ジャパン・カップ参戦の英国馬(Ⅲ)

JC出走予定の英国馬、3頭目はペイパルブル Papal Bull です。
2003年3月29日生まれですから、他の2頭と同じ5歳馬。鹿毛です。
この馬は2歳の時に3戦しています。3戦目、レスター競馬場の7ハロン戦が初勝利。この年は3戦1勝で、最初から頭を揚げて走る癖があったようです。
明けて3歳になったペイパルブル、シーズン初戦のニューマーケットでのハンデ戦(10ハロン)と5月のチェスターヴェイズ(12.3ハロン)に連勝してダービーに挑戦します。当初の登録が無かったため、7万5千ポンドもの追加登録料を支払っての参戦でした。
関係者の期待以上に走った、ということでしょうね。
2006年のダービーは大波乱。人気の一角ホレイショ・ネルソンが直線で落馬(結果、殺処分)、4頭が鼻面を並べる大接戦で、写真判定の末にサー・パーシーが勝ったのでした。
ペイパルブルは10着。シックスティーアイコンの7着は既に書いた通り。
このときはロバート・ウィンストン騎手が手綱を取ったのですが、初めてダービーに騎乗した同騎手がレースに慣れず、一旦は最後方に下がってしまいます。しかし2ハロン辺りで一気に着順を上げた脚は注目すべきもの。結局は直線で上手く前が開かずに敗れたのですが、能力の片鱗は垣間見せていました。
高額の追加登録料は直ぐに取り返します。続くロイヤル・アスコットでキング・エドワード7世ステークスを快勝。ここで宿敵シックスティーズアイコンを破ります。
この後短期の休養に入ったペイパルブル、セントレジャー・トライアルであるグレイト・ヴォルティジュール・ステークスは10頭立て8着に凡走。
矛先を変えて凱旋門賞トライアルのニエル賞(ロンシャン)に出走しましたが、ここも6頭立て5着に惨敗。シーズンを終えます。
3歳時は6戦3勝。
4歳になったペイパルブル、ニューマーケットのジョッキークラブ・ステークス、ニューバリーのブリガデイア・ジェラード・ステークスと続けて凡走。騎手とも合わず、気性も悪く、手に負えない馬という印象を与えてしまいます。
2歳から3歳にかけてペイパルブルを勝利に導いたファロン騎手は騎乗停止中。そこで名手ライアン・ムーアが呼ばれ、初めて騎乗したニューマーケットのプリンセス・オブ・ウェールズ・ステークスで奇跡が起きました。
このレースでもやる気なく後方を追走していたペイパルブル、何を思ったか突然の爆走でこのレースを圧勝してしまいます。
続いて出走したジェフリー・フリーア・ステークスもムーア騎手とのコンビで圧勝。
いつ走るか判らないペイパルブル、騎手次第では大駈けするという特質がどうやら見えてきました。
結局4歳時は、このあとアルク・トライアル3着、ジャパン・カップの凡走(アドマイヤムーンの7着、このときもムーア騎手)でシーズンを終えます。
この年は6戦2勝。
さて今年、ペイパルブルには未だ勝鞍がありません。凡走続きだったかというと、そうも断言できないところがこの馬の怖いところです。
今年はまずオーナーが変わりました。4歳までのマニエ氏らのグループからシンジケート組織に売られ、現在はペイパルブル・シンジケートが所有しています。
オーナー・サイドの発表では、ジャパン・カップの成績如何に係わらず、これを最後に引退して種牡馬入りとの事。東京競馬場がラストランになるでしょう。
今年のペイパルブルの成績をザッと紹介すると、6月のコロネーション・カップがシーズン・デビューで、ソルジャー・オブ・フォーチュンの4着。いつものように発汗と入れ込みが酷かったのですが、最後方からの伸び脚には期待が持てました。
2戦目は前年に勝ったニューマーケットのプリンセス・オブ・ウェールズ・ステークスで、これは挟まれる不利、頭を高く揚げる走り方などにも係わらず2着健闘。
驚かせたのが3戦目のキングジョージ。相手関係から人気も無かったのですが、ペイパルブルの本領発揮。ここも最後方から一気に追い上げて、あわやという場面もある2着。デューク・オブ・マーマレイドには及びませんでしたが、凱旋門2着のユームザインに9馬身差を付ける快走(怪走か)。
これだけの能力がありながらGⅠに勝てない。ペイパルブルの謎は深まるばかりです。
それを象徴するように、4戦目のドイツでのGⅠ戦は圧倒的本命に支持されながら3着(最終的には勝馬から薬物が検出されて繰り上がり2着)の凡走。
最後に挑戦した凱旋門賞も16頭立て12着と全く良いところなし。
最初の2戦とドイツではムーア騎手が騎乗しましたが、効果なし。アスコットでの劇走は、初騎乗だったオリヴィエ・ペリエ。
もしかしてジャパン・カップでペリエが乗るなら、東京競馬場をアッと言わせるシーンが見られるかも。
ということで、今年はこれまでのところ5戦0勝。
ペイパルブルの血統は、
父・モンジュー、母・ミアルナ、母の父・ザフォニック。
モンジューと言えば、ガリレオと同じサドラーズ・ウェルズの後継馬。
ペイパルブルは、その2年目の産駒に当たります。
モンジューは初年度から凱旋門賞馬ハリケーン・ラン、ダービー馬モティヴェイター、セントレジャー馬スコーピオンを出した怪物。
これからのヨーロッパ競馬のサイヤー・ラインは、恐らくモンジューとガリレオの対決という構図が描かれるのだろうと思います。
今年のジャパン・カップは、正にその象徴ですね。
母はイタリアで走って未勝利でしたが、2代母のママルーナはオークス4着でナッソー・ステークスに勝った馬。ママルーナの最も成功した競走馬はイタリアのスプリンターですが、スタミナに問題がある血統ではありません。
最後に調教師、サー・マイケル・スタウト師のこと。クマニ師やノセダ師のような公式ホームページはないようなので、簡単にプロフィールを紹介しておきましょう。
1945年10月22日生まれ。南アフリカのバルバドスが生地です。
父はバルバドスの警察長官を勤めた方で、スタウト師も渡英してからもバルバドスの観光事業に尽力。1998年には、その功績に対して叙勲されました。
スタウト師の「サー」は競馬界への功績ではなく、バルバドス絡みなのですぞ。
マイケルがイギリスに渡ったのは1965年、1972年から調教師として開業しています。
英国のリーディング・トレーナーを9回獲得。イギリスの5つのクラシックを全て制覇しています。特に最後の砦だったセントレジャー、今年コンデュイで制したことは私の日記でも詳述しました。
スタウト師の英国クラシック制覇を年代順に挙げると、
1978年オークス フェア・サリナイア Fair Salinia
1981年ダービー シャーガー Shrgar
1985年2000ギニー シャディード Shadeed
1986年ダービー シャーラスターニ Shahrastani
1987年オークス ユナイト Unite
1988年2000ギニー ドユーン Doyoun
1989年1000ギニー ミュージカル・ブリス Musical Bliss
1997年2000ギニー アントルプレヌール Entrepreneur
2000年2000ギニー キングズ・ベスト King’s Best
2001年2000ギニー ゴラン Golan
2003年1000ギニー ラシアン・リズム Russian Rhythm
2003年ダービー クリス・キン Kris Kin
2004年ダービー ノース・ライト North Light
2008年セントレジャー コンデュイ Conduit
となります。1985年から1989年にかけてのクラシック5年連続制覇が光りますねぇ~。
スタウト師は、古馬の能力を最大限に引き出すことで知られ、“スタウト再生工場”と言われているとかいないとか。
ジャパン・カップでも既に1996年のジングシュピール、1997年のピルサドスキと2連覇。
やはりスタウト厩舎からは目が離せませんな。

 

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