ディミトリ・ミトロプーロス指揮ニューヨーク・フィル(1)

いよいよミトロプーロスをやることにしました。ただし膨大な量ですから、他に話題がない時、気が向いた時のネタです。いつまで掛かるか判りませんし、最後まで続くかも判りません。
ミトロプーロスは1896年3月1日にギリシャのアテネで生まれた指揮者であり作曲家。ピアニストとしても相当な腕前の持主でした。
アメリカ・デビューは1936年のボストン交響楽団。1937年1月にはミネアポリス交響楽団(現在のミネソタ管弦楽団)にもデビューし、センセーショナルな成功を収めます。
ミネアポリスの一連のコンサートを終えた10日後、ボードの議長が他の指揮者の演奏会の休憩時間に「ミトロプーロス音楽監督就任」を発表、聴衆は歓呼の声を挙げた、という記録が残っています。
ミトロプーロスは1937年から1949年までの12シーズンに亘ってミネアポリスの音楽監督を勤めましたが、この間にミネアポリスは現代音楽のメッカになります。
此の期間中、1946年にミトロプーロスはアメリカ国籍を獲得しました。
ニューヨーク・フィルへの客演は1940-1941年シーズンが最初、以後度々客演指揮者として登場し、1949年から1958年まで肩書きは徐々に重いものに変りますが、事実上の音楽監督を9年間勤めます。
監督を退いた後も、バーンスタインの補佐のような形でニューヨーク・フィルの指揮台に立ち、1960年1月まで客演しています。
1960年11月2日、ミラノで死去。
手元の記録集で最も古いのは1942年の記録から。少しづつ纏めて行きましょうか。
          **********
1942年12月17・18日 カーネギーホール
 ベルリオーズ/序曲「リア王」
 ラフマニノフ/パガニーニの主題による狂詩曲
 バッハ=ミトロプーロス/前奏曲とフーガ ロ短調
 ラフマニノフ/交響舞曲集
  指揮/ディミトリ・ミトロプーロス
  ピアノ/セルゲイ・ラフマニノフ
1942年12月20日 カーネギーホール
 バッハ=ミトロプーロス/前奏曲とフーガ ロ短調
 クシェネック/ノースカロライナ民謡「I Wonder As I Wander」による変奏曲
 ラフマニノフ/交響舞曲集
  指揮/ディミトリ・ミトロプーロス
1942年12月24・25日 カーネギーホール
 バッハ/組曲第3番
 ブラームス/交響曲第3番
 イトゥルビ/ピアノと管弦楽のための幻想曲
 ガーシュイン/ラプソディー・イン・ブルー
  指揮/ディミトリ・ミトロプーロス
  ピアノ/ホセ・イトゥルビ
1942年12月27日 カーネギーホール
 イトゥルビ/ピアノと管弦楽のための幻想曲
 ガーシュイン/ラプソディー・イン・ブルー
 メンデルスゾーン/交響曲第3番
  指揮/ディミトリ・ミトロプーロス
  ピアノ/ホセ・イトゥルビ
1942年12月29日 ロング・アイランド、ミッチェル・フィールド
 エルガー/行進曲「威風堂々」第1番
 メンデルスゾーン/交響曲第3番
 チャイコフスキー/大序曲「1812年」
  指揮/ディミトリ・ミトロプーロス
1942年12月31日、1943年1月1日 カーネギーホール
 グルック/歌劇「アルチェステ」序曲
 シェーンベルク/清められた夜
 ロイ・ハリス/管弦楽と合唱のための民謡交響曲第4番(改定版初演)
  指揮/ディミトリ・ミトロプーロス
  合唱/ワシントン・アーヴィングと少年合唱団の混成チーム
1943年1月2日 カーネギーホール
 タンスマン/ポーランド狂詩曲
 グリーグ/弦楽四重奏曲 作品27
 ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第4番
  指揮/ディミトリ・ミトロプーロス
  ピアノ/クラウディオ・アラウ
1943年1月3日 カーネギーホール
 グルック/歌劇「アルチェステ」序曲
 シェーンベルク/清められた夜
 ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第4番
 タンスマン/ポーランド狂詩曲
  指揮/ディミトリ・ミトロプーロス
  ピアノ/クラウディオ・アラウ
1943年1月6・8日 カーネギーホール
 ハイドン/交響曲第100番「軍隊」
 プロコフィエフ/ピアノ協奏曲第3番
 ヴォーン=ウィリアムス/交響曲第4番
  指揮とピアノ/ディミトリ・ミトロプーロス
1943年1月9・10日 カーネギーホール
 シューベルト/交響曲第2番
 ブラームス/交響曲第3番
 ベルリオーズ/序曲「リア王」
  指揮/ディミトリ・ミトロプーロス
1943年1月11日 ニューヨーク、ホテル・プラザ
 バッハ=レーガー/コラール・プレリュード「おお人よ、汝の大きな罪を嘆け」
 レスピーギ/ピアノと管弦楽のためのトッカータ
 グリーグ/弦楽四重奏曲 作品27
  指揮とピアノ/ディミトリ・ミトロプーロス
          **********
12月17・18日、ミトロプーロスは編曲も多く、バッハもその一つです。この日のラフマニノフは作曲者自身のソロ。先日出版された某プロデューサーの暴露本で年月日を誤って紹介されていたものです。
(訂正は私の指摘)
12月20日のクシェネック。ミトロプーロスはクシェネック Ernst Krenek (1900-1991) の使途でした。ナチ・ドイツから「退廃音楽」のレッテルを貼られ、1945年にアメリカに亡命したオースリアの作曲家ですね。初期はジャズの手法、後年には12音技法を用いて作曲していました。
ここで取り上げられた変奏曲は1942年の作。作品番号は94番が充てられています。復興が待たれる作曲家。
12月24・25日のイトゥルビ Jose Iturbi (1895-1980) はヴァレンシアに生まれたスペインの作曲家、指揮者、ピアニスト。ここでは自作のソロを弾いています。
ロチェスター管弦楽団の音楽監督(1935-44)を務めた人ですが、ピアニストとして有名で、私も子供の頃にビクターの家庭名盤集でよく聴いたものです。映画にも何度も出たそうですから、その方面でご存知の方も多いでしょう。
年末年始に演奏されたハリスは、この形の交響曲の4作目という意味ではなく、交響曲第4番が合唱付のものという意味。交響曲は全部で13曲(但し第13番は14番として初演されていますが・・・)。第4番は1940年の作で、この際に改定が施されたのでしょう。
1月2日に演奏されているグリーグの弦楽四重奏曲は、恐らく弦楽合奏で演奏されたものだと思います。特に何も記載が無いので、演奏形態や編曲者の名前は不詳。
1月6日のプロコフィエフ、11日のレスピーギは共にミトロプーロスの弾き振りです。特にプロコフィエフは1930年にベルリン・フィルに客演した際、予定されていたピアニストが病気降板したため急遽ミトロプーロスが弾き振りし、話題騒然となったという有名なエピソードが残されています。その再現でしょうか。
1月11日にプラザ・ホテルで行われたコンサートで取り上げたバッハ作品はレーガーのアレンジ。弦楽合奏のための編曲ですが、今年(2009年)10月に読売日響が下野竜也の指揮で演奏することになっています。興味ある方は是非コンサートにお出掛け下さい。
またこの日のレスピーギの管弦楽は、フルート3、オーボエ3、ファゴットとコントラファゴットが各1、3本のホルンに弦5部という小振りな編成の作品。弦合奏を中心にした中々凝ったプログラムと言えましょう。
Pocket
LINEで送る

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください