ジャパン・カップ参戦の英国馬(Ⅱ)

ジャパン・カップに出走する英国馬のプロフィール、2頭目はシックスティーズアイコン Sixties Icon です。
今回の3頭の中で唯一のクラシックホース、2006年のセントレジャー馬ですね。
2003年2月16日生まれ、鹿毛の牡馬。3歳でデビューしてから現在まで、一貫してジェレミー・ノセダ調教師が管理してきました。
シックスティーズアイコン、2歳時は競馬に使わず、3歳デビューです。デビュー戦は6着に終わったものの、2戦目でウィンザーの未勝利戦(10ハロン)で初勝利。早くも3戦目でエプサム・ダービーに挑戦しました。
ここは流石に馬がまだ若く、サーパーシー Sir Percy の7着。勝馬からは5馬身ほどの着差は健闘した部類でしょう。
ここで競馬を「学んだ」シックスティーズアイコンは、6月のロイヤルアスコットでキング・エドワード7世ステークスにチャレンジ、ペイパルブルとレッドロックスの3着に食い込みます。
そう、今年のジャパン・カップにも再挑戦するペイパルブルとはこの時からのライヴァルだったんですねぇ。
シックスティーズアイコンがパターンレースに勝つのは時間の問題。続くグッドウッドでセントレジャー・トライアルの一つ、ゴードン・ステークス(GⅢ、12ハロン)を楽勝します。
こうしてデビューから僅か6戦目、セントレジャーに駒を進めたシックスティーズアイコンは、1番人気の重圧をものともせず、11頭立てのクラシックを圧勝します。騎手はデットーリでした。
この年のセントレジャーは、本来の舞台であるドンカスター競馬場が改修工事中のため、ヨーク競馬場で行われたのでした。距離は本来のレジャー距離より短い1マイル5ハロン197ヤード。
競馬評論家の中には本来の距離なら結果も違ったはず、と主張する向きもありましたが、2着との着差(2馬身半)を考慮すれば、ドンカスターでもシックスティーズアイコンの優位は揺るがなかったでしょう。
(セントレジャーがヨーク競馬場で開催されたのは、戦争直後の混乱に伴う1945年以来のことです)
こうしてクラシック馬となったシックスティーズアイコンは、次走にロンシャンの凱旋門賞を選びます。高額の(6万ユーロ)追加登録料を支払い、この年の唯一の英国代表として。
2006年の凱旋門は、日本でも大騒ぎになったディープインパクト3着の年。僅か8頭立てのレースでした。
ここではシックスティーズアイコンは惨敗、凡走したシロッコを抜いただけの7着ブービーに終わります。
敗因は判りませんが、レース前に発汗が酷く、レース前も後も本来のシックスティーズアイコンではなかったようです。
翌年も現役に止まったシックスティーズアイコンは、セントレジャー勝の内容が素晴らしかったことから、4歳時は古馬の主役に躍り出ることが期待されていました。
実際、シーズン初戦のニューマーケットでジョッキークラブ・ステークス(12ハロン)に圧勝、前途洋々に見えました。
このレースにはライヴァル、ペイパルブルも出走していましたが、4着と問題にしていません。
次なるシックスティーズアイコンの目標は、エプサムのGⅠ・コロネーションカップ。
しかしここで思わぬ惨敗が待ち受けていました。断然の1番人気に支持されながら、7頭立て7着のどん尻負けです。
すぐさま敗因が探られましたが、初めて経験する重馬場だったこと、エプサムの激しい上り下りが適さなかったことが上げられました。
しかしエプサムは3歳時にダービーで経験、それなりに好走していますから、これは敗因にはならないでしょう。
原因がハッキリしないまま、シックスティーズアイコンは7月のニューマーケット、ジュライ・ミーティングでプリンセス・オブ・ウェールズ・ステークス(12ハロン)で雪辱を期します。
ところがここはエプサム以上の体たらく。スタート前の発汗が酷く、後方のまま惨敗。このレースに勝ったのが、ペイパルブルでした。
シックスティーズアイコンは、この3戦だけで4歳シーズンをリタイヤします。この後呼吸器系に障害が見つかり、手術も受けました。
彼はこのまま引退の道を選ばず、今年5歳馬として現役を続行。
今シーズンは5月4日のニューマーケットからスタートし、順調にレースをこなし、前走は10月25日に渡米してブリーダーズカップを戦っています。
その戦歴は、
4歳時に快勝したジョッキークラブ・ステークスが2着。復帰初戦にしては好走と言えるでしょう。勝ったのがゲッタウエイですからね。
同じ5月の2戦目、グッドウッドのリステッド戦(フェスティヴァル・ステークス)は格の違いを見せ付けて、1年ぶりの勝利。
6月のロイヤルアスコットではGⅠ・プリンス・オブ・ウェールズに挑戦しますが、12頭立て12着のどん尻負け。
悪夢の再来か、と思われましたが、今年のロイヤルアスコットではノセダ厩舎の馬が全て凡走。馬の能力以外の何かがあったのでは、と考えられています。
それを立証するように、シックスティーズアイコンはこの後GⅢに3連勝。
即ち、8月にグッドウッドのグロリアス・ステークス、同じ8月にニューバリーのジェフリー・フリーア・ステークス、9月はアスコットのカンバーランド・ロッジ・ステークスという具合。
3連勝の最初、グッドウッド競馬場では3歳の時から負け知らずの快挙。
ニューバリーではスタートで出遅れながら、最後方からの差し切り。続くアスコットもスタートで大きな出遅れ、ペースがスローだったため事無きを得ましたが、今シーズンのシックスティーズアイコンはスタートに出遅れる癖がついてしまったようです。
日本流に言うと、馬がズブくなった、ということでしょうが、ジャパン・カップではこの辺が死角になりそうです。日本ではどうしてもペースが速くなりますから、スタートで何馬身も出遅れてしまうと命取りになり兼ねません。
そして前走のブリーダーズカップ・マラソン。ヨーロッパの期待を集めて勝利は間違いないと思われましたが、5着敗退。
原因は直線で前が塞がる不利があったこと、ペースがスローに流れ、「マラソン」とは凡そかけ離れたスプリント戦になってしまったことが上げられています。
シックスティーズアイコンの血統。これはもう、一流中の一流と言うべきでしょうね。
父はパープルムーンと同じガリレオ。シックスティーズアイコンの世代はガリレオの初産駒に当たり、シックスティーズアイコンのセントレジャーの他、愛1000ギニーに勝ったナイタイム Nightime も出しているのです。
更にシックスティーズアイコンのセントレジャー、何と2着ザ・ラスト・ドロップ The Last Drop 、3着レッド・ロックス Red Rocks のいずれもがガリレオの仔。正にガリレオの1-2-3を達成してしまったのですからね、しかも初産駒で。
ガリレオ恐るべしは、これだけでも明らかでしょう。
シックスティーズアイコンの母はラヴ・ディヴァイン Love Divine 、母の父はダイシス Diesis です。言わずと知れた2000年のエプサム・オークス馬ですから、血統には文句を付けようがありますまい。
この牝系は更に遡れば名牝プリティー・ポリー Pretty Polly に行き当たります。近親からもキングジョージに2度勝ったスウェイン Swain も出ており、スタミナには全く問題がありません。
ところでシックスティーズアイコンの弟が日本でも走っていたのをご存知ですか。
2005年3月12日生まれ、レッド・ランソム red Ransom を父に持つ外国産馬・ディヴァインソング。黒鹿毛の牡馬で、藤沢和雄厩舎に所属し、僅か2戦未勝利で現役を引退しています。
去年の東京競馬場、1800メートルの新馬戦(11月18日)が2番人気で4着、横山典弘の騎乗。2戦目は12月23日の中山。1800メートルの未勝利戦でペリエ騎乗、1番人気で7着に終わっています。これが全て。誰も覚えていないでしょうね。
因みに初戦の時の勝馬はオーロマイスター、2戦目はニシノシュテルン。どちらもGクラスには至ってないようです。
ここでもジェレミー・ノセダ調教師のプロフィールを紹介しておきましょう。
1963年9月17日生まれの英国人。
ジョン・ダンロップとジョン・ゴスデンの元で修行、1993年にはゴドルフィン・チームの一員に加わりました。
ここで名馬ラムタラを育てたという実績が光ります。
1996年にカリフォルニアで自身の厩舎を開業。今年のブリーダーズカップにシックスティーズアイコンを送り込んだのは、その縁もあったようです。
アメリカは1年だけ、1997年には英国に戻り、以来ニューマーケットに本拠を置いています。
クラシック制覇は2000年の愛2000ギニーでのアラーファ Araafa が最初。2勝目がシックスティーズアイコンのセントレジャーです。
ノセダ師の公式ホームページはこれ。↓
http://www.jeremynoseda.com/
ところで、Sixties Icon の名前の由来に付いて考えて見ましょう。どこにも解説がありませんので、あくまでも私の想像に過ぎません。お断りしておきます。
言葉通りの意味では、「60歳代の象徴」、あるいは「60年代の象徴」でしょうか。
シックスティーズアイコンの父は、繰り返しますがガリレオ。この馬はクールモア・スタッドを代表する名馬です。
さてクールモア・スタッドと言えば、かつてバリードイルから名馬を送り続けたヴィンセント・オブライエン師が基礎を築いた牧場ですね。
(現在のエイダン・オブライエン師とは無関係)
ヴィンセント・オブライエンと言えば、1960年代にアメリカ産の競走馬に注目し、次々とアメリカ血統を買い込んではヨーロッパの大レースを次々と制覇しました。
オブライエンの功績は、大レースを数々制したことではなく、これらのアメリカ血統の馬をアイルランドのクールモア・スタッドで供用し、現在のアイルランド産名馬軍団の礎を築いたことにあります。
ところで1960年代、アメリカ産馬を表現するために(USA)という表記が盛んに使われました。(USA)は60年代の「優れたもの」に与えられる象徴(アイコン)でもあったのです。
このアイコンは、やがて(IRE)としてアイルランド産馬を象徴するようになります。近年になってアイルランド生産界からの申し入れで、この() 表示(英語ではサフィックス Suffix と言います)は使われなくなっていますが、現在でもガリレオが Galileo(IRE) と表記されるように、アイルランドの、ひいてはクールモアのブランドを象徴となっているように思えてなりません。
ここからは想像。
クールモアの期待を一身に集めたガリレオの初産駒。その中からオークス馬との配合で産まれた牡馬に、「60年代の象徴」という名前を冠したとしても不思議ではありますまい。
皆さんどう思います。もしこれが正しければ、中々奥の深い馬名だと思いますが、どうでしょうか。

 

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