マエストロサロン

24日は日本フィルのマエストロサロンへ。

第77回、沼尻竜典の巻です。定期演奏会は年10回ですから、この企画も8年目に入っているのですね。自分も年をとるわけだ。

サロンの内容は日本フィルのホームページにアップされるので、良い機会ですからサロンの思い出を書いておきましょう。

定期演奏会を指揮するマエストロに、コンサートの聴き所を自ら語ってもらおうという、日本フィル独自の好企画がスタートしたのは、1999年3月9日のことでした。
ギュンター・へルビヒ氏を迎え、二つの未完成交響曲、つまりシューベルトとブルックナーの最後のシンフォニーがテーマでした。

記念すべき第1回はかなりの人が聴講されました。予定していたテーブルでは足りず、椅子を追加しての盛会でした。
最初の混乱は徐々に落ち着き、現在は参加される方は3・40人、少ない時には10人ほどということもあります。

私は皆勤賞ではないものの、ほとんどの会を覗いてきました。
司会は一貫してヴィオラの新井豊治さん。彼の博識と名司会がなければ、この企画もこんなに長続きしなかったでしょう。いろいろな都合で他の方が司会を担当されたことが確か二度ありましたが、月一度新井さんの顔を見るとホッとします。

登場されるマエストロは、それこそ人様々です。その中から思い出深い方を何人か・・・。

まずジャン・フルネさん。都響と繋がりの深いマエストロですが、彼の初来日は日本フィルとの「ペレアスとメリザンド」でした。マエストロサロンは3回出られたと思いますが、あの二コリともしないマエストロが意外や雄弁。まさにフランス音楽の歴史そのものといった貴重なお話をたくさん伺いました。

フルネ氏の人柄が見事に出たエピソードがあります。
サロンでは、最後にマエストロに直接質問できるコーナーがありますが、あるとき質問に立たれた女性がフランス語で話し始めたのです。司会者が“質問は、言葉が堪能な方でも、他のお客様に判るように、どうか日本語でお願いします”と事前にアナウンスされているにもかかわらず、です。

このときフルネ氏は、通訳の女性に“私は老人で耳が遠く、何を質問されたのか聴き取れません。もう一度お願いします”と答えられました。司会者“どうか日本語で”。

このやり取りでその場が鼻白むのが防がれました。
フルネ氏はもちろん質問の内容は判っていたはずです。解答はサロンの状況を考えての咄嗟の判断でしょう。

マエストロは、第三者の立場を常に心がけているのです。日本語で言えば「気配り」ということでしょうが、指揮者である自分と、仕事の対象である演奏家たち、そして第三者たる作曲家および聴衆。人間はともすれば自分だけ、せいぜい話し相手のことにしか関心が及びませんが、等しく大切なのは他人の立場、外部からの目。

私はフルネ氏の紳士的な対応に圧倒されたことをよく覚えています。
本番の演奏が素晴らしかったことは言うまでもありません。音として響いた音楽に加えられたプラスαが、自然とマエストロの背から立ち昇っていたからです。

尾高忠明氏。このマエストロも素晴らしい方です。
斎藤秀雄氏の思い出を語られたことがありましたが、マエストロの静かながら説得力のあるお話に、会場は水を打ったような静けさ。その内容に思わずすすり泣く方も・・・。

また、氏の語る山田和男氏のエピソードも忘れられません。斎藤秀雄とは正反対、会場は爆笑の渦。可笑しすぎて涙が出ました。

書き出すと限がない。話題は尽きないのですが、続きはいずれ・・・。

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