読売日響・第506回定期演奏会

台風6号が列島に接近中の19日、サントリーホールで読響7月定期を聴いてきました。正指揮者・下野竜也の指揮、≪下野プロデュース・ヒンデミット・プログラムⅥ≫と副題が付いたコンサートで、マエストロ拘りの選曲です。以下のもの。

ヒンデミット/<さまよえるオランダ人>への序曲~下手くそな宮廷楽団が朝7時に湯治場で初見をした~(下野竜也編・弦楽合奏版、世界初演)
ヒンデミット/管弦楽のための協奏曲 作品38(日本初演)
     ~休憩~
ブルックナー/交響曲第4番(ハース版)
 指揮/下野竜也
 コンサートマスター/藤原浜雄
 フォアシュピーラー/鈴木理恵子

前回は他に用事があってパスしましたから、私が下野を聴くのは久し振りでした。相変わらずプログラムに拘る人で、読響の方向性を代表する一人でしょう。(アルブレヒト、スクロヴァチェフスキ、カンブルランと、読響の指揮者陣は選曲に凝る人ばっかり)
今回も相当に捻ったプロで、今回が6回目になるヒンデミット・シリーズも滅多なことでは取り上げられないものばかり。マエストロ自身が「ゲテモノ担当」を豪語している位ですから、定期会員は驚いてばかりもいられません。

最初のワーグナー・パロディーなんかその最たるもの。ある程度予想はしていましたが、ホールのオルガン前には「朝7時」を強調するように大時計が掲げられ、時計の針は刻々と7時に近づいています。
その横には「ようこそ読響温泉へ」という看板も据えられ、指揮台があるべきところには手桶が積まれています。そこまで凝るか、下野ォ~。

ヒョッとして楽員は浴衣で登場するのでは、と勘繰りましたが、まさか其処までは・・・。それでも各自団扇を扇ぎながらリラックスして登場、指揮者もラフなスタイルで寸劇を演じます。
鳴らされる音楽は、作品の副題の通り。要するにワーグナーのパロディです。何も知らずに(例えば招待券を貰って)来た人たちは、“何をやっとるんじゃ” と思ったかもしれませんね。
この曲は本来は弦楽四重奏のための作品、それを今回は版元であるショット社に許諾を取り、下野自身が弦楽合奏版にアレンジした由。当然ながら世界初演となります。(18日にオペラシティでも演奏していますから、厳密に言えば2度目の演奏)

ところでヒンデミットはどういう意図でこれを作曲? したんでしょうかね。下野は、「悪意かどうかは判らないが、ヒンデミットのユーモラスな面を聴いてもらいたい」(大意)とコメントしているようですが、私はやはりヒンデミットの「悪意」を感じてしまいました。
これを聴いたらワーグナーはどう思うか。そう考えると、アンチ・ワーグナーとワーグナー信奉者ブルックナーを組み合わせたのには、やはり指揮者の意図が働いているのでは、と想像もしたくなりますよね。

ヒンデミットがワーグナーをどう思っていたのか詳しいことは判りません。今月のプログラム誌には「ワーグナー後のドイツ・オペラ」(江藤光紀)というエッセイが掲載されていましたが、これを読んでも二人の関係については明確には知り得ませんでした。
ワーグナーとヒットラーの関係からヒンデミットが暗に皮肉った、と考えられなくもありませんが、オリジナルの作曲は1925年頃の由。やはりワーグナーその人へのパロディーと見做すべきなんでしょうね。

どうも最初から引っ掛かるコンサートでしたが、2曲目もヒンデミットの仕掛けに惑わされるモノ。今回が日本初演だそうで、もちろん私も初めてナマで接した作品です。曲目解説によると、数多い「管弦楽のための協奏曲」の嚆矢となったタイトルの由。
作曲はワーグナー・パロディーと同じ1925年ですから、未だヒンデミットが現代音楽の最前衛を走っていた頃。それにしては耳に馴染みやすい響きだ、と感じました。恐らく当時の聴衆にとってもそうだったのでしょう、作品は概ね好意的に迎えられたそうな。

全体は4楽章、第1楽章は所謂バロック協奏曲のスタイルで、リピエーノ(総奏)とコンチェルティーノ(ヴァイオリン、オーボエ、ファゴットのトリオ)が交替します。都合3回リピートされますが、総奏部は最初は弦合奏(+フルート)、二度目は金管合奏、三度目は最初と同じ弦+フルートで、3度目のソロからそのままアタッカで第2楽章に流れ込みます。
第2楽章はスピード・レースの趣。何処まで速いテンポで演奏出来るかが、オーケストラへのチャレンジと言った一品です。弦の細かい動きは、時に全奏、時に2プルトだけ、時に1プルトだけとリレーされ、その間を縫うように様々な楽器が短いモチーフを蹴り込みます。そのモチーフも、2+2+3+2のような不規則な細胞で構成されていて、指揮者とオケにとってはリズム感へのチャレンジなのかも知れません。
第2楽章がドカンと終わると、間髪を入れずに第3楽章へ(スコアにはそう書いてありますが、今回は結構長いパウゼがありました)。ここは木管楽器だけによる行進曲。5小節を単位にした低音楽器のユニゾンが最初と最後に登場する額縁方式で、ヒンデミットはこのパターンが得意ですね。全体は三部形式で、ピッコロとバス・クラリネットという普段あまり光が当たらない奏者のソロが聴けるのが楽しい所。
これまたアタッカで第4楽章のバッソ・オスティナート。その名の通り通奏低音となるテーマが執拗に繰り返されます。このテーマが7拍子。「ア・カ・サ・カ・ミ・ツ・ケ」と呪文を唱えているうちに、協奏曲はクライマックスを迎えます。この楽章、スコアを数えてみたら全部で49小節でした。何故49かと言うと、7の二乗だから。ヒンデミットは小節数に拘る癖がある、なぁ~んちゃって、ね。(以前に下野が取り上げたシンフォニア・セレーナもそうでしたよね)

いずれにしても、実際に耳で聴くより目でスコアを追っている方が面白い、というのが私のヒンデミット感ですわ。

解説にはフルトヴェングラーがこの曲を好んで演奏した、という記述がありました。フルトヴェングラーのように音楽に精神性を求めた指揮者が、ヒンデミットのような即物的音楽に好意を抱いていたというのは面白い事実だと思います。残されている1950年の録音、一度聴いてみたいですね。

ところで私も事実に拘りましょうか。
プログラムに1927年にフルトヴェングラーがウィーンで初披露したと書かれていました。手元にフルトヴェングラーの演奏会記録集があるので早速調べてみましたが、1927年ウィーンというのが見つかりません。
手元の記録集では、1925年12月17日のライプチヒ(ゲヴァントハウス管)と同じ年の12月20・21日のベルリン(ベルリン・フィル)がフルトヴェングラー演奏の最初のようです。1927年はアメリカ・ツアーでニューヨーク・フィルと共に、2月24・25日、3月19日に何れもニューヨークで演奏した記録があるだけでした。
1930年にもベルリン・フィルとのツアーで、エッセン、フランクフルト、マンハイム、パリで紹介。ま、こうした記録集(ターラ社刊)自体の信憑性も当てになりませんから、どうこう言うことでもないでしょうが。

後半のブルックナーも、下野の意図は「指揮者への注意書きを除外したような」ハース版で演奏することにあったようです。

とは言っても、ノヴァーク版とハース版の違いは些細なもの。解説では例として①打楽器の扱い ②第3楽章トリオ主題の楽器、③終曲での金管楽器が挙げられていました。私も両版が手元にあるのでザッと目を通しましたが、どうも①は良く判りません。打楽器はそもそもティンパニだけですが、私が見た限りでは両版とも全く同じ。
②はハースがオーボエ+クラリネットであるのに対し、ノヴァークはフルート+クラリネット。というより、オーボエとフルートの役割を入れ替えたという点が異なるようです。それも前半だけで、後半は両版とも同じオーケストレーション。
③は金管に限らず、木管にも僅かながら異動があります。素人が聴いて判るのは、最後の最後に第1楽章第1主題が出るか出ないか。ハースでは暗示するものの露骨には吹きませんが、ノヴァークではホルン(第3と第4)とトランペット(3本)が朗々と吹き鳴らします。今回は下野が宣言したように、「冒頭ホルンのモチーフがオーケストラ全体に」轟きませんでした。

もう一つ判らないのは、「指揮者への注意書き」という点で、ノヴァーク版にもこの種の注意書きはほとんど見当たりません。あってもハース版と同じ。敢えて言えば、第4楽章の第2主題部が2分の2から4分の4拍子に変えられていることと、再現部に poco a poco accelerando という指定(練習番号390の4小節目から)があること位じゃないでしょうか。
いずれにしても素人が譜面を見ずに聴いていて判ることじゃありませんね。

下野のブルックナーは初めて聴きましたが、意外にユッタリしたテンポでした。師である朝比奈隆の流れなんでしょうか。実際の演奏時間より長く感じられたのが少し気になります。

ヒンデミットとブルックナー。改めて思うに、同じドイツ語圏の作曲家でも、ヒンデミットは北のプロテスタントなのに対し、ブルックナーは熱烈なカトリック信者。ワーグナーもカトリックですから、冒頭のヒンデミットにはそうした隠れた意図があるのかも知れません。
またヒンデミットは指揮者としても演奏家(ヴィオラ)としても優れていた人、対するブルックナーはオルガン演奏はともかく、指揮者としては二流でしたね。その辺にも二人の対比があるようです。
いろいろ面白い選曲を楽しめた定期でした。

最後にマエストロに注文。ヒンデミットの秘曲をいくつも紹介されることに敬意を表しますが、いずれヒンデミット管弦楽の最高傑作(と私が信じている)「フィルハーモニー協奏曲」を演奏して頂けないか。珍品も結構ですが、これを見逃しては画竜点睛を欠く、というべきでしょう。

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1件の返信

  1. 上野のおぢさん より:

    今回も詳細なコメントをありがとうございました。
    いつもupされる内容を楽しみにしております。
    今後ともよろしくお願いいたします。

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