第19回芥川作曲賞選考演奏会
猛烈な蒸し暑さの中、サントリー・ホールでタイトルのコンサートを聴いてきました。その速報です。
この作曲賞については毎年触れていますから、詳しくは以前の日記を見てください。
今年の第一次選考は、2008年1月1日から12月31日までに国内外で初演された日本人作曲家の管弦楽作品57曲が対象。
最終的にノミネートされた3曲に、前々年の受賞者による新作初演を加えたプログラムは、
小出稚子(こいで・のりこ)/ChOcoLAtE チヨコレート (2008)
~休憩~
藤倉大(ふじくら・だい)/・・・as I am・・・ (2008)
松本祏一(まつもと・ゆういち)/広島・長崎の原爆投下についてどう思いますか? (2007)
藤井喬梓(ふじい・たかし)/ディエシスⅡ (2008)
管弦楽/東京フィルハーモニー交響楽団
指揮/小松一彦
メゾ・ソプラノ/ローレ・リクセンベルク(藤倉作品)
ライヴ・エレクトロニクス/有馬純寿(松本作品)
どの作品も特殊な楽器(特に打楽器)が多数登場したり、楽器の配置も多種多様ですから、舞台転換に時間がかかります。
休憩は17回受賞者である小出氏の委嘱作品と選考3曲との間だけですが、他の作品の間もかなり時間がかかり、ほとんど休憩状態になります。これは毎度のこと。
冒頭の小出作品。いかにも彼女らしくポップな感覚で、凡そ西洋クラシックの伝統からはかけ離れた音楽。
題名は普通に「チョコレート」と発音するより、チ・ヨ・コ・レ・エ・ト、と切った方が感じが出ます。そんな遊びがあったような気がしますね。
弦楽奏者たちがコップの水をストローで吹いたり、銀紙を一斉に擦ったりと、目にも耳にも楽しい時間。
これはこれで彼女のスタイルと言えましょう。
さて本題の選考3曲。今年はノミネートされたのが全員男性というのも特徴でしょうか。
どれもこの選考会のために書いた作品ではありませんから、みな既に一度は演奏されてきたもの。中で藤倉作品だけが日本初演になると思われます。
作品の一々には触れません。簡単に概略を書けば、
藤倉作品はメゾ・ソプラノと室内オケのための作品。5つのセクションが切れ目なく演奏され、歌手の立ち位置がセクションごとに変化するので、耳でも目でも音楽の展開が見事に描き分けられていきます。
私が藤倉作品を聴くのは今年だけで4作目。2月のアンペール、4月のアトム、6月のシークレット・フォレストと、どれも完成度の高い作品に感心してきました。
今回の作品も声の多様さを巧みに取り入れた聴き堪えあるもの。これを聴いた時点で大賞を予感させます。
松本作品はタイトルに衝撃を感じますが、作品はアンケートの答えを音楽に変換して行くという斬新なアイディア。
かつてミュージック・コンクレートというジャンルがありましたが、それをもじればミュージック・アンケート。
オーケストラを左右二つに分けて対称的に配置し、左側のスピーカーから日本語、右側から英語の回答が流れるという仕掛け。
音楽そのものは決して深刻なものではなく、むしろ左右の差異や回答の差異をテーマにしていると感じました。
アンケートの内容は特別に意味を持っているのでは無いのではないか。
藤井作品は、作曲家の年代が3人の中では最も年長なだけあって、最も西洋音楽の伝統に繋がっているもの。
タイトルのディエシスは、いわゆるダブル・シャープのことでしょう。四分音の世界。これが微妙な響を作り出し、現代音楽には珍しいほどに美しいメロディーも登場します。
しかしこれは選考の主旨である、清新で、豊かな将来性を内包する作品、というテーゼには矛盾するようにも感じました。
3曲とも演奏の質は極めて高いもの。特に、毎年指揮を担当する小松氏の作品に対する姿勢と能力には感服するばかり。
今年などは小松一彦の「ワンマン・ショー」の様な様相を呈していました。大拍手。
演奏が終了したあとは、恒例の選考会。その場で講評が行われ、受賞作品が決定します。
今年の選考委員は斉木由美、三枝成彰、松平頼暁の三氏。
最初に司会者(沼野雄司)が紹介していたように、作曲の審査は選考者によって如何様にも変わるもの。
その辺りに配慮して、三氏も各年代からバランスよく選ばれているのです。
しかし今年の場合、選考者がどんな顔ぶれであっても結果は同じだったような印象がありました。
即ち、あるゆる観点から見て藤倉大氏の「・・・as I am・・・」が抜けていて、私の予想通り、氏が今年の受賞作品に選ばれました。
(最終的には斉木、三枝両氏が藤倉を、松平氏が藤井を推薦、多数決での決定でした)
選考者の高評そのものも、夫々の個性が出ていて聞きものでしたね。個性というよりも世代間の特質と言うべきでしょうか。
私は世代的には最も年長の松平世代に近いと思いますが、最も共感したのは若い斉木氏の見方、感じ方。
こうしてみると、まだまだ私の感性は若いのかもしれません。それを確認できたことも収穫の一つ。
収穫と言えば、火曜日に聴いた外国人(西欧の作曲家)の音楽があまりにも陳腐だったのに比べ、日本人作曲家たちの作品がどれも、より清新で豊かな将来性を内包していること。
音楽を筆頭とする文化の世界では完全に西洋は没落し、東洋の時代が来ていることを実感できたのも大きな収穫でした。
この作曲賞については毎年触れていますから、詳しくは以前の日記を見てください。
今年の第一次選考は、2008年1月1日から12月31日までに国内外で初演された日本人作曲家の管弦楽作品57曲が対象。
最終的にノミネートされた3曲に、前々年の受賞者による新作初演を加えたプログラムは、
小出稚子(こいで・のりこ)/ChOcoLAtE チヨコレート (2008)
~休憩~
藤倉大(ふじくら・だい)/・・・as I am・・・ (2008)
松本祏一(まつもと・ゆういち)/広島・長崎の原爆投下についてどう思いますか? (2007)
藤井喬梓(ふじい・たかし)/ディエシスⅡ (2008)
管弦楽/東京フィルハーモニー交響楽団
指揮/小松一彦
メゾ・ソプラノ/ローレ・リクセンベルク(藤倉作品)
ライヴ・エレクトロニクス/有馬純寿(松本作品)
どの作品も特殊な楽器(特に打楽器)が多数登場したり、楽器の配置も多種多様ですから、舞台転換に時間がかかります。
休憩は17回受賞者である小出氏の委嘱作品と選考3曲との間だけですが、他の作品の間もかなり時間がかかり、ほとんど休憩状態になります。これは毎度のこと。
冒頭の小出作品。いかにも彼女らしくポップな感覚で、凡そ西洋クラシックの伝統からはかけ離れた音楽。
題名は普通に「チョコレート」と発音するより、チ・ヨ・コ・レ・エ・ト、と切った方が感じが出ます。そんな遊びがあったような気がしますね。
弦楽奏者たちがコップの水をストローで吹いたり、銀紙を一斉に擦ったりと、目にも耳にも楽しい時間。
これはこれで彼女のスタイルと言えましょう。
さて本題の選考3曲。今年はノミネートされたのが全員男性というのも特徴でしょうか。
どれもこの選考会のために書いた作品ではありませんから、みな既に一度は演奏されてきたもの。中で藤倉作品だけが日本初演になると思われます。
作品の一々には触れません。簡単に概略を書けば、
藤倉作品はメゾ・ソプラノと室内オケのための作品。5つのセクションが切れ目なく演奏され、歌手の立ち位置がセクションごとに変化するので、耳でも目でも音楽の展開が見事に描き分けられていきます。
私が藤倉作品を聴くのは今年だけで4作目。2月のアンペール、4月のアトム、6月のシークレット・フォレストと、どれも完成度の高い作品に感心してきました。
今回の作品も声の多様さを巧みに取り入れた聴き堪えあるもの。これを聴いた時点で大賞を予感させます。
松本作品はタイトルに衝撃を感じますが、作品はアンケートの答えを音楽に変換して行くという斬新なアイディア。
かつてミュージック・コンクレートというジャンルがありましたが、それをもじればミュージック・アンケート。
オーケストラを左右二つに分けて対称的に配置し、左側のスピーカーから日本語、右側から英語の回答が流れるという仕掛け。
音楽そのものは決して深刻なものではなく、むしろ左右の差異や回答の差異をテーマにしていると感じました。
アンケートの内容は特別に意味を持っているのでは無いのではないか。
藤井作品は、作曲家の年代が3人の中では最も年長なだけあって、最も西洋音楽の伝統に繋がっているもの。
タイトルのディエシスは、いわゆるダブル・シャープのことでしょう。四分音の世界。これが微妙な響を作り出し、現代音楽には珍しいほどに美しいメロディーも登場します。
しかしこれは選考の主旨である、清新で、豊かな将来性を内包する作品、というテーゼには矛盾するようにも感じました。
3曲とも演奏の質は極めて高いもの。特に、毎年指揮を担当する小松氏の作品に対する姿勢と能力には感服するばかり。
今年などは小松一彦の「ワンマン・ショー」の様な様相を呈していました。大拍手。
演奏が終了したあとは、恒例の選考会。その場で講評が行われ、受賞作品が決定します。
今年の選考委員は斉木由美、三枝成彰、松平頼暁の三氏。
最初に司会者(沼野雄司)が紹介していたように、作曲の審査は選考者によって如何様にも変わるもの。
その辺りに配慮して、三氏も各年代からバランスよく選ばれているのです。
しかし今年の場合、選考者がどんな顔ぶれであっても結果は同じだったような印象がありました。
即ち、あるゆる観点から見て藤倉大氏の「・・・as I am・・・」が抜けていて、私の予想通り、氏が今年の受賞作品に選ばれました。
(最終的には斉木、三枝両氏が藤倉を、松平氏が藤井を推薦、多数決での決定でした)
選考者の高評そのものも、夫々の個性が出ていて聞きものでしたね。個性というよりも世代間の特質と言うべきでしょうか。
私は世代的には最も年長の松平世代に近いと思いますが、最も共感したのは若い斉木氏の見方、感じ方。
こうしてみると、まだまだ私の感性は若いのかもしれません。それを確認できたことも収穫の一つ。
収穫と言えば、火曜日に聴いた外国人(西欧の作曲家)の音楽があまりにも陳腐だったのに比べ、日本人作曲家たちの作品がどれも、より清新で豊かな将来性を内包していること。
音楽を筆頭とする文化の世界では完全に西洋は没落し、東洋の時代が来ていることを実感できたのも大きな収穫でした。
最近のコメント