ハンス・ロット/交響曲(3)
前回までに紹介した CDに続き、セバスチャン・ヴァイグレが指揮した録音が発売されました。その視聴記を紹介しましょう。廉価盤ということで多少不安もありましたが、演奏・録音ともファースト・クラスです。私の最初の印象は、“ああ、ウィーンの音楽だなあ”というものでした。
ロットの経歴については省略いたしますが、彼は紛れもないウィーンの音楽家です。この新盤にはその事実が零れ落ちるばかりに詰まっているように感じました。
そのことは例えば第2楽章を聴いてみれば分かると思います。管楽器を含んだ和音が奏された後、弦合奏による「祈り」の音楽が始まるのですが、この対位法を多量に含んだ主題とそのフーガ風な扱いには、ウィーンで活躍した先人達の語り口が具に聴いて取れるのではないでしょうか。
また、全曲のあちこちに出現する金管のコラールやティンパニの扱いを聴けば、誰しもブルックナーからの直接の影響を感ずるでしょう。「エデンの東」主題とブラームス主題が実は同じ根から生まれたものであり、全曲の最後に同時に鳴らされつつクライマックスを築いていくところなど、ブルックナー後期の世界ではありませんか。
私がこの曲を初めて聴いた時に感じたこと、ロットはブルックナーとマーラーの中間に位置する人だ、ということを今回もまた強く意識しました。ということは、この音楽を更に進めて行けば直ぐそこにマーラーが控えていることも実感できるのです。
様々な不幸によってこの作品は歴史の中に埋もれてしまったのですが、メロディー・和声・リズム・形式のどれをとっても個性的で新しいロットという芸術家が再発見されるのは、時間の問題でした。
マーラーはロットの交響曲を綿密に研究し、自身大いに啓発される点が多かったのだろうと想像します。“同じ土から栄養分を吸収し、同じ大気を吸って成長した樹木に実った二つの果実”とはマーラーが自分とロットを評した言葉なのだそうです。マーラーの交響曲も同時代の人々からは認められず、一旦は忘れられた存在となったのですが、ロットに先駆けて復活し、今日の地位を確立しました。
次はロット・ルネサンス。そう、「ルネサンス」という言葉こそがロットに最も相応しいのではないでしょうか。
音楽作品は一度作曲家の手を離れれば、後は自立して自らの運命を歩んでいくものです。これまでの演奏で聴かれたロットの交響曲は、その眠りがあまりにも長かっただけに、当てられた光の眩しさに戸惑いがあったように感じられます。
しかしヴァイグレとミュンヘン放送交響楽団の演奏では既にその戸惑いは影を潜め、作品自体が堂々と自己主張を始めた感があります。ベルリン生まれの指揮者もミュンヘンのオーケストラも最早その流れを止めることは出来ません。
終楽章主部の主題は、最初聴いたときにはブラームスに似ているという印象が強かったものです。この演奏では私はブラームスを意識することなく、実に自然に音楽の流れに身を委ねることが出来ました。
ブラームスの主題にしても、最初はベートーヴェンの第9に似ていると言われたものですが、今やそのように意識して聴く人は殆どいないと思います。それと同じことで、これはロットの主題、ロットの音楽なのです。
ライナー・ノーツによれば、僅か30年前に書かれた「オーストリアの音楽史」という書物にはロットの名前すら載っていないのだそうです。しかし21世紀初頭の今日、彼の交響曲はウィーンのシンフォニーの歴史に燦然と輝く作品であることが明らかになりました。ロットの名のない音楽史は意味が無いとまで断言して良いと思います。
この録音は、そのことを明確に証明した最初の記録といえるでしょう。本丸(ウィーン・フィル)が落ちる日も近いのではないでしょうか。
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