたという。俗に「高輪の大仏」。ここが明治41年(1908年)に現在の場所に移転し、大正12年(1923年)になって養玉院と合併して現在に至っているという。
お勉強になりました。子供の頃ここで虫捕りをしていた頃にはチーとも知らなかったワァ。
肝心の五智如来像は、薬師如来、宝勝如来、大日如来、阿弥陀如来、釈迦如来が並んでいる。
基は木食但唱が弟子と共に信濃の国で造立して芝高輪に安置したもの。薬師如来以外の四像は後に火災で焼失、延暦3年(1746年)に再造された由。
それにしても260年も経っているのであります。モーツァルトより10歳年上だ。
辞して山門の一角を見ると、生き残りのツマグロヒョウモンの♀が翅を一杯に拡げて日向ぼっこをしていた。
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