読売日響・第453回定期演奏会

読売日響の第453回定期演奏会を聴いてきました。といってもこれはただの定期ではなく、様々な意味合いを含んだ重要なコンサートでした。

第一に、このコンサートは平成18年度文化庁芸術祭への参加公演であり、サントリー音楽財団から推薦されているコンサートなのです。

第二は、1976年に没した作曲家・矢代秋雄の没後30年を記念した特別プログラムでもあります。

そして第三に、この公演はサントリーホール20周年を記念した「サントリーホール国際作曲委嘱作品再演シリーズ」の一環でもあるのです。
特に第三については、当日、プログラムとは別に再演シリーズに寄せた小冊子が配られました。同シリーズの過去20年・30回の演奏会記録集ですが、資料として極めて貴重なもの。大切に保管しなければなりません。
このシリーズは4公演で構成され、夫々は以下の通りです。

①東京フィル第729回定期。イサン・ユンの第4交響曲の再演
②読売日響第453回定期。クセナキスの「ホロス」再演。
③日本フィル第584回定期。ナッセンのホルン協奏曲の再演。
④東京都響第633回定期。シェーファーの「精霊」再演。

この冊子は各会で配布されるはずですから、これを入手するだけのためにでも出掛ける価値はあるでしょう。

さて読響定期のプログラムは、クセナキス「ホロス」再演で始まり、矢代の代表作を2曲、まず堤剛のソロでチェロ協奏曲が、休憩を挟んで中村紘子を迎えてピアノ協奏曲が演奏されました。ソロを担った両氏は夫々の作品の初演者であり、この記念すべきコンサートには欠かせない存在でしょう。

プログラムの最後は望月京(もちづき・みさと)の「メテオリット」。これは2002年に読響が委嘱し、この日の指揮者・アルブレヒトの指揮で初演された作品の再演です。
いやぁ~、どれも聴き応えがありましたね。

クセナキス作品は、サントリーホールのオープニング・シリーズのために委嘱された作品です。当時の監修は故・武満徹氏。クセナキスも2001年に没し、二人とも故人になってしまいましたが、その事跡は将来も語り継がれていくことでしょう。
そんな感慨に耽る間もなく、強烈なクセナキス・サウンドが炸裂します。世界初演された日にはメシアンのクロノクロミーも演奏されたのですが、両者に共通する輝かしくもエロティックな音響にフランスの伝統を思いました。
初演は1986年10月24日に、岩城宏之指揮日本フィルによって行われたのですが、ここにも時の流れを感じてしまいます。

フランスの伝統といえば、続く日本人二人の作曲家もパリ楽壇に深く関わり、その作風にも影響が感じられます。その意味からも、コンサートを貫くコンセプトが骨太であることを感じさせるプログラミングですね。
矢代秋雄。何と懐かしい響きでしょうか。上野の文化会館がコンサートの中心であった時代、重要なコンサートでは氏の姿が必ずと言ってよいほどロビーに認められました。

チェロ協奏曲は1960年の初演ですから、私は聴いておりません。放送初演されたあと、日本のオーケストラとしては始めてであったN響海外公演でも、堤剛のソロで演奏されたのだそうです。
このとき未だ若かった堤は海外へ出掛けることをむずかり、“おにぎりを食べさせてくれるなら行ってもいい”と言った、というような話を聞いた覚えがあります。
何とも微笑ましい逸話ですが、現在の、そして矢代を弾く堤は正に「座頭市」ですね。(プログラムの紹介文にも書いてあります)

この作品は単一楽章、四つの部分で構成されています。特に第3部は作品の「キモ」ではないでしょうか。基本的には2管編成で、フルートは2本ですが、そのうち1番奏者はバス・フルートに持ち替えるよう指示があります。
普通、フルート属の特殊楽器(ピッコロやバス・フルート)は2番奏者や3番奏者が受け持つのですが、矢代は敢えて1番に持ち替えを指定したのですね。
ここはかなり長い間チェロ・ソロとバス・フルート(首席の倉田さん、お見事!)の掛け合いがあり、チェロがピチカートで応ずる様はあたかも琵琶と尺八の果し合いを連想させるのです。座頭市=堤の黙想しつつチェロに打ち込む姿は、正に居合い抜きの気迫。
長年この作品を演奏してきた初演者ならではの「オーソリティー」を堪能しました。

それは次のピアノ協奏曲にも言えること。真っ赤なドレスに黒をあしらった衣装で登場した中村紘子は、全身全霊を傾けてこの矢代の最高傑作を弾き切りました。
跳躍の大きな旋律を鏤めた冒頭に続いてクワジ・カデンツァ(カデンツァ風に)で突然 ff に変わりますが、そのアクションの激しさ。そこからは左手でオーケストラを指揮するかの如くにテンポを煽っていきます。流石のアルブレヒトも髪を振り乱して応戦。
このピアノ協奏曲は、作曲家・矢代とピアニスト・中村のほとんど共同作業から生まれた作品なのです。作品の一音譜一音譜が彼女の身体には染み付いているのでしょう。

この夜の演奏を聴けば、まだまだ中村紘子は日本ピアノ界のトップランナーであることを納得するはず。
指揮のアルブレヒトも作品の構成を完璧に捉えており、例えば第3楽章で前2楽章のモチーフが再現され、重ねられる場面でも聴衆にハッキリそれを意識させてくれる。
当然、オーケストラも見事でした。近年の日本オーケストラ界の充実が、改めてこの名作の価値を知らしめたものと言ってよいでしょう。

興奮覚めやらぬ客席を更なる驚きが待ち構えています。
そう、望月の「メテオリット」。あまり長いので簡単に触れますが、これは既成概念で聴かれる「クラシック音楽」とは次元が違います。
私はこの作品の世界初演も聴き、そのときも大きな感銘を受けましたが、今回の再演で作品の素晴らしさを再確認し、未だ若い望月の才能に驚嘆する思いで一杯です。
一言で言えば、望月は感性の人であり、瑞々しく豊かな自然に育った日本人の美点を響きとして実現させた。
マエストロ・アルブレヒトはそのことを確信し、この作品を9年間務めた読響音楽監督としての遺産として取り上げたのではないでしょうか。

 

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