京都市響・第595回定期演奏会
去る5月、ヨーロッパ4都市でのコンサート・ツアーを成功させた広上淳一/京響のコンビ、その海外公演を終えてからは最初の広上指揮による京都市交響楽団の10月定期を聴いてきました。
彼等は7月に名古屋公演を行っており、その時も名古屋に出掛けて聴いたのですが、今回は本拠地京都での定期、聴き逃せないチャンスでした。
ベルリオーズ/序曲「海賊」
プロコフィエフ/ピアノ協奏曲第3番
~休憩~
シューベルト/交響曲第8番ハ長調「ザ・グレイト」
指揮/広上淳一
ピアノ/ソン・ヨルム
コンサートマスター/渡邊穣
フォアシュピーラー/泉原隆志
10月のプログラムはフランス、ロシア、オーストリアの名曲を並べたもので、国籍も時代も異なる作品ながら、全てハ長調の作品と言う共通点があります。肯定的、かつ聴く人を明るい気持ちにさせる爽快な作品が秋にピッタリな季節感とも言えそうですね。
ツアー以来の定期登場とあって、開演前のプレトークでは帰国の挨拶。何処もビールが美味かった、という枕詞で開始し、高い評価を得た海外公演で増々自信を深めたことを報告していました。
更に注目すべき試み。今回はホール設計者の意見も取り入れて、オーケストラの配置をすり鉢状にしての演奏。指揮者から離れるにしたがって奏者が座る雛段を高くし、音が中央に集中してからホール上階に響き上がっていく効果を狙ったもの。リハーサルで何度か実験し、その響きに確信を持ったようです。
聴衆を入れて鳴らすのはこの日が初めてとのことで、聴衆の評判が良ければ次回以降もこの方式で演奏していく予定とのことのことでした。
そんな楽しみもあって、冒頭のベルリオーズ。広上が首席指揮者に就任してからの京響の充実ぶりは我が国音楽界に広く知れ渡っている所ですが、ベルリオーズの第1音からして、ホールの鳴りがこれまでとは違うことに直ぐ気付きます。
弦と木管が適度にブレンドしつつも独立性を失わないバランス。そこに炸裂する金管とティンパニの明るく、瑞々しい響き。特にヴァイオリンの緻密なアンサンブルが上から降ってくるようで、これまで以上に立体的に響くのは感動的と言えるほどの体験でした。変な譬えですが、オーディオなら数段上のランクのアンプに切り替えたような印象。
私共が今回手にした席は1階4列の9と10。舞台にかなり近い場所で、これまでは奥の奏者の表情などは見え難い場所でしたが、楽器がすり鉢状に置かれているため、最奥のトランペット奏者も良く観察でき、音響的にも視覚的にも効果は想像以上のものがありました。大編成作品をどうするかと言う問題は残るでしょうが、通常の編成による作品なら、是非このスタイルを続けて行ってほしいと思います。
逆に言えば、何故もっと早くこの方式に気付かなかったのか、とも言えそうですが・・・。来月のアシュケナージの指揮などさぞや、と想像されましょう。
続いてプロコフィエフを弾いたソン・ヨルム。2011年のチャイコフスキー国際コンクールで2位、韓国人としてピアノ部門歴代最高の成績を収めた才媛で、今回その妙技を初めてナマ体験しました。
演奏会後のレセプションで知ったのですが、ヨルムと広上は先年のN響ソウル公演で衝撃的な出会いがあった由。広上はその時の出会い直後に京響出演を申し出、ヨルムも広上の音楽創りに感動して今回の共演が実現したそうな。
背中がザックリと開いた衣裳で登場したヨルム、オケの位置より楽器一台分前に置かれたピアノに向かいます。私の席からは彼女の後ろ姿が斜めに見える光景。
目を惹きつけたのは、その美しい背中も然ることながら、しなやかに乱舞する両手の動き。二本の手が時にシンクロで踊ったり、時には交差して軽やかに舞う。左手が飛ぶように高音を叩き、一転して最低音部の轟音を響かせる。
改めて、プロコフィエフが如何にピアノの名手であったかに納得できる様なピアノ手法に感服しました。
生前ある機会に作曲家が第3協奏曲を自演した時のこと。何度もピアノ・パートを攫っているプロコフィエフに、某氏が“自作なのにそんなに練習するのですか”と聞いたことがありました。
プロコフィエフ応えて曰く、“他の協奏曲ならまだしも、第3番は誰でも知っている曲。もし間違えれば直ぐにバレちゃいますから”と答えたというエピソードを思い出しました。
ソン・ヨルムの華麗なテクニックは、プロコフィエフも驚くであろう、技巧的な難度を全く感じさせないレヴェル。広上/京響との息もピタリで、各楽章の性格表現も完璧。第3楽章コーダのスリリングな掛け合いは、思わず椅子から飛び上がるほどの名演だったと思います。
客席の盛大な喝采に応え、アンコールはニコライ・カプースチンのエチュードから(確か第8曲フィナーレでしょう)。
休憩後は、シューベルトの「ザ・グレイト」。京響では久し振りの登場だそうですが、プレトークでも種明かししていたように、ほとんどの繰り返しを実行して「天国的な長さ」を楽しんでもらうというコンセプトです。
実際第1楽章と第3楽章の繰り返しは全て実行し、さすがに第4楽章だけは省略していました(第2楽章には繰り返しがありません)。その結果演奏時間は1時間に迫る長大さで、終演は9時半頃。
それでもマエストロが“退屈しないように準備を整えた積り”と豪語したように、全く退屈とは無縁の見事な演奏。私もグレイトは何度も聴いてきましたが、これほど説得力に富み、スリリングなシューベルトは滅多に聴けないものと断言できます。
堂々と4つ振りで進む第1楽章の序奏。ホルンのソロも真に馥郁たる響き。コーダの決然たるユニゾンに、若干リタルダンドを加えつつティンパニがキリリと締める心地良さ。
そして圧巻は第2楽章。活き活きとしたリズムが、ともすればダレることの多いメロディーを躍動させ、壮絶な fff のクライマックスに。息も出来ないほどの緊張を、弦のピチカートが解していく、その呼吸の絶妙なこと。こんな第2楽章、正直私は初めて聴きました。
この楽章が終わると、さすがの広上氏もフーッと大きく息を吐き、指揮台の後ろに一旦降りました。小林研一郎氏も楽章の途中で指揮台を降りることが良くありますが、彼は前に降ります。今回のマエストロは後ろに降りて呼吸を整えました。
続く第3楽章、第4楽章と京響の響きは絶好調。ヨーロッパの団体でもこれ程に「ヨーロッパ的」な響きは出せないのではないかと思えるほどの「シューベルト」でした。特に終楽章のコーダは鬼気迫る迫力に、圧倒されっ放し。
二度ほどカーテンコールがありましたが、マエストロは直ぐに拍手を制し、“今日は長かったのでアンコールはありません。時間も無いので直ぐにレセプションに移ります”と帰りの時間を気にする聴衆にも配慮していましたっけ。
そのレセプション、ソン・ヨルムと並んで登場したマエストロ。夫々に互いを讃えるスピーチを交換し、漸く長い夜も幕を閉じたようです。
なお今回のシューベルト、日曜日の大阪公演でも取り上げられますし、10月25日にはNHK-FMでもオン・エアされる由。聴かれなかったファンは是非一聴されることをお勧めします。
更に言えば、今回から常態化するであろう、すり鉢型配置、一度は京都コンサートホールで体感すべし。3階席なら効果はなお大きいものと思慮します。
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