エク・聴き初め
昨日(1月10日)は1年振りに日吉の慶應キャンパスを訪れ、クァルテット・エクセルシオを聴いてきました。今年の「エク」聴き初めです。その名も、「クァルテット・エクセルシオ 慶應キャンパスコンサート」。
同校の協生館・藤原洋記念ホールで行われた実験授業≪構造的聴取≫の締め括りコンサートは、今年が3回目(3年目)。私は去年に続いて参加しましたが、授業と演奏会の主旨については去年の日記で詳しく紹介しました。今年は繰り返しません。
演奏会は無料、事前申し込みと当日の参加もあって、私が日吉に着いた開演時間丁度(午後6時20分)には既に長い列が出来ていました。ホール後方の中央辺りを選んで着席。客席は学生から年配まで様々の年代と見受けられました。
去年はヤナーチェクがメイン・テーマでしたが、今年は忘れられた邦人作曲家・大澤壽人が取り上げられます。その唯一残された弦楽四重奏曲は恐らく世界初演とのことで広く音楽サークルからも注目されていました(はずです)。プログラムは以下のもの。
モーツァルト/弦楽四重奏曲第19番「不協和音」
大澤壽人(おおざわ・ひさと)/弦楽四重奏曲(1933 ボストン)
~休憩~
ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第7番「ラズモフスキー第1番」
クァルテット・エクセルシオ
コンサート自体も学生の手作りとあって、進行にはやや不慣れな面も垣間見えます。6時半からはプレ・トークもあって、3人の学生が分担、エクのメンバーへのインタヴューも挟んで演奏会の聴き方が紹介されました。
プログラムの曲目解説も夫々担当した学生が自ら書き起こしたもので、プロの音楽ライターの文章とは趣の異なる、若さ溢れる文体が微笑ましく、また頼もしくもある内容です。
モーツァルトとベートーヴェンの作品については、これまでもエクの演奏で何度も聴いてきましたから、今回は特に感想を書きません。
で、注目の大澤作品。
そもそも私はこの作曲家のことをほとんど知りません。ナクソスがCDを発表してその名を初めて知った程度で、その音盤も所有していないので、今回が全くの初体験です。
ホールのロビーには大澤に関するパネルや自筆楽譜の展示もあり、そのプロフィールや筆跡も初めて目にしたもの。本日の演目である弦楽四重奏のスコア(第4楽章の冒頭部分)とパート譜も見ることが出来ました。
更に演奏に先立って学生(曲目解説も書いた星野洋二郎くん)によるプレトークと、メンバーによる部分演奏も紹介され、初演としては中々熱意に溢れたものになっていました。
コンサートに参加できなかった方は、下記ウィキペディアで大澤壽人の大雑把なプロフィールに接することが出来ます ↓ 更にググると、オーケストラ・ニッポニカのプログラムに掲載された解説にも遭遇しました。
因みに、大澤ルネサンスの仕掛け人とも言える片山杜秀氏は、この授業を担当した教員の一人でもあります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%BE%A4%E5%A3%BD%E4%BA%BA
作品はやや短めな4楽章構成。第1楽章は速いソナタ形式。第2楽章は緩徐楽章に相当しますがそれほど遅いものではありません。第3楽章が短い三部形式のスケルツォ。第4楽章は再び急速なソナタ形式で書かれています。
大澤は当時新し過ぎると評価されていたようですが、現代の耳にはむしろ新古典的な感覚に聴こえます。主題の性格が明瞭で、作品の構成(例えば提示と再現、展開の語法など)も手に取るように解りました。これにはエクの演奏が明快さに徹していたことも貢献していたでしょう。スコアを見なくても作品の姿がクッキリと浮かんでくるのでした。
プログラムや事前の解説では、日本固有の音階(5音)、古謡「さくら」の引用(大澤は「さくら」に拘りがあったようですね)、琴を連想させるピチカートの多用などに触れられていましたが、私にはむしろドビュッシー、ラヴェル、ストラヴィンスキーの影響と感じられます。
ボストン交響楽団を指揮したという大澤は、恐らく当時の最新鋭の音楽に身近に接していたはず。その作品にも20世紀初頭から両大戦間の音楽が深く影響したと考えて何の不自然さもないでしょう。
ファーストの西野氏が指摘していた第4楽章の「ゴジラ」も、私にはバルトークの語法の影の方がより大きく感じられましたね。
去年も触れましたが、このホールは響きが素晴らしく、中央より後方でも各パートの動きが明瞭に分離して聴こえます。また大澤作品の第3楽章はピチカートの強音で終わりますが、その余韻がいつまでも客席に漂い、かなり残響の豊かな空間を体験することが出来ました。
マイクを通した人の声も、サントリーホールのように聞き難くならないところに好感が持てます。
アンコールが一つ。ハイドンの「皇帝」からメヌエット楽章が演奏されました。
最後に。
ロビーの展示物の一つに新響(現在のN響)のプログラムがありました。「日本の交響楽団」の定期演奏会記録集を見ても、大澤壽人の作品が演奏された記録はありません。
そこで手元の「NHK交響楽団四十年史」で探すと、その演奏記録に以下の2点が見つかりました。興味ある方のために引用しておきましょうか。記載は英文で、作曲者名は Hisato OZAWA となっています。
1936年5月26日 大澤壽人コンサート
指揮/大澤壽人
独奏/レオ・シロタ
大澤/交響曲第2番
大澤/管弦楽のための組曲 “Les fragments de la ruelle”
大澤/ピアノ協奏曲第2番
ベルリオーズ/序曲「リア王」
1937年4月7日 大澤壽人による大交響楽コンサート
指揮/大澤壽人
独唱/長門美保
独奏/日比野愛次
メンデルスゾーン/序曲「静かな海と楽しき航海」
大澤/ヴァイオリン協奏曲
ラヴェル/古風なメヌエット(ピアノ演奏)(大澤のピアノ演奏か?)
大澤/歌曲集(秋の歌、鉄の祈り、ロンディーノ、桜に寄す)
大澤/交響曲第3番
その他、自作品以外の作品を指揮した演奏会も記録に残っています。同じN響40年史から、
1939年9月13日
指揮/大澤壽人
ベートーヴェン/交響曲第7番
ヨハン・シュトラウス/ウィーンの森の物語
ビゼー/「アルルの女」組曲
以上は全て定期演奏会ではありません。
この頃の新響はローゼンシュトックを首席指揮者に迎え、ビシビシと扱かれて演奏水準が目に見えて向上していた時代。ワインガルトナーの客演(1937年)も話題になっていました。
この時代を最後に、大澤壽人は世界の音楽界から忘れられていったのです。
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