東京シティフィル第228回定期演奏会

昨日は久し振りに演奏会に行ってきました。聴きたかったのは冒頭に演奏されたヴァスクス作品。
実は必要があってヴァスクスの楽譜を検索、ショット社のホームページを眺めていてこのコンサートを知りました。↓
http://www.schott-music.com/shop/persons/az/19587/
従ってチケット・センターに数日前に連絡、チケットは当日精算という方式で出掛けてきたのです。それでも1階15列の中央ブロックが手に入り、しかもシルバー割引で3割ほど廉いという、私のようなリタイヤードには真に有難いオーケストラ。もっと積極的に聴かなくては。
急なことなので車ではなく電車。初台(東京オペラシティコンサートホール)を目指して新宿で途中下車すると、南口は何やら人だかり。みんな携帯カメラを同じ方角に向けています。
何事かと思ったら、東の方角に見事な虹が掛かっているのです。夕方6時半チョッと前のこと。
東京はここ3日ほど雨が降り続き、空気中に水蒸気が充満していました。そこへ漸く太陽が陽射しを投げ掛けてくれたため、虹に結実したんですね。
ま、地球の神秘と言えるものですが、この日のシティフィル定期は、
ヴァスクス/弦楽のためのカンタービレ
モーツァルト/ヴァイオリン協奏曲第4番二長調K218
     ~休憩~
シベリウス/交響曲第1番
 指揮/矢崎彦太郎
 ヴァイオリン/松山冴花
 コンサートマスター/松野弘明
ペトリス・ヴァスクス Peteris Vasks (1946-)は、その名前を最近耳にするようになったラトヴィアの作曲家。プログラムにも書かれているように、
“現代の生活を考える時、私たちがいま終末の時の瀬戸際でようやく平衡を保っているということを悟らずにはいられない。それでも、死滅から一歩離れた我々の存在のありようを映し出す作品、そのような作品を書くための何がしかの拠りどころが、あるのではないか”
と言う作曲家です。
実は私と同い年、ヴァスクスは4月生まれですから私より若干先輩ですが、何とも気に掛かる作曲家。
ラトヴィア出身ですから、音楽の勉強そのものが艱難辛苦の連続だったようです。牧師の息子。
特にルトスワフスキの大きな影響を受け、当初は「偶然性」の手法を用いた現代的手法による作品を書いていました。
が、ある時期以降は調性を否定せず、ラトヴィア民謡を積極的に取り入れる伝統的手法に変貌していきます。そこには勿論“”で紹介した彼の人類に対する危機感があるからでしょう。
矢崎が取り上げたカンタービレは1979年の作品。弦楽合奏のみによる8分ほどのメッセージです。
スコアは市販されておらず、貸譜による演奏ですが、♯や♭という臨時記号がどこにも見当たらないというプログラムの解説。
“世界がそもそもいかに美しく調和的であるか、それを8分間で言うにあたり、ピアノの白鍵のみを使おうとした”
低弦から静かに始まる音楽は明確に「拍子」を持つ。しかしそれは直ぐに「偶然性」の世界に移行し、各弦の数プルトによる時間の移行が現出。
後半は速いテンポによる「メロディー」に移り、明らかに作品のクライマックスと思われる部分では再び「偶然性」が、全楽器の強音によって激しく響き渡る。
コーダは、コントラバス→チェロ→ヴィオラ→第2ヴァイオリン→第1ヴァイオリンの順に、各パートが一つの音に収斂、最後は弦合奏全体が一つの音を完全な無の世界に到るまで減衰して行く。
ヴァスクスの場合、偶然性による騒音は決してノイズにならず、「美しい」としか言いようの無い響きを実現しているのが特徴。美しい、しかも悲しい音響。
音楽が止み、指揮者は今しばらく手を挙げたまま。漸く「演奏」を終えて会場の溜息。そして静かな拍手。素晴らしい演奏でした。
続くモーツァルト。ソロを弾いた松山冴花は、私は初めて聴く若手。特に仙台の国際コンクールで1位になったときに名前を知りましたが、今まで不思議に遭遇する機会が無かった人です。この人もジュリアードで学んだ逸材。聴けて良かったと思いました。
モーツァルトだけでどうこう判断は出来ませんが、音楽が生き生きと弾んでいます。それだけじゃありません。
モーツァルトの協奏曲は、ハッキリ言ってあまり面白いものではなく、ロココ趣味の美しさが通り過ぎていくだけと感じていました。
ところが松山/矢崎は、この作品の新しいアイディアや作品としての面白さを私に教えてくれます。一例はロンド楽章の多彩さ、ドローン効果をそれとなく強調する楽しさ。
カデンツァは松山の音楽性を見事に証明していました。誰の作か知りませんが、やや現代的な感性のカデンツァを、しっかりとモーツァルトの様式の範囲内で鮮やかに弾き切ります。
要するに、松山はモーツァルトをフランス人形のようには表現しなかったということでしょうか。室内楽的なセンスも充分にあるように聴きました。また聴きたい人。
最後はシベリウス。
東京シティフィルは決して第一級のアンサンブルではありません。しかし矢崎は、シベリウスの最初の交響曲をスタイリッシュに纏めるのではなく、無骨なほどに作曲家の熱情を歌い上げるのでした。
スコアの1ページ、1ページを丹念に音にしていく。オーケストラが華麗なアンサンブルではないだけに、反ってシベリウスが「交響曲」というジャンルに籠めた信念が浮き上がってくるように感じられる演奏。
ここでも聴衆は指揮者の動静に敏感に反応し、長い沈黙のあとに暖かく長い拍手。
終わってふと後ろを見ると、先程舞台に上がっていた松山冴花も客席で熱心に拍手を贈っている姿が目に入りました。
見ていてとても気持ちが良い。
帰路、再び新宿に降り立つと先程まで雨が激しく降っていた様子。どうやら一旦虹を掛けた大気が、再び雨を呼び込んだようです。
雨に遭遇せずにラッキー!
何とも清々しい気持ちで帰宅しましたが、演奏会が久し振りだったからだけではなかったでしょう。

Pocket
LINEで送る

2件のフィードバック

  1. サエカ より:

    コンサートに来て下さってありがとうございます!一人でも多くのサポーター様がいると元気がでます。また是非よろしくおねがいします!
    ついでにカデンツァは自作です。人様が書いたのは難しくて。でも本当に私自身の極端の性格がそのまま出てきたカデンツァでした...
    ーs

  2. メリーウイロウ より:

    サエカ様
    コメント、恐縮です。大変素晴らしいモーツァルト、ありがとうございました。
    実は客席でお見かけした時、どなたのカデンツァか質問しようかと思ったのですが、勇気が沸きませんでした。
    自作と聞いて二度ビックリです。是非、次の機会も聴かせて頂こうと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください