革命記念日のパリ

昨日は7月14日。と言えば、パリの革命記念日ですね。1789年のフランス革命。
フランスでは単に「カトールズ・ジュイエ」 Quatorze Jullier (7月14日)と言っていますが、バスティーユ・デイ Bastille Day という英語も一般的。
日本では革命記念日というより、「パリ祭」の方が通りが良いでしょうか。このタイトルの映画もあったし、これを題材にしたシャンソンもたくさんありますよね。
7月14日は当然ながらフランスの祭日です。当日はロンシャン競馬場でもパリ大賞典(グラン・プリ・ド・パリ Grand prix de Paris )が行われ、多くの競馬ファンで賑わいました。
パリ大賞典は、いわばフランス競馬改革の象徴でもありましょう。
1863年に創設された当時、フランス競馬は完全な鎖国状態で、自国以外の馬がフランスの土壌で競馬することはご法度でした。
パリ大賞典は、第1回から海外の競走馬に門戸が開かれ、フランス競馬の国際化を象徴してきたのです。これによりフランス競馬は競争に晒され(もちろん相手はイギリスですが)、そのレヴェルが確実に改善されていきます。
凱旋門賞が登場する(1920年)まで、パリ大賞典はフランスで最も賞金の高いレースでしたし、その後も暫くは最も名誉ある一戦であり続けました。
例えば1921年。記録によれば、この年のパリ大賞典はパリっ子のアイドルとなったクサール Ksar が大本命で登場し、時のミルラン大統領夫妻に伴われて、日本の皇太子殿下も親しくロンシャン競馬場の門を潜ったのでした。プリンス・ヒロヒト。後の昭和天皇ですが、皇太子としてヨーロッパ留学中の一コマ。日本の有名人(などと呼んでは不敬に当たりますが)で最初にロンシャンを訪れたのは、恐らく昭和天皇だったのじゃないでしょうか。
(この視点で描かれた歴史書はあまりありませんので断言は出来ませんが)
1921年のパリ大賞典は、フランスの期待を一身に担ったクサールが、イギリスから遠征したやや格下のレモナラ Lemonora という牡馬に負けるというショックが駆け巡り、ロンシャンは沈黙が支配したと言われています。
このパリ大賞典も時代が下り、長距離レース(長い間グランプリは3000メートルで行われてきました)が嫌われるに連れて賞金も名誉も急降下。遂には1987年に距離が2000メートルに短縮されてしまいます。
更にフランス競馬全体のレース体系見直し、距離の短縮化の傾向が進み、2005年からはフランス・ダービーが2400から2100メートルに短縮。その結果、皮肉にもパリ大賞典の距離は2400メートルに延長され、今日に至っています。これに伴い、これまで6月の最終日曜日に行われていた日程も、革命記念日に移行されることになったのです。
距離が変更されて5年目の今年、出走馬は8頭でしたが、何と半分の4頭はアイルランドのオブライエン厩舎が送り込んできた馬。更にニューマーケットを本拠にするゴドルフィン(スオール厩舎)が1頭。
地元フランス馬は僅かに3頭という淋しい顔ぶれになってしまいました。近年のフランス長距離界の牡馬の層の薄さは見るに忍びないものがあります。
そのフランスの期待は、先の仏ダービーで距離が足りずに4着に終わったベヘシュタム Beheshtam 、4対5(フランスのオッズ)の圧倒的1番人気でした。
去年の覇者モンマルトルと同じ、アガ・カーン/ロワイヤー・デュプレ/クリストフ・スミオンのコンビという事実も、期待を一層高めていたはずです。
レースはオブライエン軍団の先行馬ヘイル・シーザー Hail Caesar の逃げを同じオブライエンのエース、エイジ・オブ・アクエリアス Age of Aqquarius (ムルタ騎乗)が追走する展開。
エイジ・オブ・アクエリアスが先頭で流れ込もうとする時、中団からカヴァリーマン Cavalryman が追い込みを決め、1馬身半差でゴール板を駆け抜けました。
2着エイジ・オブ・アクエリアスと3着マスターリー Mastery の差は2馬身。本命ベヘシュタムは6着惨敗。
カヴァリーマンはフランスのアンドレ・ファーブル厩舎、マクシム・グイヨン騎手で、何とか地元フランス勢が面目を保った形。
ファーブル師、パリ大賞典は何と10勝目。グイヨン騎手は初勝利です。馬主のシェイク・モハメドはグランプリ3勝目。
勝ったカヴァリーマンはグレフュール賞2着。重馬場が得意で、グレフュールでは同厩のカットラス・ベイ Cutlass Bay に次いで入線した馬です。
デュプレ師の談では、カットラス・ベイとカヴァリーマンは共に重馬場を得意とするタイプ、雨の多い秋の競馬で本格勝負という腹積もりのようです。
この日はもう一つ、モーリス・ド・二エイュ賞(GⅡ、4歳上、2800メートル)も行われています。
これも度々条件や競馬場を変えてきたレースで、革命記念日に行われるようになったのは2006年から。
今年は6頭立て。ゴール前で3頭が並ぶ大激戦で、勝ったのはイタリア馬のヴォアラ・イシ Voila Ici 、2着は短頭差でウィンクル Winkle 、3着が首差で後方から一気に追い込んだシェミマ Shemima の順。
1番人気のポワンティリスト Pointilliste は超スローに落として逃げるも4着、去年のカドラン賞馬バンナビー Bannaby は6着しんがり負けの大惨敗に終わりました。
勝ったヴォアラ・イシはイタリアのヴィトリオ・カルーソー厩舎、ミルコ・デムーロの騎乗、芦毛の4歳馬です。
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