読売日響・第489回名曲シリーズ

少し時間が経ってしまいましたが、4月27日(金)のコンサートの感想を書いておきます。

読売日本交響楽団 第489回名曲シリーズ 東京芸術劇場
オネゲル/交響曲第2番
メシアン/われら死者の復活を待ち望む
~休憩~
ブラームス/交響曲第2番
指揮/スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ
コンサートマスター/デヴィッド・ノーラン
この日のフォアシュピーラーは小森谷巧氏でした。

芸劇に着くと、ホワイエでジムニーさんご夫妻とお会いしました。挨拶を交してからホールに入ると、正面にデンと据えられた打楽器群が目に飛び込んできます。
聴きどころで紹介した通り、センセロス、ゴング、タムタムがズラリと並んでいますね。
センセロスは楽器の名前を知って眺めるのは初めてでしたから、興味深く観察しました。
3台の楽器は大・中・小の3タイプがあり、左から小さい順に並びます。一番右の大は、カウベルが6個、真ん中の中は少し小さめの物が13個吊られていて、縦型に置かれています。
左端の小は、ずっと小さなカウベルが多数並べられ、横型に置かれています。休憩で片付ける際に観察したのですが、これは2段になっているもののようでした。
ということで、始まる前から目で楽しむコンサートであります。

最初はオネゲル。見るとトランペット用の譜面台が左端、第1ヴァイオリンの奥に並べられており、譜面の指示通り、ヴァイオリンを補佐するためのものであることが判ります。
実際、田島首席は前2楽章では登場せず、最後の場面で舞台に上がってこのパートを吹奏しました。指揮者に向って吹きますから、楽器の音が直接に客席を直撃しません。オネゲルの意図を適切に守った演奏で、マエストロの手堅さが光っていたように感じました。

続くメシアンは、スコア指示の通りのセッティングで、3列目のホルン6本の右端に松坂氏が陣取ります。
ここでは、スコアに書かれている楽章間の1分間の休みは採用せず、少ない間を空けながら全曲が通されました。
第3曲のタムタムの轟音の後の休符、第4曲の同じくタムタムの間隔なども比較的短めにして、聴衆への過度の負担を避ける配慮があったようにも聴きました。
事前の予習が効いた所為か、メシアンにしては聴き易い音楽。

なお、この2曲については、スクロヴァチェフスキは暗譜ではなく、スコアを見ながら指揮しておりましたね。
さて、何の予備知識もなく前半2曲を聴かれた方はどのような感想を持ったのでしょうか。改めてプログラムというか機関誌を読み返しましたが、作品そのものに関する情報はほとんどありませんね。メシアンについては楽器についての紹介は一言もなし。“あの打楽器、何という名前ですか?”と、疑問を抱く方はいないのでしょうか。私にはどうにも不可解な機関誌です。

後半のブラームス。これはいわずと知れた名曲で、客席も安心して聴いている様子が窺えます。
スクロヴァチェフスキ、第1楽章の繰り返しを実行してくれましたね。お陰で美しいヴァイオリンの経過句も二度楽しめたし、繰り返さなければ聴けないブリッジも味わうことが出来ました。第2はこうでなくちゃ。

演奏は極めてガッチリしたもので、どこを突付いても崩れない堅牢さを誇ります。
響きはあくまでも柔らかく、ウィーンの春も斯くやと思わせるもの。それでも第1楽章のシンコペーションの扱いにはミスターS独特の音量変化が与えられており、この曲にマンネリ感を抱いている聴衆にも微かな驚きが準備されています。
抑えに抑え、控えに控えてきた金管楽器の爆発は、最後の最後、フォルティッシモで炸裂します。ティンパニもおなじ。
改めてスコアを見れば、金管の ff はここだけですものね。
特別な仕掛けも秘密もなく、ブラームスが書いた通りの音楽を再現する。それだけなのに、“う~ん、ヤッパリ”と聴いてしまう。彼の思う壺に嵌ってしまったメリーウイロウなのです。

 

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