読売日響・第585回定期演奏会

2月は余り演奏会に出掛ける予定が無く、前回の投稿から2週間も空いてしまいました。昨日22日にサントリーホールで聴いた読響定期が今月最後のコンサートで、2月のサントリーホールはこれ1回のみという赤坂行でもあります。
毎回のように重厚な作品が組まれる読響定期、今回も長大な2作品が並ぶ充実した時間となりました。

リーム/Ins Offene… (第2稿/日本初演)
     ~休憩~
ブルックナー/交響曲第7番(ノヴァーク版)
 指揮/ローター・ツァグロゼク
 コンサートマスター/日下紗矢子

ドイツ・バイエルン州生まれ、確か今年76歳のツァグロゼクは、私にとっては二度目の体験。前回も読響定期で、3年前はベートーヴェンのエロイカ交響曲をメインとしたナポレオン・プログラムでしたっけ。
その時はオペラと20世紀作品の指揮者、という印象で纏めましたが、今回はロマン派のブルックナーがメイン。古楽系のアプローチでベートーヴェンを聴かせたマエストロ、果たしてブルックナーはどうでしょうか。

その前に、ツァグロゼクが得意とする現代作品を楽しみましょう。前回はベンジャミン作品の日本初演でしたが、この日は同郷ドイツの現代作曲家リーム作品の日本初演。正直に告白すれば小生はリームは苦手で、数少ない体験ではほとんど感動したことがありません。その辺りをツァグロゼクがどう聴かせてくれるか、事前の予習も含めて紹介して行きましょう。
ヴォルフガング・リーム(1952-)は、プログラム誌の解説(江藤光紀氏)によればゲーテ以来のドイツの理想的知識人像を髣髴させる作曲家で、その原点は主知主義的な戦後アヴァンギャルドへのアンチテーゼにあったようです。1974年にドナウエッシンゲンで話題になった当時は「新しい単純性」とか「新ロマン主義」などと評されたようですが、現在までの400曲以上の膨大な作品を単一のイズムやキーワードで括ることは出来ない由。確かにこれまでの体験からリームの特筆を一つに集約することは不可能だと感じていました。
作曲法はあくまでもトラディショナルで、機械音や特殊奏法などは避けているようですね。

今回日本初演された「Ins Offene…」は、2年前に書かれた同名の作品の第2稿に当たるのだとか。プログラムによれば二つの稿に大きな差は無く、第2稿は前作に比べ、より豊かで細やかになっているとのこと。それでも決して初稿にとって代わるものではないそうで、第1稿も演奏可能な作品なのだそうです。
出版はユニヴァーサル。ユニヴァーサルは閲覧だけなら(演奏や引用は不可)スコアを見ることが出来るので、私も事前に Perusal Score を眺めてきました。世の中便利になったものです。

そのスコアと実際に演奏された風景を総合して作品を紹介すると、演奏は30分弱という現代作品にしては長大なもの。楽器編成も変わっていて、指揮者を含めて40人が舞台その他に登場します。折角ですから使用楽器を詳述すると、
ピッコロ3、クラリネット3、バス・クラリネット、コントラ・ファゴット、ホルン3、トランペット3、トロンボーン3、チューバ、打楽器5人、ハープ、ピアノ、ヴァイオリン2、ヴィオラ2、チェロ6、コントラバス4。これで39人になりますね。
これらの楽器が3つのグループに纏められ、というか分けられ、その演奏場所もスコアに指定されています。つまり第1グループはヴァイオリン2人、トランペット3本、打楽器3人で、これらは舞台ではなくホールの5箇所に分散して配置されます。今回の演奏では、二人のヴァイオリン(コンマスの日下氏とフォアシュピーラーの伝田氏)はP席の隅に左右に分かれ、トンペットと打楽器は二人一組でホール2階席の左右と中央に離れて陣取ります。この結果、少なくとも1階平土間で聴く人には音が上から、前からも後ろからも降ってくる如くに聞こえてきました。

第2グループはピッコロ、クラリネット、ホルン・トロンボーン、打楽器1人、ヴィオラとコントラバスで構成され、このグループは舞台上手。一方の下手にはバス・クラリネット、コントラ・ファゴット、チューバ、ハープ、ピアノ、打楽器1人にコントラバスが陣取ります。舞台上の演奏者たちは左右大きく離れ、指揮者は一人ポツンと通常の指揮台に乗り、四方八方を纏めていく。この曲でしか見られない光景、独特の音響空間が出現すると思えばヨロシイ。
つまり作品は「開いた…の中へ」という意味のタイトルで、「…」には客席が入っても良し、時の流れが象徴的に当て嵌められても良し、ということでしょうか。因みに前以てドイツ語の専門家氏にお聞きした所では、「ins」という冠詞には内に向かってという動きが含まれているそうで、正に「空間音楽」を暗示しているのじゃないでしょうか。

プログラムには触れられていませんでしたが、スコアの冒頭にはクラウディオ・アバドのために、という文字が確認できます。アバドとの関連に付いてはこれから調べる積り。
音楽が始まって直ぐ、極めて長い休止が置かれています。譜面では4小節目のフェルマータで、ここは何と4分の23拍子と書かれているのですが、この間は指揮者も凍り付いて身動きもしません。現場で見ないと理解してもらえないでしょう。23拍子って、正確に数えられるんでしょうかね?

次の注目点は丁度真ん中あたり。全体は371小節で出来ていますが、その182小節目から数小節、5拍子での打楽器連打が登場します。江藤氏も「ヴィブラフォンをはじめとする打楽器の多彩な打撃音」による「一定のパルスが聴かれる」と解説されていますが、この個所以外は明確な拍節感が避けられています。弓で弾くアンティーク・シンバルに代表されるようなハーモニックスによる超高音が、音楽の既成概念を壊していくようにも感じられましょう。
もちろんメロディーに相当するような動きはほとんど無く、唯一短い音程で上昇していくモチーフのような存在が聴き取れるだけかもしれません。
ツァグロゼクは、プログラム前半で先ず定期会員の耳からこれまで当たり前として感じてきたクラシック音楽の概念を取り去った、と言えましょうか。これが現代ドイツの理想的な知識人が作り出す音世界なのです。

そして後半、現代の我々が最も共感するであろう、一世紀以上前のドイツ人が生み出した交響楽がサントリーホールの空間に鳴り響きました。時空を超えたドイツ音楽の神髄、これが2月定期のテーマと言えそうです。
前回のベートーヴェンではやや挑戦的なスタイルで古典作品を紹介したマエストロでしたが、ブルックナーでは深々とした音世界を、新しい感覚と、たった今ブルックナーが書き下ろしたばかりの如き新鮮なアプローチとで現代に蘇らせてくれました。

スリムな長身を折り曲げるように、その角度が深ければ深いほどにオーケストラは重厚な響きで答える。これが単に重いだけの音楽に終わらないのは、フレーズとフレーズの継ぎ目でツァグロゼクが指示するテンポの変化、新たな推進力を要求する姿勢が適切であるからに他なりません。
私がブルックナーの第7交響曲を初めてナマで体験したのは、同じ読響とアンドレ・ヴァンデルノートの指揮だったことを思い出します。当時はハース版だのノヴァーク版だのという拘りはありませんでしたが、シンバルとトライアングルを使わないエディションだったと記憶しています。当時から読響の金管はパワフルで成らしたものですが、あれから半世紀、今や読響の演奏レヴェルは世界のトップクラスでしょう。
トロンボーンの前にズラリと並んだ4本のワーグナー・チューバ、出番は第2楽章と第4楽章だけですが、第1楽章のコーダで4人が全総に加わって楽器と唇とを馴らし、第2楽章の冒頭を準備する様子(生演奏ならではの裏技?)もバッチリ観察することが出来ました。

会場アナウンスが“拍手は指揮者のタクトが下りるまで待って”と叫ぶまでもなく、昨今の読響定期では全曲終了後の余韻を楽しむのが当たり前になってきました。一呼吸置いての拍手喝采の爆発は、如何に日本の聴衆レヴェルがワールド・クラスであるかの証明でもありましょう。いや、この点は欧米を凌ぐでしょうね。
今日は指揮者の呼び戻しオヴェーションがあるぞ! それは誰しもが感じたことで、楽員が引き揚げた後も喝采が続いてツァグロゼクが再登場、客席の歓呼に応えます。それだけでは飽き足りず、演奏後のサイン会にも興奮醒めやらぬファンたちの長い列が続いていました。ツァグロゼクの再登板、読響とのより深い関係は約束されたようなもの。その光景はかつてのスクロヴァチェフスキとの邂逅を思い出させ、私はツァグロゼクを「ミスター・ズイ」 Mr.Z と呼ぼう、と勝手に決めた所であります。

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