キタラの札幌交響楽団
放送音楽
金曜日のBS2、毎週のオーケストラ演奏会の録画。いつもはN響定期が放送される時間帯ですが、最近ではその他のオーケストラも時々取り上げられます。今回は札幌交響楽団、本拠地の札幌コンサートホール・キタラでのコンサート。
シベリウスのペレアスとメリザンド組曲、フォーレの同じくペレアスとメリザンド。最後はプロコフィエフのロメオとジュリエット抜粋。指揮は尾高忠明。悲恋もので統一したコンサートですね。定期じゃないみたい。
まずいつもと全く違うのは、音質が素晴らしい。いかにキタラの音響が素晴らしいか、でしょう。音楽も、N響のルーチンワークとはレヴェルが違い、どれも初めて聴くような新鮮さに満ちています。
Nがほとんどモノクロームの無機質な音楽に徹しているのに、札響はどのパートもカラフル。思わず惹きつけられます。目を瞑って聴いていると、このホールのパースペクティヴの素晴らしさと広々とした空間に吸い込まれていく音たちが思い出されます。
流石に「タイボルトの死」のクライマックスではオケの限界も感じられないではないけれど、それは放送音楽の限界でもありましょう。録音録画でもこれだけ素晴らしいのですから、ナマで聴いたらもっと大きな感動が得られたでしょうね。
アンコールが一つ。シベリウスの悲しきワルツ。
隣でパソコンに向かいながら聴くとはなしに聴いていた家内が、
“今の誰の演奏、いつもよりずっと上手いね~”というから、“尾高さんと札響、キタラの演奏会だよ。ホールが良いからねぇ。”
“なぁんだ、指揮が良かったんじゃないの?”
“それもあるけど、第一にホールの良さ。良いホールで演奏しているからオケもどんどん良くなってる”
“これ、消さないで残しておいてね。後でゆっくり聴いてみるから”
サントリーホールやNHKホールで年間30回もN響を聴くより、年3回でもキタラで札響を聴く方がどれだけ良いか・・・。量より質。そう思いますね。
残念ながら今年は札幌に行けそうもありませんが、また機会を見つけて札幌入りしたいもの。ホールも良いけれど、会場周辺の環境と澄み切った北国の空気。音楽にはこういう副次的な効果も大切なんです。
東京と地方の格差、なんて先入観念を捨てれば、素晴らしい音楽が聴こえてくるのでした。
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