秋の「ひまわり」でコントラバスを聴く

18日の土曜日は急遽メットライブビューイングに出掛けましたが、翌19日の日曜日も予定していなかったコンサートです。長い間演奏会通いを続けていると思わぬ展開に遭遇するもので、当初カレンダーでチェックしていなかったコンサートが舞い込みました。何とも素晴らしい体験だったので、思い出のために紹介しておきましょう。
横浜楽友会とひまわりの郷が共同主催しているコンサート・シリーズから、ナビル・シェハタのコントラバス・リサイタルです。この大きな楽器、オーケストラの演奏会では欠かせませんが、単独のソロとしては余り聴く機会が無いもの。従って演奏される作品も初めて接するものが多く、貴重な体験でした。

≪ナビル・シェハタ コントラバス・リサイタル≫
J・S・バッハ/無伴奏チェロ組曲第1番BWV1007(コントラバス版/イ長調)
ボッテジーニ/グランド・アレグロ「メンデルスゾーン風協奏曲」
ボッテジーニ/ベッリーニのオペラ「夢遊病の女」による幻想曲
     ~休憩~
ベートーヴェン/ホルン・ソナタヘ長調作品17(コントラバス版)
ブルッフ/コル・ニドライ作品47
クーセヴィツキー/小さなワルツ作品1-2
グリエール/間奏曲とタランテッラ作品9
 コントラバス/ナビル・シェハタ Nabil Shehata
 ピアノ/カリム・シェハタ Karim Shehata

「紛れもなく世界最高のコントラバス奏者」と紹介されているシェハタは、弱冠22歳でミュンヘン国際コンクールに優勝し、翌年にはベルリン・フィルの首席奏者に就任したという飛んでもないキャリアを持つ方。ベルリン・フィルに在籍したのは2004年から2008年までだそうですが、同オケの来日公演やベルリン・フィル弦楽五重奏のメンバーとしての日本公演などで聴かれたファンも多いでしょう。最近は指揮者としても活動しており、新日本フィルや京響も振っているとのことで、指揮者としてのシェハタを体験された方もおられる筈。
今回は実兄カリムとのリサイタルを行いたいということで、ひまわりの郷で聴けることになったのは大変ラッキーだったと思います。ここから先はシェハタのオフィシャル・サイトをご覧ください。

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このツアーは名古屋の宗次からスタートし、昨日は2日目。このあと20日に京都、22日には東京に戻って白寿ホールでのリサイタルと続きます。西へ東へと神出鬼没ですが、このコースは室内楽の王道になった感がしますね。

コントラバスという楽器はサイズが区々のようで、シェハタは然程大きくはない、むしろ小振りに見える4弦の楽器を立って、というか屈み込むようにして弾いていました。ピアノの蓋が最小限に開けられていたのは、超低音楽器とのバランスを考慮してのことでしょうか。
普段は和声の支え、通奏低音を受け持つ楽器なので独奏曲は多くはありません。従ってコントラバスのためにオリジナル作品を残しているのは、殆どがコントラバス奏者でもあった作曲家のものでしょう。その代表がボッテジーニとクーセヴィツキー。

シェハタは、そのボッテジーニ(1821-1889)から2曲を披露してくれましたが、コントラバスのパガニーニと呼ばれたボッテジーニ作品らしく、正に超絶技巧の大曲2曲。シェハタで聴いていると如何にも楽々と弾いてるように聴こえますが、楽器のサイズが大きい分運動量も半端ではなく、音楽性に加えて体力も必要でしょう。
選ばれた作品、最初のグランド・アレグロはメンデルスゾーンの有名なヴァイオリン協奏曲がモデルになっているそうで、なるほど付点音符のリズムや3連音の急速な流れなど、メンデルスゾーンを想起させます。と言ってもヴァイオリン協奏曲からの引用があるわけではありません。最後の方にカデンツァがありますが、そのカデンツァの終わりにオケ、じゃなくてピアノが加わる際にソロ楽器がアルペジオで迎える所はメンデルスゾーンそっくりで、思わず頬が緩んでしまいました。

続くベルリーニのオペラからの幻想曲は、コントラバスが名歌手に変貌したよう。ピアノの序奏に続いて超低音からハイポジションまで駆け上がり、普段はブツブツ文句を言っているだけの楽器が喜び、時には泣き、祈り、最後は踊り出す。聴き手はただ口をあんぐり開けて聴き入る、見入るだけの光景となりました。コントラバスつてこんなことが出来るんだ。
ボッテジーニの作曲も完成度が高く、形式的にも本格的なもの。そう言えばボッテジーニ、親友だったヴェルディ「アイーダ」の初演を振った指揮者でもありましたよ、ね。

そのボッテジーニの後継者と言われたのが、同じく指揮者としてより有名だったクーセヴィツキー(1874-1951)。シェハタ兄弟のCDブックレットを読んでいたら、クーセヴィツキーがコントラバスを選んだのは、彼が受けようとした奨学金の枠がコントラバス、バスーン、トロンボーンしか残っていなかったからだと書かれていました。尤もコントラバスを選んだ理由、クーセヴィツキーに限らずボッテジーニでさえ、ミラノ音楽院にコントラバスしか空きが無かったからだとか。あ、シェハタさんは違いますよ。彼は9歳でこの楽器を習い始めたと言いますから、最初からコントラバス志望だったんでしょう。
クーセヴィツキーはボリショイ劇場の首席コントラバス奏者を経て指揮者に転向しましたが、ドイツでは屡々ベルリン・フィルを指揮していましたから、シェハタとも縁があるようです。この日演奏された小さなワルツは、アンダンテと共に作品1を構成するコントラバスのための2つの小品の一つ。クーセヴィツキーではコントラバス協奏曲と並び、最も良く演奏される作品でしょう。

最後に演奏されたグリエールはクーセヴィツキーの学生時代からの親友で、指揮者に転じたクーセヴィツキーも度々グリエールの管弦楽曲を初演してきました。実はクーセヴィツキーのコントラバス協奏曲もグリエールが書いたという噂がある、ということがシェハタのCDブックレットに書かれています。
間奏曲とタランテッラはコントラバスのために、というかクーセヴィツキーのために書かれたオリジナル作品で、特にタランテッラは超絶技巧を意識した作品。如何にクーセヴィツキーがこの楽器の名手だったかを彷彿とさせます。シェハタ兄弟の圧倒的な名演に大拍手と歓声が上がりました。

冒頭のバッハは、言うまでもなくチェロのための作品をコントラバス用にアレンジしたもの。原曲はト長調ですが、コントラバス版は2度上(7度下)のイ長調に移調されているということが、当日配られた曲目解説(林昌英)に書かれていました。
ベートーヴェンのソナタも、オリジナルのホルン・ソナタをコントラバスに変更したもの。これも解説によれば、ベートーヴェンが出版に際してホルンまたはチェロのためのと指定し、そのチェロ版に加えられた譜面をコントラバスで弾くとのことでした。
ブルッフの有名なコル・ニドライは、クーセヴィツキーもコントラバスで愛奏していた作品。後半はクーセヴィツキーに捧げるプログラムだった、と言えそうです。

アンコールが1曲。ピアソラのアヴェ・マリアが披露されましたが、もちろんタンゴ風のアヴェ・マリアではなく、美しいメロディーをコントラバスが名歌手の如くに奏でました。
キューバのオーケストラの首席奏者からヴェルディに信頼された指揮者に転身したボッテジーニ、ロシアで首席コントラバス奏者を務めた後にボストン交響楽団のシェフに上り詰めたクーセヴィツキー。その伝統を引き継ぐが如くベルリン・フィルの首席から指揮活動を開始したナビル・シェハタ、今後の活動から目が離せません。

 

 

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