ジャパン・カップ参戦の英国馬(Ⅰ)

いよいよ今週末はジャパン・カップです。私の持論は、どの国の国際レースも最終的には地元馬が7割の勝率に落ち着く、というもの。
ジャパン・カップの場合はまだ日本馬は5割ほどしか勝っていませんから、それまでは日本馬を応援する、というスタンスです。勝負はそれからでしょう。
今年の外国勢、英国から3頭、アメリカから1頭が参戦するようですが、自分のフィールドである英国馬を3回に分けて取り上げようと思います。
JRAから立派なプロフィールが発表されていると思いますが、ここは私流の見所などに絞ります。
第1回はパープールムーン Purple Moon 。
2003年1月25日生まれの栗毛の騸馬(せんば)。鼻に白い筋が通っていますから、よく目立つ馬です。
デビューは3歳になってから。勝鞍はデビューの1マイルの新馬だけで、この年は6戦1勝。2,3,4着が夫々一回づつあります。
3歳時にこの馬を調教していたのはマイケル・スタウトさんであることに注目しましょう。
スタウト師は今回ペイパル・ブルで挑戦しますので、かつての自身の調教馬についても良く知っているはずですからね。
3歳のシーズンを終えたパープルムーンは、障害レースに転ずるために売却されます。この時の売買価格44万ギニーは、障害未経験馬の取引額としての新記録でした。それだけ期待が大きかったということ。
この時に牡馬としての大切な部分を除去され、せん馬に。
転厩先はニッキー・リチャーズ厩舎でしたが、幸か不幸かパープルムーンは能力はあったものの飛越が上手くなく、結局障害レースは2回走っただけで再び厩舎を変わり、平場に戻ってきます。
これが去年、2007年のことで、新しい調教師はルカ・クマニさん。今回の来日に同行する調教師です。
4歳で平場復帰したパープルムーン、初戦は同馬にとってやや距離が不足する10ハロンのハンデ戦(ロイヤル・アスコット)でしたが4着に頑張ります。
その6週後、グッドウッドのリステッド・レース、グロリアス・ステークス(12ハロン)で平場の2勝目を上げます。
(このレース、2004年にもクマニ調教師はアルカセードで買っている事に注意。そう翌年のジャパン・カップを制した馬です!!)
続いてパープルムーンが向かったのがヨーク競馬場のイボア・ハンデ。距離は前走より2ハロン伸びた14ハロン戦ですが、それをものともせずに快勝。この馬の能力がハンデ・クラス以上のものであることを証明して見せます。
ここでパープルムーン陣営は、思い切ってオーストラリアに遠征します。11月のメルボルン・カップが目標。
本番前のトライアルとして10月のコーフィールド・カップ(12ハロン)に出走、これは6着と足慣らし。
そしていよいよ16ハロンの長距離レース。直線で先頭に立ちあわや、と思われた瞬間に地元馬エフィシアント Efficient の急襲に遭い、惜しくも2着。
敗れたとは言え、英国馬としては大きな足跡を残しました。
(クマニ師は今年のメルボルン・カップでも2着惜敗。詳しくは私の当日の日記参照)
以上が4歳時の全成績で、2007年は5戦2勝。
さて今年のパープルムーン。
メルボルン・カップが大目標だったと思いますが、6月にケガをしてしまい無念の休養。
漸く9月24日になってグッドウッド競馬場のリステッド戦、ファウンデーション・ステークス(10ハロン)でレースに復帰します。
休み明けと、本来の得意距離より短いレースということもあり、5着に敗退します。しかし直線ではスピードに欠けたものの、しぶとく粘った足には復調の兆しも見られました。
続いてフランスに遠征。10月19日のロンシャン競馬場でコンセイユ・ド・パリ賞(GⅡ、2400メートル)に挑戦します。
ここでは直線で激しく追い込み、僅かに首差の2着惜敗。初のパターン・レース優勝こそ逃しましたが、本来の姿に戻りつつあるのか。
今シーズンはまだ2戦のみ。
パープルムーンにとっては、これからが正念場でしょうか。ジャパン・カップはもちろん、陣営は香港からドバイという路線を描いているものと思われます。
血統にも少し触れましょう。
父はガリレオ Galileo 。サドラーズ・ウェルズ系の最高の後継者ですし、1マイル半は最も得意とする距離。
母はヴァニシング・プレイリー Vanishing Prairie で、母の父はアリシェバ Alysheba 。
母はアイルランドで10ハロンと12ハロンに勝っていますし、その兄弟もフランスで勝鞍があります。
従ってパープルムーンは2400メートルの距離には全く問題がありません。むしろ日本の固い馬場でのスピードが課題でしょうか。
これまでの成績では、良馬場でも重馬場でも好走しています。
最後に調教師のルカ・クマニさんの横顔。
1949年4月7日、ミラノ生まれのイタリア人。父はイタリアでチャンピオン・トレーナーになったこともあるセルジオ・クマニ、母エレナはアマチュア騎手として活躍した方ですから、生まれながらの競馬ファミリーと申せましょう。
幼いルカは最初は母の道、次いで父の道を歩み始めます。
競馬と言えばイギリス、という信念があったルカは、20代の初めに渡英して名伯楽ヘンリー・セシル師の下で研鑽を積みます。
そして1976年、ニューマーケットでクマニ厩舎を開設、以後イタリアに戻ることは無く、世界中の競馬を視野に入れていることは皆さんご存知の通り。
クラシック・レースに限ってみても、1982年オールド・カントリー Old Country でイタリア・ダービーを制したのを皮切りに、
1984年セントレジャーをコマンチ・ラン Commanche Run 、
1988年ダービーと愛ダービーをカヤージ Kahyasi 、
1989年愛1000ギニーをエンスコンス Endeconse 、
1993年愛2000ギニーをバラシア Barathea 、
1998年ダービー(2度目)をハイ-ライズ High-Rise、
2002年愛1000ギニー(2度目)をゴッサメール Gossamer、
で制しています。
日本に縁が深いのは、上述したように、2005年のジャパン・カップをアルカセード Alkaased で制したこと。
2度目のJC制覇なるか。
ルカ・クマニ厩舎の公式ホームページはこちらです。↓
http://www.lucacumani.com/

 

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