名古屋で梯子2

これでやっと追い付きました。3月10日・日曜日の名古屋行のメイン、京響名古屋公演のレポートです。態々新幹線に乗り、名古屋まで行って聴くコンサート。これがあるからクラシックは辞められない、そんな素晴らしい体験でしたね。
プログラムは有名シンフォニー2本立て、何時でも何処でも聴ける作品ですが・・・。

京都市交響楽団・第9回名古屋公演

シューベルト/交響曲第7番(8番)ロ短調「未完成」
     ~休憩~
マーラー/交響曲第1番ニ長調「巨人」
 京都市交響楽団
 指揮/広上淳一
 コンサートマスター/三上亮(客演)

今回で9回を数える京都市交響楽団の名古屋公演、確か毎年のように開催されるようになったのは現常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーの広上淳一が同オケの常任に就任した直後の事だったと記憶します。正確に記憶を辿ったわけではありませんが、私共はほぼ毎回名古屋行を重ねてきたもの。家内が名古屋生れの名古屋育ちということもあり、回を重ねる内に家内の同級生の間にも噂が広まり、言ってみれば「名古屋・京響友の会」の如き集まりが生まれ、それが年中行事になった感もあります。
しかし2018年度は、会場となっていた愛知県芸術劇場コンサートホールが改修のために長期間閉鎖、今年の第9回は2017年以来となる久し振りの公演でもありました。

例によってコンサート前に一同集合、遅い昼食乃至は軽い夕食を兼ねた情報交換を終え、ホールに向かいます。いつもは義兄への挨拶がてらに会場近くまで車で送ってもらうのですが、今年はマラソン大会と重なり、主要道路が通行止め。一旦名古屋駅まで戻り、地下鉄で移動と相成った次第。道理で地下鉄車内もホール近くの飲食施設もランを終えた人たちで溢れており、普段とは様子が違う名古屋も観察できました。

改装成ったコンサートホール、私は年に一度の七夕ファンですから、何処がどう変わったかまでは判りません。床面に滑り難い工夫が施されているのが、あるいは改良点の一つなのかも。
定刻の午後6時、京都からの賓客を迎えて客席が拍手で迎えるのは毎年の恒例行事でもあります。暖かい名古屋のファン。

シューベルトとマーラーに付いては改めて書くまでもないでしょう。ただこの2作、共に♯二つが主調であるという点は強調しておきましょう。ロ短調とニ長調。もちろん偶然じゃありません。
前半の未完成、第1楽章提示部をシッカリと繰り返し、堂々たる歩み。敢えて広上/未完成のキモを指摘すれば、第1楽章はそのコーダ。最後の20小節目辺りに出現する第1テーマのモチーフが ff まで高まった直後に pp に急降下する個所。この場面でのティンパニの扱いこそが聴き所でしょうか。ティンパニ・パートには強弱の指示は書かれていませんが、ff で書かれた2発は心持ち前倒しした強打で先行し、pp の小説ではガクッと音量を落としてフレーズを締める。ここ、ティンパニの音量に余り配慮しない演奏を良く聴きますが、指揮者の心憎い指示と譜読みの深さに感服しました。

同じく第2楽章のキモ。これは言うまでもなく第2主題、弦の pp によるシンコペーションに乗ってクラリネットがテーマを吹き始めるシーンでしょう。この弱音シンコペーションの密かで細やかな動きこそ、指揮者が最も聴き手に注意を促す所。この弱音があるからこそ、トロンボーンやティンパニの強打が聴く人のハートの奥にまで届くのでした。

シューベルトの短くも巨大な音楽が終わり、後半はシューベルトにも通ずるマーラーの歌世界。
広上の巨人はN響サントリー定期で聴いて以来、かな? あの時、これほど感動したのだろうか。全ての記憶を払拭してしまうほど、名古屋公演でのマーラーは圧巻でした。

第1楽章からいつも以上に気迫の籠った広上ダンス。この楽章が終わった直後、ホールの彼方此方から“凄いなぁ~”というため息が聞こえてきます。余りの集中力に開場もざわついた感じ。
第2楽章、第3楽章と広上マジックは続き、クライマックスのフィナーレへ。
この長大な楽章、音楽的な構造とは別に、個人的には5つの大きな部分として聴いてきました。つまり練習番号で言えば出だしから15までが第1部。第2部は15から21まで。21から38までが第3部で38から45までの第4部と続き、45から最後までが締めの第5部。何が言いたいかというと、第1・3・5部はテンポが速く、音量も大きい。第2部と第4部は音量的にも比較的静かで、流れもゆったり。つまり満ち潮と引き潮が交互に出現すると聴いていれば、この楽章も退屈せずに乗り切れるのです。

ところで広上の巨人、何処が凄いかと言えば、引き潮の部分、特に第2部での濃密にして細やかな表現にある、と思慮します。よく聴かれる演奏では、この部分は次へのエネルギー蓄積部分とばかりに低体温で進むのですが、マエストロはこここそがキモとばかりに全身全霊を傾けてオーケストラから最大の表現力を引き出してみせる。自身が最も右に左に動き回り、身体一杯に音楽を漲らせるのがここなのです。
聴き飽きるほどに巨人を聴いてきた聴き手も、ここで一体何が起きたのか、と心を奪われる。最後の第5部で音楽的にも音量的にもクライマックスを迎えるのはもちろんのこと。これで客席の興奮は爆発してしまうのです。

かくてマーラーは悲鳴にも近い客席の歓呼に迎えられました。マエストロが次々と繰り出すガッツポーズ。オケのメンバーたちの表情にも全力を出し切った満足感が溢れます。
一通りのカーテンコールを終え、広上シェフがチラシを持って登場。“宣伝してくれ、って言われました” とのことで次回の京響名古屋公演、レクイエム2本立てプログラムの案内。スウェーデン放送合唱団を迎えて11月24日に名古屋公演が行われますが、このチケットもこの日の会場で販売していました。私も早速帰京してから申し込みましたが、何と1階席は既に完売しているとのこと。計画している方は急いでくださいな。

広上氏の挨拶は、次回の宣伝からホールへの讃美へと移ります。確かに愛知県芸術劇場コンサートホールの音響の素晴らしさは、更に磨きがかかってきたように聴きました。氏は日本の3大名ホールの一つと激賞されていましたが、ここで聴く京響の響きは、残念ながら京都では聴けないレヴェルでしょう。このホールは、名古屋に留まらず日本の宝。この大ホールと宗次ホールを持つ名古屋は、日本クラシック界の中心じゃないでしょうか。
東京には残念ながらこれほどのオーケストラ・ホールは無く、ここと比べられるのは僅かに首都圏に一つだけ。それも充分に稼働しているとは言い難く、名古屋のクラシックファンは羨ましい限り。名フィルを聴くも良し、セントラル愛知響を応援するも良し、私共も名古屋に遠征する機会が増えそうです。差し当たっては11月、3階の中央で聴くことになりますが、このホールなら2階・3階でも豊かな響きが堪能できると期待しています。

演奏会のフィナーレは、アンコールとして鳴り響いたエルガーのエニグマ変奏曲からニムロッド、祈りの音楽。帰りの新幹線の車内で気が付きましたが、翌日は東日本大震災から8年目の当日。指揮者は敢えて触れませんでしたが、エルガーで聴衆に喚起したのは、あの大災害を風化させないこと、だったのじやないでしょうか。思わず熱くなった目頭を押さえながら、帰宅の途に就いた今回の名古屋行でした。

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