日本フィル・第705回東京定期演奏会
11月に入って室内楽ばかり聴いていましたが、そろそろオーケストラが聴きたくなるころ。タイミング良く巡って来たのが、日本フィルの東京定期でした。京都帰りの翌日、9日の金曜日に赤坂のサントリーホールに出掛けます。
今月の日フィルは、桂冠指揮者兼芸術顧問のアレクサンドル・ラザレフが襲来し、東京と横浜で猛威を振るう予定。東京は次の、何ともヘヴィーなプログラムで会員の度肝を抜いてくれました。
グラズノフとショスタコーヴィチといえば、言わずと知れた師弟関係。プログラム構成に疑問を差し挟む余地はありません。
グラズノフ/交響曲第8番変ホ長調 作品83
~休憩~
ショスタコーヴィチ/交響曲第12番ニ短調 作品112「1917年」
指揮/アレクサンドル・ラザレフ
コンサートマスター/白井圭(ゲスト)
ソロ・チェロ/辻本玲
前回のラザレフは5月定期、あの時は翌日から一泊二日で京都に出掛けましたが、今回は京都から帰ってのラザレフとなりました。そのラザレフ氏、東京定期の後に京都入りし、京響定期にも登場。東京にとんぼ返りして横浜定期というスケジュールですね。私共と同じような行動パターンで、チョッと笑ってしまいました。出来れば京響にもお邪魔したいところですが、ここは我慢我慢。
実はラザレフさん、前回10月定期でもサントリーホールでお見受けしていて、ずっと日本で暮らしているような錯覚に陥ってしまいました。先月は上野の指揮者コンクールで審査員を務めておられたのでしたっけ。
今回のプログラムには≪ロシアの魂≫というキャッチフレーズは掲げられていませんでしたが、グラズノフ・シリーズの確か4回目で、ずっと続けてきたショスタコーヴィチの交響曲シリーズの一つでもあります。それにしても交響曲2本立てとは、ラザレフ水準でも相当な重労働かと推察されます。先ず第一に、これを乗り切ったオーケストラに大拍手を贈らなければなりますまい。しかも韓国公演の翌週ですからね。
余り知られていないグラズノフ作品の紹介、交響曲に限れば、今回は第4・第5に続く3曲目で、次のシーズンでは第6番が予定されています。何処まで続くかはマエストロの胸の内ですが、グラズノフの交響曲で重要なのはやはり第4番から最後の第8番までの5曲でしょう。あと7番を取り上げてくれれば、グラズノフ・シリーズは完結と、これは小生が勝手に予想していることですから信じないように。
グラズノフは70歳で没した方で、大酒飲みにしては長生きでしたが、最後の交響曲となった第8番(第9番はスケッチのみで未完成)は最晩年の作かと言うに、然にあらず。1906年完成ですから41歳の時の作品で、一般的に考えるラスト・シンフォニーの概念とは違っています。これ、注意点かも。
ということで今回は第8番。日本の交響楽団・定期演奏会記録集を探してみると、1984年に朝比奈隆が大フィルで、90年代にも同じく朝比奈が当時の新星日響で取り上げたことがある位で、今回がナマ演奏初体験と言うオーケストラ大好き人間が殆どじゃないでしょうか。私も録音や楽譜で朧げな記憶があるだけで、今回を楽しみに出掛けました。
朝比奈御大の演奏がどんなものだったは知る由もありませんが、ラザレフの指揮はCDで聴いていたどんな演奏よりも強烈なもので、テンポの設定も速目、間延びした所は全く感じられませんでした。冒頭から重厚な響きを繰り出し、ホルンとティンパニが大活躍。これはショスタコーヴィチにも共通していたようで、今定期はホルンとティンパニの大競演という風景が見られました。
以前、マエストロはグラズノフのオーケストレーションについて記者会見を行い、その時の内容が現在でもPDFで読めます。改めて読み返してみると、グラズノフのオーケストレーションの特徴は、楽器のソロをナマでは使わないということ。必ず他の楽器を隠し味のように重ねて独特な音色を創り出す、と解説していました。
第8交響曲の第1楽章冒頭もその典型で、一寸聴くと3小節目から出る勇壮なテーマがホルン→トランペット→ヴァイオリンの順に提示されますが、ホルンにはファゴットが、トランペットにはクラリネットが、そして両ヴァイオリンにもフルートが重ねられてオーケストレーションに厚みが加えられているんですね。最初から響く分厚いオーケストレーションには、そうした裏技が使われていたわけ、これで納得でしょう。
第1楽章では勇壮なテーマに対比されるように、木管楽器を中心に下降する美しい副次テーマが添えられます。ラザレフはこの個所で半身を客席に向け、どうだきれいなメロディーだろ、と言わんばかり。毎度お馴染みの指揮スタイルが最初から炸裂していました。
第2楽章は緩徐楽章に相当しますが、メスト Mesto でやや悲劇的な趣を持っています。♭が6つも付いた、主調の短調である変ホ短調で書かれ、ジークフリートの葬送行進曲を連想させるような「ダダダッ・ダダダッ」というリズムが何度も打ち付けられる印象的な楽章。
最初の二つの楽章は共に弱音で終止しますが、第3楽章はいわゆるスケルツォ風の速い楽章。グラズノフのスケルツォは妖精が飛び交うような軽いものが多いのですが、第8の場合は重めで、どことなく暗い。管から弦までビッシリと埋め尽くされたオーケストレーション故でしょうが、最後のコーダでラザレフは猛スピードで突進。楽員全員が歯を食いしばって最後のスフォルツァートに雪崩れ込みます。
終楽章も重いコラール風の音楽で始まり、第1楽章副次主題の回顧も交えて循環形式風。序奏も主部も4分の4拍子ですが、コーダは3拍子にテンポ・アップされ、大詰めではティンパニの主音・属音の連打。これこそ第1楽章冒頭でティンパニが叩いたのと同じ音程で、全曲の統一感に一役買っているのでしょう。エリック・パケラの大きなアクションに大喝采。
後半のショスタコーヴィチ。グラズノフとは師弟関係にあるだけではなく、二人には他にも共通点がありますね。それは第1交響曲の初演の風景。グラズノフの第1交響曲は師でもあったリムスキー=コルサコフが指揮したのですが、作曲者が紹介されると、未だ学生服を着た青年だったことに聴衆が吃驚したという記録が残っています。
一方のショスタコーヴィチも、第1交響曲はサンクトペテルブルク音楽院の学生時代の作で、マルコによって初演された後に登壇した作曲者が青年だったことに周囲が驚いたと書かれています。グラズノフはショスタコーヴィチの第1交響曲にはやや批判的だったようですが、そこに青春時代の自分を重ねていたのは間違いなさそう。
ショスタコーヴィチは「証言」の中で師グラズノフについて色々語っていますが、これは中々の読み物で、今回の演奏会を思い出す良き手掛かりになるでしょう。
その交響曲第12番。現在でもショスタコーヴィチが共産党と不本意に妥協し、体制に迎合した見苦しい失敗作、ということで評価も定着しているようです。ショスタコーヴィチは交響曲では建前、弦楽四重奏曲では本音とよく言われますが、果たしてそうなんでしょうか。
今回のラザレフの壮絶な演奏、以前に同じ日本フィルと名演を繰り広げた広上淳一の名演などを思い起こすに、この評価は間違っていると断言せずにはいられません。確かにショスタコーヴィチが共産党に入党した直後の作品で、表向きはレーニン賛歌でもありましょうが、駄作と決めつけたのは共産党そのものだし、作曲者が共産党員になったのは半ば脅迫されてのもの。共産党が否定したのなら、それは名作でしょ。
その痕跡を作品から見出そうとすれば、通して演奏される4つの楽章の最後に執拗に鳴らされるテーマが、私にはどうしても「怒りの日」の引用に聴こえてしまうこと。「ドーシドラ・ドシソー」が耳元でガンガンと鳴らされ、ニ長調に転じた一見明るい賛歌は、共産党への皮肉? ニ長調とは神デウス Deus のDだし、最後のティンパニによる主音と属音の連打は、あの第5交響曲にも共通するメッセージ。そうそう、グラズノフの第8交響曲でも全曲を統一するキーワードでしたね。
ショスタコーヴィチの交響曲は建前。しかし煌びやかな衣装を脱ぎ捨てれば、作曲者の本音が透けて見える。それが交響曲第12番じゃないでしょうか。
ラザレフの繰り出すテンポは異常とも呼べるほどに速く、指揮台に乗るや否や間髪を入れずにチェロとコントラバスに向かって大きく両の手を振りかざす。それからは指揮者とオケの真剣勝負。聴き手は唯呆然、音楽の進行に時には仰け反り、時には息を潜めて聴き入るばかり。強弱の振幅は極端の極み。第326小節でティンパニが強打の限りを尽くすと、弦は同時に最弱奏で宿命の5拍子による祈りを捧げる。ここから音楽は休むことなくクレッシェンドを続け、最後の強烈な大団円へ。
次々と団員を指名してオケを讃える猛将ラザレフ。凄いのはこのオケだッ、もっと喝采を・・・、と全身で表現するいつもの光景が続きました。京都で一仕事、そのあと、また横浜でお会いしましょう、マエストロ!!
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