2019フェスタ・サマーミューザのフィナーレ
終わってみればあっという間で、旧盆入り前日の12日、無事に今年のサマー・ミューザが幕を下ろしました。
毎年オープニングとフィナーレはチケットの売り上げが良いと聞いていましたが、私は一般発売、それも発売開始から少し時間が経過してからネットでまとめ買いしたのですが、フィナーレだけは4階席しか残っておらず、天井桟敷のような場所からオーケストラを眺めたのは確か二度目の経験だったと思います。
私はそうではないけれど、4階席は高所恐怖症の人には勧めませんね。上からの俯瞰は某レコードのジャケット写真を見るようで、思わず吸い込まれそう。座席の背もたれにピタッと張り付くようにして前半を聴きました。以下のプログラムです。
シューマン/ピアノ協奏曲イ短調作品54
~休憩~
ショスタコーヴィチ/交響曲第5番ニ短調作品57
東京交響楽団
指揮/尾高忠明
ピアノ/ジャン・チャクルム
コンサートマスター/グレブ・ニキティン
このコンサート、実は話題になっていたのがシューマンを弾いた「チャクルム君」だったそうで、昨年開催された第10回浜松国際ピアノ・コンクールの覇者。ミューザ川崎のホールアドバイザーを務める小川典子が、この浜松コンクールの審査員長でもあったという関係からの推薦なのでしょう。噂を聞きつけたファンが殺到、道理でチケットが完売したわけだ。
例によって11時からのリハーサルも聴いた知人によると、今回のピアノは、というよりチャクルムが愛奏する楽器はカワイの「Shigeru Kawai」とのこと。このピアノ、ミハイル・プレトニョフが好んで弾いているということでも知られていますが、表参道に行けば体験できます。
大きなコンサートでは初めて見聞きする楽器ですが、残念ながら4階からではピアノの顔も殆ど見分けがつきません。奥にショスタコーヴィチで使用するピアノも置かれていて、それがスタインウェイであることは流石に判りますが、情報が無ければ今回のピアノがカワイだったことは知らずにいたことでしょう。
その音色はというと、正直良く判りません。いつも聴いているシューマンに比べて随分ポエティックだな、という印象を持ちましたが、それが楽器の特色なのか、チャクルムのピアニズムなのか。たった一度、それも遥か彼方からの音楽だけでは即断のしようもありませんでした。
恐らくピアノのファンにとっては幸福な時間だったのでしょう。協奏曲が終わるや大変な拍手と歓声。若きトルコのイケメンが川崎のファンの心を鷲掴みにしたようです。
今回のプログラム、飯田有抄氏の取材・構成による小川典子が語るチャクルムの魅力という記事が掲載されていて、コンクールの様子、チャクルムの何が凄いかが記されていました。本人のホームページがありますから、こちらをご覧ください。
チャクルム君がアンコール曲名を告げましたが、4階では聞き取れません。右手で鍵盤、左手で弦を抑えて独特な音色を創り出す小品は、もしやと思いましたが、やはり当たっていました。ファジル・サイの「ブラック・アース」ですね。以前に本人の演奏で聴いたことがあります。
もちろんサイは、チャクルムの先輩に当たるトルコの天才ピアニストにして作曲家。このアンコールは故郷への愛でもありましょう。
さて休憩、開演前に出会った友人が “目当てはピアノ、後半は聴かないので席を譲りますよ” との誘い。ここは甘んじて2階中央に移動してショスタコーヴィチを聴くことになりました。ミューザシンフォニーホールは、恐らく2階センターがベストの席じゃないでしょうか。
そのショスタコーヴィチ、上記の曲目紹介では省きましたが、実際のプログラムには未だ「革命」の文字が大書されています。もちろん曲目解説にも出てくるのですが、今やショスタコーヴィチの第5交響曲を革命だと信じている聴き手は殆どいないのじゃないでしょうか。
ところが尾高/東響の第5は、正に革命交響曲の如き演奏。そこまで見抜いてのタイトル、解説だったとは流石ですね。要するに、尾高忠明のショスタコーヴィチは、最も模範に忠実、万人向けのショスタコーヴィチと申せましょうか。聴く者に強烈なインパクトとメッセージを伝える、というタイプの演奏ではありません。
終演後に万雷の拍手を制し、客席に向かって開口一番は、“疲れました”。これ、本心でしょう。病み上がりでいきなりのロンドン、とんぼ返りで直ぐのミューザです。マエストロ、どうか間隔を十分開け、体力と相談しながら活動を続けてください。
最後はホールへの絶賛で纏めましたが、あのこと、言っちゃって良いのですかね。今や楽壇の重鎮に座りつつある尾高忠明氏。誰も氏の音楽、発言を止めることは出来ません。
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