エルデーディ弦楽四重奏団 SQW公演

ほぼ1週間ぶりの更新です。2月は聴きたい演奏会も僅少、演奏会カテゴリーは1月末日の鵠沼以来久し振りの記事になりますね。書き方も忘れてしまいましたワ。

今年の冬は寒い。しかし言われるほど寒さを感じないのは歳を取った所為かもしれませんが、演奏会に出掛けるのは少し億劫な気がします。昔から「ニッパチ」と言われるように、コンサートそのものも少ない季節なのでしょう。
尤も私自身の選り好みで寒風を衝いてでも行こうという演奏が無い、という事情もあるんですけど・・・ネ。

ということで、昨日は晴海の第一生命ホールでクァルテットを楽しみました。当初に比べてメッキリ寂しくなってしまったクァルテット・ウィークエンドのシリーズです。出演は毎年の常連、エルデーディQで、演奏会のサブ・タイトルは、~アマデウス・クァルテットへのオマージュ~ というもの。以下のプログラムでした。

ハイドン/弦楽四重奏曲第22番ニ短調 作品9-4
シューベルト/弦楽四重奏曲第13番イ短調 作品29「ロザムンデ」
     ~休憩~
ブリテン/弦楽四重奏曲第3番 作品94
 エルデーディ弦楽四重奏団

言うまでもなく、エルデーディは90年代にロンドンでアマデウス・クァルテットのサマーコースで研鑽を積んだ団体。今回は彼らの活動の原点であるアマデウスQへのオマージュとしてのコンサートなのです。
プログラムには特段の解説はありませんでしたが、前半のハイドンとシューベルトは、恐らくアマデウスから徹底的に叩き込まれた弦楽四重奏のエッセンスを紡ぐ、という意味があるのだろうと思慮しました。
エルデーディらしい、如何にも室内楽的なアンサンブルを緻密に積み上げる演奏で、どちらかと言えば閉ざされた世界を堪能するタイプのアプローチでしょうか。

冒頭のハイドンは、「弦楽四重奏」としてのハイドンの最初期の成果で、ナマで聴ける機会は決して多く無いと思います。私自身、以前に聴いたことがあるような気がしますが、昔のことで忘れてしまいました。

今回面白く聴いたのは、第2楽章に置かれたメヌエットですね。(作品9は、メヌエットが全て第2楽章に置かれています)
そのトリオ。ここはヴィオラとチェロは完全に沈黙し、2本のヴァイオリンだけで演奏されます。しかもファーストは二重奏法により2声を受け持つので、全体では3声部の音楽になります。
トリオとは即ち「三重奏」のことでもあり、「トリオ」の語源が判る珍しい個所でもあります。ハイドンには確かチェロが休んで3声だけで奏されるトリオを持つ弦楽四重奏が数例あったはずで、作品9-4もそうしたサンプルの一つ。とても興味深い聴きモノでした。

滅多に聴けない、という意味ではメインのブリテンも代表的なものでしょう。ブリテンには番号付の弦楽四重奏曲が3曲あり、これは最後のもの。公式的には彼の最後の作品となったものだそうで、1976年の世界初演はアマデウスQによって行われました。
ブリテンは初演まで何度もリハーサルに立ち会いながら、その初演を聴くことなく世を去ったのでした。正にブリテンの白鳥の歌。
ファースト蒲生氏によれば、師であるアマデウスへのオマージュとして是非とも演奏したかった作品だそうで、彼らの強い意志が伝わってくる名演奏でした。

手元にスコアが無いので細かいことは判りませんが(楽譜はフェイバーから出版されていて、容易に入手できそう)、全体は5楽章。敢えて言えば緩急緩急緩と聴くことも出来ましょう。
弦楽器の様々な演奏テクニックを駆使した譜面ですが、ブリテンだけに難解な現代音楽という印象は残りません。蒲生氏が執筆した曲目解説によると、第2・3楽章にはバルトークへの、第4楽章にはショスタコーヴィチへのオマージュが隠されている由。
現代の弦楽四重奏作曲家を代表するバルトークとショスタコーヴィチは、ブリテンにとっては夫々2倍、5倍のクァルテットをモノにした作曲家でもあり、自身の恐らく最後となるであろう弦楽四重奏に彼等への秘めた想いが籠められているのでしょう。

また第5楽章はレチタティーヴとパッサカリアで構成され、ラ・セレニッシマと題されているそうな。このセレニッシマとはヴェネチアのことだそうで、ヴェネチアはブリテンが愛した街。このクァルテットもヴェネチアで書かれているのですね。
楽章には歌劇「ヴェニスに死す」からの引用があり、ヴェネチアの教会の鐘を模したバス・オスティナートも登場します。蒲生氏は、この作品をヴェネチアに身を置いて自身を懐古し、遺言の如く作曲したのでは、と想いを馳せていました。

ところで来年はブリテンの生誕100年。エルデーディQはSQWシリーズで再びブリテンを取り上げるそうで、室内楽ファンならずともこの機会を逃すことはないでしょう。
(2013年2月16日、曲目は未定)

最後、蒲生氏がこの日の演奏会の主旨について短く挨拶、ブレイニン氏の“何故、弦楽四重奏を演奏するのか。それはベートーヴェンの後期を演奏する為だ。” という教えを披露。
その成果として、アンコールにベートーヴェンの作品130のカヴァティーナが演奏されました。どの団体で聴いても涙が溢れてくるのが、カヴァティーナでしょう。人間が到達した至高の境地です。

少ないながらも熱心な聴き手からの暖かい拍手が長く続き、心に不思議な温もりが残る演奏会でした。
近くに席を取られていた大先輩K翁と、“良かったですね。最後にカヴァティーナで締めてくれると、グッと来るものがあります”。思わず言葉を交わしてしまいましたね。

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