ハンス・ロット/交響曲(5)

これまではロットとマーラーの関連について多くが語られてきました。またブラームスとの関係やワーグナーとのそれについても興味深い指摘がありました。
そこで、という訳でもないのですが、今回はブルックナーとの関連について触れたいと思います。あくまでも私の感想ですから念のため。 
先日CDショップを物色していて一枚のハイブリッド盤を入手いたしました。ケント・ナガノ指揮ベルリン・ドイツ響によるブルックナー第3交響曲です(ハルモニア・ムンディ盤)。私はブルックナーに詳しくはないのですが、聴きだして直ぐ分かったのは普段聴いている第3とは違うということ。
改めてジャケットを確認したところ、これが第3交響曲の第1稿(1873年版)であることを知ったのです。暫く聴いていて、何処かで聴いたような気がしてきました。思い当ったのがロットの交響曲であります。
今頃気がつくのも愚鈍な話ですが、よく聴いて見ればブルックナー冒頭のトランペットに出る第1主題とロットのトランペット主題は何となく似ていませんか。これが終楽章の最後に登場する所もそっくりです。ロット第1楽章でこの主題の動機が全体を断ち切るように終わる所など、ブルックナーの終楽章と同じアイデアと言ってもいいようです。尤もここはブルックナーの場合第1稿でなく、第2稿のスコアですが。
もう一つブルックナー第3楽章のトリオの旋律。これがロットではやはり第3楽章のスケルツォ主題と感じが似ている。同じではないが雰囲気がそっくりなのです。ここはマーラーの第1交響曲「巨人」の第2楽章にも登場して、マーラーはロットをパクッたのでは、という嫌疑を掛けられることになるメロディーです。それにしてもロットのこの楽章は、マーラーの第5交響曲第3楽章の下地になっていることは見え見えですね。先日の日フィルの演奏でも気がついて苦笑してしまいました。
思うに、どの作品にも明記されていませんが、これはレントラー舞曲ですね。その雰囲気と音の動きが、三者に共通しているのではないでしょうか。
これまで散々聴いてきたブルックナー第3とマーラー第1・5だけでは感じられなかった類似点が、ロットを介すると嘘のように見えてくる、という事実に思い至ったわけです。
復習しておきましょう。
ロットが交響曲を作曲したのは1878年頃。師であるブルックナーは第5まで完成していましたが、この年には第4・第5は初演されるに至っておりません。もちろんブルックナー最後の傑作群、第7~第9はロット発病後または死後の作品です。ブラームスは第2までものにし(第2は初演されたばかりでした)、第3と第4はやはりロットの死に呼応するかのように書かれました。マーラーはまだ交響曲に手を染めていません。ウィーンの図書館からロット作品を借り出し、これを研究・分析した後に第1交響曲が書かれているのです。
ロットは、恐らくブルックナーの第3を知っていたと思います。初演を聴いたかどうかは判りませんが、楽譜は見ていたのではないでしょうか。何しろ彼にとってブルックナーは作曲の先生だったのですからね。ロットが知っていたはずのブルックナーは、楽譜なら第5までです。従って第3は当時ブルックナーの最大の力作だったわけです(少なくとも第1稿は、第5よりもスケールの大きな作品です)。
今回私は初めてブルックナー第3の第1稿を聴きました。これまで聴いてきた後の稿よりかなり長いもので、「ワーグナー交響曲」の由来にもなったワーグナーを連想させるような部分がそのまま残されています。後の稿よりもロットとの繋がりを一層深く感ずるのは気のせいでしょうか。
これは私の直感でしかありませんが、ロットはこの第1稿をよく読んでい、その改訂稿初演も実際に聴いたことで、自身の交響曲にも影響が及んだものと思われます。
事実関係を明らかにしておくと、ブルックナー第3交響曲の初演は、改訂を施した第2稿により、1877年12月16日ウィーンで行われています。ロットが初演に立ち合った可能性は大いにあります。
一方第1稿は演奏されることなく眠り続け、ノヴァーク版の出版を待って、1946年12月1日と2日、ドレスデン・シュターツカペレでヨゼフ・カイルベルトの指揮により行われました。ロットだけでなく、ブルックナーも立ち合えなかったのはもちろんです。

 

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