日生劇場公演「コジ・ファン・トゥッテ」
首都圏でもそろそろイチョウが色付き始めた11月11日、日生劇場のコジ・ファン・トゥッテを楽しんできました。この季節にしては暖かく、すっかり様変わりした有楽町界隈はオペラさながらのカップルで賑わっています。
私共には旬を過ぎたテーマ、「恋人たちの学校」がコジの舞台。さてどんなステージが待っているのか・・・。この日は二日目、以下のキャストでした。
フィオルディリージ/高橋絵里
ドラベッラ/杉山由紀
フェルランド/村上公太
グリエルモ/岡昭宏
デスピーナ/腰越満美
ドン・アルフォンソ/大沼徹
管弦楽/読売日本交響楽団
合唱/C.ヴィレッジシンガーズ
指揮/広上淳一
演出/菅尾友
ドラマトゥルク/長島確
他
今回のコジは、日生劇場開場55周年記念として開催されているモーツァルト・シリーズの一つで、私は既に6月の魔笛を観て感想もアップしました。当シリーズは各種のセット券も用意されていて、私は魔笛とコジの2本セットを選択。今回のドン・ジョヴァンニと後宮は以前、同じ日生劇場の別公演を既に見ていたので、パスします。
コジはいわゆるダ・ポンテによる三部作の最後のもので、日生では既に長尾演出・広上指揮・長島ドラマトゥルクのコンビでフィガロとドン・ジョヴァンニを取り上げており、制作側としても三部構成。2012年のフィガロ、2015年のドン・ジョヴァンニを共に楽しんできた我々は、迷うことなくコジを選んだのでした。これで日生劇場のモーツァルト5大オペラを完走したことにもなります。コジ・ファン・トゥッテそのものは、大分以前に新国立劇場で何度か見ており、恐らくそれ以来でしょうか。
そのコジ、モーツァルトのオペラの中では長い間評価が低かった作品ですよね。批判した筆頭がベートーヴェンとワーグナーだったことが、否定派を勢い付かせたようです。理由は内容が不道徳だから、と言うのですが、ワーグナーには言われたくないよね。
それでも音楽の素晴らしさは誰でも認める所で、ベートーヴェンでさえフィオルディリージの大アリア「恋人よ許してください」のホルンやクラリネットの超絶技巧オブリガートを、自分の「フィデリオ」の大アリアでチャッカリ借用しています。フィオルディリージとフィデリオの二つの名アリア、どちらもホ長調で書かれているのには笑ってしまいます。
一方の賛成派は、E・T・A・ホフマンやアインシュタイン、リヒャルト・シュトラウスなど。スカラ座などは100年間以上もこのオペラを拒絶していたと言いますが、コジ復興に最も尽力したのが指揮者としてのシュトラウスでしょう。
コジ・ファン・トゥッテは1790年1月26日、モーツァルト34歳の誕生日の前日に初演されたのですが、7か月前にはパリでバスティーユ・デイの惨劇があったばかりでしたし、僅か4週後にはモーツァルトの大パトロンだったヨーゼフ二世が急死するというタイミングが悪かった。時は時代の転換点で、コジが描かれたロココの優雅な世界は急速に忘れられていく運命でもありました。
シュトラウスの尽力などもあって再評価が進み、現在ではダ・ポンテ三部作としての人気も高くなりましたが、再び時代は揺り戻し、今はセクハラ行為を告発するミートゥー運動の真っただ中。果たしてコジの運命や如何に、と考えたくもなりますが、今回の菅尾演出の狙いはそこ。フィオルディリージとドラベッラを生身の女性ではなく、人工知能AIをもつアンドロイドとして設定し、フェルランドとグリエルモは、二人が自ら作り出したこのアンドロイドを恋の実験場として試すオタクとして登場する。つまり現実とバーチャルが交錯することで、本来の舞台であるナポリは完全消失し、ネオポリスに存在する恋人たちの学校ということになるのです。
従って舞台はアニメ、ゲーム、フィギュア、スマホ、モバイル・パソコンなど、当世風の風俗や機器が登場。6人の衣裳も奇抜、いやマンガチックにデザインされたものが使われます。デスピーナは最初こそ清掃員として登場するものの、アリアの前にサッと衣裳を脱ぎ捨てると、黒を纏ってムチを持ったSM女王に変身。尤も本来のナポリ演出でもデスビーナは怪しげな医者に化けたり、公証人となって恋人たちを欺くのですから、これに驚いちゃいけません。
やや古めかしいロボットが6対、全幕を通して舞台をうろつきますが、登場人物6人に呼応させているのでしょうか。
フェルランドとグリエルモが命令によって戦地に向かうというストーリーも、宇宙服を着て宇宙に飛び出す二人という設定に。折しもこの日の朝、「こうのとり」のカプセルが成功裡に回収されたというニュースが報じられましたが、正に時代の最先端を行くコジでもありましょう。
舞台は三つ。真ん中が一応メインで、1階が倉庫、2階がカフェのような空間。左手(下手)は乱雑なスポーツ・ジムのよう。右手(上手)は何故かトイレ。これを巧く使って劇が進行します。第1幕では3つの舞台が平面的に移動するだけですが、第1幕フィナーレで舞台は斜めに曲げられ、事態が動くことを表現しているのでしょう。多層階の舞台や階段はフィガロやドン・ジョヴァンニでも使われていましたから、菅尾演出のトレードマークと言えるかもしれません。
第2幕では3つのセットがより自由に動かされ、第1幕の平面的な動きとは対照的に立体的に使われ、舞台に奥行きが出てきます。更に第2幕の最後では、セットの裏側が正面に向けられましたが、二人のカップルの正逆反転を意味するのでしょうか。
映像もふんだんに使われます。コンピューター・プログラム風な画面を基本に、文春砲を捩ったような暴露週刊誌風の紙面も映し出され、時折パソコンの壁紙のようなカットも。時には取材に集まる記者たちが映し出すユーチューブのライブのような映像が出てきましたが、これはフィガロでも菅尾演出に使われた手法でしたっけ。
ノイズというか、機械音も半端じゃありません。主役6人以外も多数がひしめき合う舞台で発せられるノイズだけではなく、時には敢えて合唱を機械的に処理した耳障りな響きも聴こえてきます。これは偶発的なものではなく、敢えて取り込んだ現代の街に溢れる騒音と解釈すべきでしょう。やり過ぎて音楽が聴き辛くなるのは考え物だとしても。
アルバニア人として入れ替わった男性二人が、目的の女性二人と最初に言葉を交わすシーンではピンポンが登場します。以前びわ湖のサロメでバドミントンが使われているのを思い出しましたが、東京オリンピックを先取りしたものじゃないでしょう。昨今では社員ストレス解消のために、オフィスに卓球台を置いている会社もあるというニュースを見たことがありますが、やはり世相を反映してのピンポンでしょうか。
根拠はどうあれ、サロメのバドミントンよりは説得力があると見ました。
通常のオペラ公演のように客席の照明が落とされ、拍手に迎えられて指揮者登場、ではなく、最初から指揮者はピットに待機していて、序曲が始まる前からオペラが始まっています。序曲がアレグロの主部に入った所で客席の照明が落とされる。
第1幕終結の混乱の舞台は、幕を下ろさないまま休憩に入ります。大部分の客席がトイレやワイン休憩に立った後、幕が静かに降ろされて20分間の休憩。
休憩後は、第1幕最後の舞台がそのまま第2幕の開始に引き継がれた形で幕が上がっており、待機していたデスピーナが登場した広上に「指揮者のオジサン、これ何とかしてよ」に応え、オジサンは「先ずこの素晴らしいオーケストラを紹介させてください」で第2幕に入ります。
この素晴らしいオケ(読響)、特に名手が揃った管楽器が見事で、広上の絶妙なバランスと的確なダイナミクスによって隅々まで手に取れるように音楽が聴きとれるのは流石。強弱のメリハリ、豊かな表情、フレーズの最後をキッチリと止めるなど、広上の指揮する古典作品は定評のある所で、モーツァルトを振らせたら彼の右に出る者はいない、というのが私個人の意見。全曲のフィナーレでは指揮者がポンポンポンと手拍子を打つ個所もあって吃驚させられましたが、あれは何処だったのでしょうか。奇抜ながらツボを心得たアイディアに舌を巻きます。フィガロ、ドン・ジョヴァンニに続いて最高級のモーツァルトを堪能させてもらいました。
難役を見事に歌い切ったフィオルディリージの高橋、映像も含めて際立ったドラベッラの杉山は、二人共私が初めて接したソプラノ。26番のアリアで秀逸な歌唱と演技を披露したグリエルモの岡も、確か私は初体験でした。
パワフルなテノールで客席を沸かせたフェルランド村上は、これまでシュトラウスのカプリッチョやダナエの愛で聴いてきましたし、日生劇場の後宮でもペドリッロを歌っています。デスピーナの腰越とアルフォンソの大沼は、確か去年の日生劇場こうもりでロザリンデとファルケを体験したばかり。適材適所の歌手陣もバランスが揃っており、改めてアンサンブル・オペラの素晴らしさを堪能した次第です。
そして何よりもモーツァルトの音楽でしょ。前作であるフィガロの余韻は彼方此方に聴こえてきますし、二人が宇宙から、いや戦場から帰還する場面などドン・ジョヴァンニの石像登場の場とそっくり。それでも無駄を排し、モーツァルトのエッセンスを抽出したコクのあるコジ・ファン・トゥッテこそ、私が最も好きなモーツァルトかも。この公演を体験した後では、モーツァルトのオペラで最も手が出そうなのがコジかも知れません。
伝統的なナポリを舞台にしたコジを見たいファンもいるでしょう、オーソドックスな演出で楽しみたいオペラ好きもいるでしよう。菅尾演出の全2作を知らずに出掛けた方々は、最初から奇抜な舞台に顔をしかめたかもしれません。
それでも徐々に舞台に馴染み、「現代用語」満載の字幕に笑い声も聴こえた客席は、この演出を受け入れ始めたようでしたね。
ニッセイ・オペラ・シリーズとしての2公演はこれで終了しましたが、12・13日の両日は、日生名作シリーズとして学生向けの公演が行われます。恐らく先入観の少ない若い世代はより積極的にこの舞台に馴染むでしょうし、その中から将来のコアなオペラ・ファン、クラシック音楽大好き人間が育つことを期待したいと思います。出来れば私も保護者を騙って客席に紛れ込みたいくらい。ウッカリして見逃した場面、聴き逃した個所もたくさんありましたからね。
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