神奈川フィル・第347回定期演奏会

2月9日、関東地方に大雪の予報が出る中、神奈フィル定期を聴くためにみなとみらいホールに出掛けました。拙宅のある城南地方は未明に一雪あって薄らと雪化粧していましたが、出掛けた昼頃には雪は止んでいました。
従来このホールに行くには京浜東北線の桜木町駅を使ってきましたが、今回は横須賀線と東横線を利用、横浜で乗り換えてホール真下で降りるルートを選びます。従来のルートの方が運賃も安く(片道で160円も違う)、乗り換え無しという利点があるのですが、このところ加齢に伴う軟骨のすり減りから膝が痛く、おまけに降雪の予報。経済面は無視して歩行距離が短かく、地下を使って雨に濡れない横浜乗り換え方式に換えたわけ。これが成功して行きも帰りも座れ、帰宅時の降雪もバスを利用することで殆ど苦にならないコンサート行となりました。

それまでして出掛けたのは、神奈川フィルハーモニー管弦楽団の2月定期は何としても聴きたかったから。以下のプログラムです。

マーラー/リュッケルトの詩による5つの歌曲
     ~休憩~
ハンス・ロット/交響曲第1番ホ長調
 指揮/川瀬賢太郎
 メゾソプラノ/藤村実穂子
 コンサートマスター/﨑谷直人

レポートに入る前に普段見かけない光景から。初めて知ったのですが、2月は「いじめストップ!」ワールドアクションを標榜するピンク・シャツ・デイ月間なのだそうで、神奈川県も神奈フィルもこれに呼応するように、ピンクのスカーフやバッジを付けて賛同の意思表示をされていました。プレトークに登場した常任指揮者の川瀬賢太郎は胸にバッジ、ソリストの藤村実穂子も腰にスカーフを付けて演奏に臨みます。オケの面々もある人は椅子に、別の方は譜面台の柱にスカーフを巻きつけてのアピール。折しも痛ましいニュースが全国的に報じられていることでもあり、このアクションに改めて注意を喚起された横浜でもありました。

さてコンサート、メインは久し振りにロット作品をナマ体験することでしたが、圧倒的な感銘を受けたのは、前半のマーラーでした。少し詳しく感想を続けましょう。
そもそも5曲から成るリュッケルト歌曲集は、一貫して書かれた連作歌曲集ではありません。テキストがリュッケルトであるということで纏められたもので、5曲の演奏順に決まりもありません。実際、私が未だ学生時代に買い求めたユニヴァーサル社のフィルハーモニア版は、角笛の2曲(「死んだ鼓手」と「少年鼓手」)を含めて「最後の7つの歌」として纏められたスコア。一方で、今回演奏された5曲を纏めたカーント社の1913年版のスコアも存在します。

演奏される順序も決定版があるわけではなく、レコードなどでも歌手や指揮者の意向で如何様にも並べることは可能。煩わしくなりますが曲順について記すと、上記カーント版で印刷されているのは、
① Blicke mir nicht in die Lieder! 私の歌を見ないで
② Ich atmet’ einen linden Duft 私は優しい香りを吸い込んだ
③ Ich bin der Welt abhanden gekommen 私はこの世から姿を消した
④ Liebst du um Schoenheit あなたが美しさゆえに愛するなら
⑤ Um Mitternacht 真夜中に
の順。(日本語訳は今回のプログラムに使用されたものを転載)

方や手持ちのユニヴァーサルは最初に角笛の2曲が印刷され、第3曲からは①②③⑤④の順。つまり④と⑤は両版では入れ替わって印刷されているのですね。で、今回川瀬/藤村が話し合って決めた順番は、④①②⑤③の順でありました。
その意図は、コンサートに先立って川瀬が解説されていたように、③の歌詞が恰もハンス・ロットを想起させるようなタイトル、内容になっているからに他なりません。ここに歌詞を長々と書き写す余裕はありませんが、詳しく知りたい方は手持ちのCD解説書か、インターネット検索で読んでみてください。正にロットはこの世から姿を消していた作曲家であり、マーラー自身も長くその境涯にあったのはご存知の通り。

つまり川瀬/藤村が意図したのは、単に前半と後半に夫々が演奏したい作品を並べたのではなく、休憩を挟んで2曲が有機的に繋がること。川瀬特有のプログラミングへの拘りが表現されたコンサートで、これはもう聴くしかないでしょ。単にロットを紹介するに止めないという若きマエストロの意欲が感じられるではありませんか。
それでも手違いがあったのでしょうか、当日手渡されたプログラムには⑤と③が入れ替わって印刷されており、急遽「訂正」として注意を喚起するペーパーが挟まれていました。それでもプログラムに掲載されていた歌曲集の歌詞対訳、何と藤村氏自身の訳で、これは貴重。これをジックリ読み込むことも、この演奏が目指す所を的確に表現していると読みました。これまた永久保存版の一冊となるでしょう。

そしてその演奏。これはもう実に素晴らしいもので、単なるプログラム前半の域を遥かに超えるものでした。当然のことですが、リュッケルトの詩を完璧に理解した表現、最高のテクニックを駆使して謳い上げられた歌の数々。
音程の大きな跳躍、例えば最初に歌われた④の mich Liebe! の6度上行、更には最後として選ばれた③の einem stillen の8度跳躍など、音程が完璧に安定していることは言わずもがな、pp の美しさと心を揺さぶるような表現力の細やかさ。
藤村実穂子という日本人歌手が海外に羽ばたき、「世界的なメゾソプラノ」と評されるまでになったキャリアの全てが、ここに凝縮されていました。

彼女に室内楽の精神で寄り添った川瀬と神奈フィルも見事。これも例を挙げれば、ロットに繋がる③の第3節「だって本当にこの世で死んでいるのだから」(藤村訳)に付けられたオーケストレーションは、第1ヴァイオリンが Nicht schleppen の頂点でコンサートマスターのソロのみが残り、3小節後に Wieder zuruckhaltend で再び第1ヴァイオリン全員のテュッティに戻る。ここはもう、マーラーの意図と指示を完璧に具現化して見せた彼等の勝利だったと言えましょう。

リュッケルト歌曲集は①が1901年の6月に、②③⑤は同じ1901年の夏に書かれ、④のみが翌年の1902年の夏に完成した作品。よく聴かれるのは、唯一トランペット、トロンボーン、チューバにティンパニが加わる最も編成の大きな⑤で締め括られる演奏で、この歌はイ短調で始まり、輝かしいイ長調で閉じられるという演奏上の効果が大きいことも理由でしょう。
しかし今回は、先に記したように明るい⑤の後、敢えて間を大きく取ったように感じられたパウゼに続いて③が演奏されたのでした。私は不覚にもここで泣いてしまいましたが、演奏が終わって涙を手で拭う楽員の姿もありました。それだけ感動的なマーラー、むしろこれこそがメインディッシュだったと感じた聴き手も多かったのではないでしょうか。

肝心の後半、ロットについて詳しく触れる余裕はなくなってしまいました。
しかしこの作品、私は15年ほど前に初めて知り、その経緯を当時「クラシック招き猫」というBBSサイトに書いたことがあります。それを5年ほど経ってから当ブログに転載したのが、10年以上前の2008年のこと。今でも検索すれば全8回の連載が読めますから、興味と時間のある方は併せてお読みください。

私も古希をいくつも過ぎ、最早ロット日本初演当時の情熱は薄れてしまいました。あのころは未だ一般ファンの見ることが出来るスコアもない時代でしたが、色々な資料を漁って夢中になってパソコンに向かったことを懐かしく思い出します。
今やリース・アンド・エルラー社から高価ながらもスコアが市販されるようになり、遠目に見れば今回の演奏でもこの版が使用されていました(版についても私のブログで紹介しました)。
譜面が揃うことで、ロットの交響曲が聴かれる機会も増えていくでしょう。何とこの日、偶然ながらパーヴォ・ヤルヴィがN響定期でもこの作品を演奏したはず。今日の2日目を聴くという方もおられるでしょうし、9日は雪の中をみなとみらいから渋谷に移動し、ロット2連発に挑戦したファンもいたと聞きます。今年は読響も、あのセバスチャン・ヴァイグレが指揮することが決まっていますね。15年振りのロット祭り、私は静かに楽しむことにしています。

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