ラボ・エクセルシオの新シリーズ・スタート
昨日も東京は雪。夕方から雨に変わったけれど、さむう~い一日。しかし心は熱く、晴海へ向かいます。第一生命ホールのSQ例会、クァルテット・ウェンズデイです。
今日はクァルテット・エクセルシオ。前シーズンまでクァルテット世界巡りという、ウッカリすると誤解されかねないシリーズをやってきた彼等、今年から「20世紀・日本と世界」というストレートな企画をスタートさせます。その第1回のプログラムがこれ。
クァルテット・ウェンズデイ第64回
武満徹/ランドスケープ~弦楽四重奏のための(1960)
クセナキス/テトラ(1990)
武満徹/ア・ウェイ・ア・ローン(1980)
~休憩~
クセナキス/テトラス(1983)
武満徹/アントゥル=タン~オーボエと弦楽四重奏のための(1986)
クァルテット・エクセルシオ(西野ゆか、山田百子、吉田有紀子、大友肇)
オーボエ/古部賢一
この寒さでこのプログラムですからねぇ、人は入らんだろうなぁ。と思ったのは甘かったですね。もちろん満席にはなりませんが、オッ、と思うくらい人が多い。現代音楽に関心ある人が増えたんだろうか、それとも・・・。
ま、理由はともあれ、これだけ多くの人に聴いてもらえるのは良いことです。
私共は試演会で全曲予習ずみ、かつ参加者による討論を経てますから、初体験じゃありません。先週金曜日から何処まで進歩したか、どう修正したか、にも関心が高まります。
前の日記でも書きましたが、最初の感想はランドスケープとテトラは×だったんですが、練り込みの成果かホールでの演奏故か、今日は○に変わりました。
武満とクセナキスを並べたことの意味。プログラムによれば特に意味はないようで、「日本と世界」というコンセプトでまず思い浮かべたのがこの二人、ということのようです。
結果として、武満とクセナキスでは言語も思想も全く異なりますし、夫々の曲も作風から技法から全て違う。その対照的な作品のぶつかり合いこそが聴きどころでしたね。その意味でも、とても楽しめるコンサートでした。
ランドスケープは、今回の中で最も精神的に厳しい作品。曲全体がノン・ビブラートで演奏され、音よりは空白が勝ります。発想には笙の影響が強いそうで、いかにも日本的な「間」が意識されます。私には最も難しい作品かな。
テトラはドーリア語で「4」の意味。四重奏の意味かテトラ・コードの意味かは判りませんが、一見ギリシャ民謡風の部分もあります。最初聴いたときは、冒頭の両ヴァイオリンのぶつかり合いが耳と頭の間で軋み、うるさくてたまらん、という印象でした。しかし本番で一番変化したのはこれでしょうか。意外やすんなり耳に入ってきます。むしろ心地よい程。最後で最弱音からジワジワと音量を上げクライマックスに至る過程は、神経が麻痺していくような効果。“テトラ、解った”という気持になりましたわ。
ア・ウェイ・ア・ローン。これは文句なく名曲でしょう。タイトルはジェームス・ジョイスの一節ですね。「海」(SEA→E♭・E・A)の音程関係を織り込み、前作とは正反対にビブラートがタップリかかります。特にチェロのそれは思わず胸が熱くなるほど、生きていて良かった、日本人に生まれて良かった、と感ずる瞬間じゃないでしょうか。
テトラス。題名はテトラと似ていますが、音楽はまるで別物。こちらはギリシャ語の「4」。試演会でも最も衝撃を受けた作品ですが、この日の聴衆も同じだった様子。盛んに“ブラボォ”が飛び交っていました。とにかく弾くほうは体力と集中力の限界を試されるもの。弾くだけでも大変でしょうに、音楽として立派に成立させた。もうこれだけで大喝采ですわ。それにしてもテトラス圧巻。演奏を見、ライブで聴かなきゃこの曲を味わったことにはなりませんな。
アントゥル=タン。フランスの詩人トリスタン・ツァラの詩集から採ったタイトルです。一種のオーボエ協奏曲、かなぁ~。オーボエの古部氏は何度も演奏しているそうですし、学生時代に初めて楽譜を買い、武満本人にサインを貰ったほどの愛着のある作品。この日も素晴らしい演奏で会場を唸らせました。ア・ウェイ・ア・ローンもそうですが、紆余曲折の後、最後にドミソの協和音が響くときの感動と安堵。何物にも替え難い瞬間、として私の耳に響きました。
以上が簡単な感想。終演後、挨拶に出たメンバーに、“いや~、素晴らしかったです。今日はテトラもよぉく解りました”と言ったら、吉田さんが吹き出してましたね。試演会に立ち会った人だけに判るジョークだったかも。
今日は休憩時間に来シーズンのチケット予約を受け付けていました。この日だけの特別配慮。当然、来シーズンも聴きますね。形は変われど、SQW。
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