マーラー千人の交響曲@新宿文化センター

1月も3週目、正月気分はスッカリ抜け切り、19日は日本各地で演奏会目白押しの土曜日が戻ってきました。前日に読響定期を振った山田和樹はこの日は日本フィルと相模原定期。一体何時リハーサルを行っているのかと不思議に思えるほどです。
暖かかった昨日、私共が出掛けたのは相模原でも横浜でも錦糸町でも赤坂でも池袋でも、ましてや札幌でも名古屋でも京都でも広島でもなく、新宿でした。コンサートを聴く街としては印象の薄い新宿ですが、同区ではほとんど唯一と言って良い新宿文化センターが開館40周年を記念して行われた大プロジェクト、以下のコンサートです。

マーラー/交響曲第8番
 管弦楽/東京フィルハーモニー交響楽団
 指揮/アンドレア・バッティストーニ
 第1ソプラノ/罪深き女/木下美穂子
 第2ソプラノ/懺悔する女/今井実稀
 第3ソプラノ/栄光の聖母/安井陽子
 第1アルト/サマリアの女/中島郁子
 第2アルト/エジプトのマリア/小林由佳子
 テノール/マリアの崇敬の博士/福井敬
 バリトン/法悦の教父/青山貴
 バス/瞑想する教父/ジョン・ハオ
 オルガン/三原麻里
 合唱/新宿文化センター合唱団、花園小学校合唱団(指導/根本潤子)、西新宿小学校合唱団(指導/草深陽子)
    関北みどりの風合唱団、マーガレット少年少女合唱団
 合唱指導/山上健志
 発声指導/鈴木マチ子
 合唱ピアノ/井熊康子

ご覧のように豪華キャストを揃えたいわゆる「千人の交響曲」ですが、先ずは思い出話から始めましょうか。
手渡されたプログラムには「新宿文化センター開館40周年に寄せて」という吉住新宿区長の挨拶文が挟まれています。これによると今年4月に同センターは目出度く40周年を迎える由。40年前と言えば1979年、昭和で言えば54年のことで、当時の新宿には厚生年金会館がありました。
文化センターはJRなどが乗り入れている新宿駅からは徒歩で15分も掛かり、開館当時はアクセスが不便だと評判が悪かったと記憶します。稼働率も悪かったセンターでしたが、厚生年金会館が閉鎖されたことで利用も増え、現在では新宿を代表する演奏会場として定着しているようですね。

私がこの会場で初めてクラシックを聴いたのは、当時の東ドイツを代表するベルリン国立歌劇場の公演でしたっけ。演目はヘンデルの「ジュリアス・シーザー」、何とペーター・シュライヤーが指揮し、テオ・アダムが朗々と歌っていたことを思い出します。記録を見ると、あれは1980年3月、開館して未だ1年以内の体験でした。
私は聴きませんでしたが、前年の秋にはライプチヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団がクルト・マズアの指揮でベートーヴェンなどを演奏していますね。当初はそれなりに大きな演奏会も行わていました。

その後は広い舞台とパイプ・オルガンが備わっていることもあって、ここではベートーヴェンの第9、ヴェルディやフォーレのレクイエムを聴いた記憶もあります。確か義理で区民参加型の音楽会に出掛けたことも・・・。
今回のマーラーも日本を代表するオーケストラと世界的な指揮者、第一線で活躍する8人の歌手に新宿区を中心にした区民合唱団を総動員した企画。客席には明らかに合唱参加者の応援団と思しきグループが大挙押し掛け、普通のオーケストラ定期などとは全く異なる雰囲気だったことは正直に書いておきたいと思います。

次は、マーラーの交響曲第8番の思い出。宣伝には必ず使われる「千人の交響曲」というタイトルは正式な曲名ではなく、初演を企画したプロモーターが宣伝のために創り出した、今で言うキャッチコピー。マーラー本人はこれを嫌ったそうですが、現代までこれ程に成功したキャッチコピーもなかろうと思います。現に今回のプログラムも一番大きな活字が躍っているのが「千人の交響曲」。
第8交響曲は、恐らく生前にマーラーが体験した最高の成功作で、自身が聴くことが出来た最後のシンフォニーでもあります。ミュンヘンでの世界初演には錚々たる人々が聴きに集まり、爆発的な成功は今でも語り草になっているほど。日本にマーラーを紹介したプリングスハイムも初演に立ち会った一人でした。

先日、都内某所で某指揮者がマーラーに付いて解説されましたが、その方は幼稚園の頃から千人の交響曲を聴き、歌って遊んでいたというから驚くじゃありませんか。私の頃はマーラーのレコードなど殆ど無く、コンサートで体験できる機会も稀でした。記憶では、第8交響曲の正規録音は確かヘルマン・シェルヘンが指揮したウェストミンスター盤じゃなかったかしら。バーンスタインやクーベリックの録音が出るようになって、日本でもマーラー・ブームが起きたのは記憶に新しい所です。
実演となると更にブームは遅く、第8交響曲が現在のように頻繁に取り上げられ、普通に聴けるようになったのは1990年代に入ってからでしょう。それまでは山田一雄が初めて新響(現在のN響)で紹介し、そのあと朝比奈隆、渡邊暁雄、小澤征爾などが振りましたが単発的。私は生憎彼等の演奏には接することが出来ず、確か小林研一郎が日本フィルで取り上げたのがナマ初体験だったと思います。この時のライヴ録音がCD化されているはず。

ということで、余り聴いたことのない第8番、また一生の間に何度も聴くような曲ではないと考えている「千人の交響曲」を久し振りに味わった次第。
初演こそ大成功だったものの、現在でも好き嫌いが分かれているのが第8じゃないでしょうか。マーラーの最高傑作、交響曲の集大成という賛辞がある一方で、こけおどしで音が多すぎる、歌ばっかりで何処が交響曲なんや、という否定的な意見も未だに存在します。私はどちらかと言えば後者に近い意見で、多過ぎる情報量に耳も頭もパンクしそう、というのが正直な感想ですね。

それでも最後の最後、通称「神秘の合唱」で弦楽器の弱奏のみに落としたオーケストラに乗って、合唱が静かに深く「すべての移ろいゆくものは」 Alles Vergaengliche と歌い出し、やがてソプラノが和して次第に声量を響かせていく個所に感動しない人はいないでしょう。私も “そもそもマーラーは” などと不平を言いながらも涙が溢れてくるのを止めることは出来ませんでした。
恐らく平成最後の体験となる千人の交響曲、新元号で聴く機会は訪れるのでしょうか。

おっと、最後に一つだけ。この大作、第1部はラテン語による賛歌、第2部はゲーテの「ファウスト」から最終場面がテキストとして用いられているのはご存知の通り。第1部ではソプラノ1とかバスなどと記されている声楽ソロ・パートが第2部ではファウストの役名で歌われるのも解説に書かれているところですが、上記「神秘の合唱」以降はファウストの役名ではなく、第1部のソプラノ1、テノールなどに戻っていることに注意したいと思います。ここ、案外解説では触れられていないように思いますが、どうでしょうか。

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